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ステージ9 愛と哀しみの戦地
「これから向かうディアスポラ地域は、旧ホーライ王国時代、大陸の中央に位置する一大商業都市マラノと、南東の女神と称された王都ゼノビアを結ぶ交易の中継地として、貿易都市ソミュールを中心に賑わいを見せていました」
アヴァロン島から、トリスタン王子を追って大陸へ渡るウェンディ軍は、その航海の途にある。船上のウェンディは、これから向かう目的地ディアスポラについて、ウォーレンから解説を受けていた。
「そう言えばアヴァロン島は、貿易都市が意外に少なかった」
「アヴァロンの島民は、世俗と交わることを嫌うロシュフォル教の宗旨に則り商業には消極的なので、アヴァロン近海の交易活動は、主にゼノビアとソミュール地方の商人達が請け負っていたのです」
でも、そのゼノビアは先の大戦により荒廃し、繁栄の象徴と謳われたかつての栄光は見る影もなかった。
「ゼノビアが荒れ果て、交易拠点としての役割が薄れたソミュールの一帯も、やがて衰退していきました。だけでなく、帝国は空白地帯となったその地にディアスポラという巨大収容所を作り、逆らう者を次々と捕らえては、この地に収監していったのです。それ以来、あの地は代名詞となった監獄の名で呼ばれています」
ただでさえ寂れていく都市に監獄など作っては、ますます市民の住む場所ではなくなっていくではないか。帝国にはそもそも、民のための国を作ろうという意識が欠けている。
「ゼノビアに近い大陸の東部に位置するディアスポラは、北西のハイランドを中心とする神聖ゼテギネア帝国から見れば、辺境にあたります。その東の涯の地に、これ見よがしな巨大監獄を作ることで、帝国による恐怖政治の象徴としたのです」
力で人々を虐げる支配。そのことを悪びれるどころか、あまつさえ建造物によってその意を知らしめるとは。
「今の帝国支配下では、体制に批判的な態度を示した者は悉く取り締まられ、このディアスポラ監獄へ押し込められるわけです。そうして言論の自由を統制した帝国は、次に信仰の自由を、ロシュフォル教の強制を始めました」
「帝国はロシュフォル教の国だったの?」
今ウェンディ達は、他ならぬそのロシュフォル教の聖地を侵略しようとしたガレスと戦い、アヴァロンを解放してきたところなのだ。元々ロシュフォル教の国ならば、なぜ帝国はアヴァロンを侵略する必要があったのか。
「ロシュフォル教と言っても、帝国が説くのは女帝エンドラを教祖ロシュフォルの後継者とし、神と同等に扱うというもの。俗世の関係から放れた内なる信仰を重視する本来のロシュフォル教とは、似て非なるどころか正反対のものです」
帝国支配の正統性を示すために、大陸全土に影響力のあったロシュフォル教の名を利用したわけか。
「この帝国国教とでも言うべき宗教の体面を保つために、当初はロシュフォル教の神官を法皇に立て教化政策を採っていましたが、ディアスポラ監獄完成後は官憲の力で以て支配するやり方に切り換え、法皇は有名無実の職と化しています」
同じ神を否定するにしても、元から神など存在しないが如く振る舞うならまだいい。帝国は神の存在を示した上で、自分が神に成り代わろうというのだ。信仰に生きる者達にとって、これ以上の冒涜はない。
「エンドラの意に沿わねば神と言えど否定され、帝国では実質的に宗教が認められなくなりました。帝国への批判を禁じ、帝国以外の拠り所を禁じ、人々から内心の自由を奪った帝国は、今や職業選択、婚姻、果ては出産といった市民の生活にまで統制をかけようとしています」
ウォーレンは、そこで少し言葉を切り、間を置いた。
「世界に秩序をもたらすためには、少なからず市民を法で縛る必要があるのかもしれません。混沌と化した世界では、それこそ弱者から先に切り捨てられます。ですが、思想、信条、生活が同一化された社会、それは種の硬直に他なりません。一人一人が多様であること、不整合な個々人が生む弾性こそ人間たる所以であり、我々がこの地上で生きている意味だと私は思うのです」
離島で育ったウェンディに、種が持つ多様性の重要さが理解できたわけではないが、この地に渡ってからずっと感じていた違和感。ゼテギネア大陸の民達は、皆一様の顔をしているのだ。異国の人間は同じ顔に見えるということかとも思っていたが、生命の張りがなくなったのっぺりとした顔が、ウェンディに人々の識別を付けづらくさせていた。
「それにしても、先を読むのが仕事の占星術師が、世の中が複雑になることを望むなんて不思議ね」
「他の方はどうか知りませんが、私の占星術は厳密にはいわゆる未来予知ではないのです。わかるのは変が起こる人、時、場のみであり、次に具体的に何が起こるといった予言はできないので、社会が単純だろうと複雑だろうと、大差はありません。それに」
ウォーレンは、悪戯っぽい笑みを含んでウェンディを見る。
「人々が多様な輝きを放つ地上の光景も、夜空に負けず劣らず美しいと私は思います」
あまりにロマンチックすぎて、思わず噴き出しそうになる。これだから。
これだからウォーレンのことが嫌いじゃない。面白がるウェンディは、図らずもウォーレンの話した理想を理解しているのだった。
上陸と同時にウェンディ軍は沿岸部の城塞ポアチエを強襲し、そこを占拠した。
「思ったよりも、容易だったわね」
アヴァロンでは帝国皇子ガレス、正確にはその鎧だが、の率いる正規軍を相手にしてきたウェンディ達にとって、ポアチエ守備隊との戦いはあまりにも呆気なかった。
「急襲が上手くいったってことだろ」
事も無げなカノープス。
「この地の帝国軍は元々、ディアスポラ監獄の警備が担当だ。このところ戦っていた、反乱鎮圧のための戦闘部隊とは違うということだろう」
アッシュが冷静に分析する。
「しかし、それにしても」
「ああ。どうも、指揮系統が乱れているような感じだった」
ランスロットとギルバルドは、何か引っ掛かるようだ。
「奇襲の成果にしろそうでなくとも、敵に混乱があるのは確かなようです。兵は拙速を尊ぶと言います。なれば、敵の態勢が整わない内に攻め込むのが吉でしょう」
「おう、さっさとケリ着けちまおうぜ」
ウォーレンの提案をライアンが促し、ウェンディ軍は、ポアチエで簡単な軍議に入る。
「このポアチエから、遥か北西にあるディアスポラの攻略が此度の目標になります。まずは、両者のちょうど中間にある貿易都市ソミュールを解放して、ディアスポラ攻略の橋頭堡としましょう。道形に進むなら、中央の山岳部を迂回しながらS字に蛇行する必要がありますが、なるべく敵の迎撃態勢が整う前にソミュールを確保したいので、飛行部隊で直進することとします」
「トリスタン王子の捜索は?」
「帝国側に、王子の存在を敢えて知らせる必要はないでしょう。捜索は、ディアスポラを解放し、この地から帝国軍を追い払った後にします」
ウォーレンの指示は的確だ。
「カノープス殿、ランカスター殿、マックスウェル殿、それにグリフォンのイーロスを使って飛行部隊を編成します。リーダーはウェンディ殿、ギルバルド殿、ケミィ殿、レイノルズ殿。行軍路が長くなるので、念の為エーニャ殿の部隊にはポアチエの守備をお願いします」
「それじゃ、早速進軍ね」
ウェンディ隊、ギルバルド隊、ケミィ隊、レイノルズ隊の4隊は、エーニャ隊をポアチエに残し、ソミュールに向けて進発した。
ディアスポラ地方の中央部には、北と南にそれぞれ山岳地帯があり、東西に横断する街道によってそれらが区切られている。貿易都市ソミュールは、その街道に面した山々の西の麓にある街だ。
南の山岳を縦断してソミュールを目指していたウェンディ軍、その先鋒を務めていたケミィ隊のマックスウェルは山の上から、反対の北の山岳を縦断しポアチエへ向かおうとしている帝国軍の姿を発見する。ポアチエが陥落したことを知った帝国軍が、反撃に出たらしい。
「敵はまだこちらに気付いていない。先に仕掛けるか?」
「いえ、先にソミュールを解放してしまいましょう。その為に、エーニャ隊を残してきてあります。上手くすれば、ソミュールとポアチエで敵を二分できるかもしれません」
南下中の敵軍を見逃したおかげで、ウェンディは貿易都市ソミュールを難なく解放した。ここまでは順調だ。
「ディアスポラ監獄について、何か御存知であればお聞かせ願いたいのですが」
ソミュールの代表に、ウォーレンが尋ねる。
「監獄内のことは流石にわかりませんが、元々この地の管理は、帝国軍四天王のデボネア将軍が担っていました。ですが、将軍は貴殿方反乱軍鎮圧の命を受け、ゼノビアへ出征したため、今は法皇であったノルン様が統治者ということになります」
「法皇が?」
「帝国の施行した教化政策の一環として、旧ハイランドを除く大戦後に編入された帝国領の中で、マラノやガルビア等、重要都市は全て法皇様が統轄するところとなり、この地もその一つでした。監獄が設置された後も、ノルン様の後見を受けたデボネア殿が支配するという形式だったのです」
「じゃあ、そのノルンがディアスポラで軍の指揮を執っているの?」
「さあ、それは。今の帝国では、法皇の統轄と言っても名ばかりで、駐在の将軍等による直接統治が基本ですし、ましてノルン様は僧侶ですので、今は北東の教会に居られるとか。自ら陣頭に立つということはないのではないでしょうか」
「となると、相手はデボネアの部下か」
ゼノビアでの激戦が思い出される。あのデボネアの部下となれば、相手は精兵と思っていいだろう。が、デボネアは今、戦いを止めるため、ゼテギネアのエンドラの元に向かっているはずだ。あるいは、戦わずに済むかもしれない。
「まだ実態が掴めませんな。少し情報を集めてみましょうか」
と、そこへ、ランスロットが少女の手を引いてやってきていた。
「随分若い彼女ね」
「ウェンディ殿、実は――」
ランスロットが言うには、以下のような次第だ。
街に入ったランスロットは、道端で泣いていた少女に出くわす。
「どうしたんだい? 良かったらおじさんに、話してみてくれないか」
思わず声を掛けたランスロットに、
「父さんが…、父さん帰ってこなくて…、母さんが死んじゃうの!」
少女は泣き咽びながら、答えた。
要領は得なかったが、とは言え両親が死ぬとは穏やかではない。
「ゆっくりでいいから、順番に話してみて」
少女が落ち着くのを待って、ランスロットは話を聞く。
「あの…、母さんが病気になっちゃって…。重い病気で、治すには金の蜂の巣が必要なの」
「金の蜂の巣?」
「うん…。“ばんのうやく”で、その薬があればなんでも治るって。お店でも売ってるんだけど、とても高くって…。それで父さんが…、うう、ひぐっ」
「金の蜂の巣を取りに行ったんだね」
ということだった。
「それで、そのまま帰ってこないと」
話はわかった。
「貴方のそういう所は好きよ」
ランスロットに声を掛けるウェンディ。
平時ならば、すぐにでもこの子を助けてあげたいところだ。が、帝国軍を目の前に控えているこの状況で、人探しをする余裕は――。
「このままじゃ、母さんが…。お姉ちゃん、おねがい。父さんを探して、『金の蜂の巣』を手に入れて!」
少女は、ウェンディに縋りついて頼み込む。
その瞳を見たウェンディに、もう迷いはなかった。私達は、帝国に勝つために戦争をしているわけじゃない。明日の光を信じられる世界を取り戻すため、戦っているのだ。子供の涙を見捨てた先に、私達の求める勝利は存在しない。
ウェンディは、ウォーレンの方を見る。
「ちょうど情報収集のため、ソミュールに留まることになります。その間なら、その娘の父親を探すこともできるでしょう」
ウォーレンも、ウェンディの判断を支持してくれた。少女の方へ向き直るウェンディ。
「わかったわ。お姉ちゃん達がなんとかしてあげる。だから、お母さんとお家で待ってて。約束よ」
少女はじっと、ウェンディの瞳を見た。
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」
泣き止んだ少女は、自分の家へ帰っていった。
ソミュールのウェンディ軍は、広場に集まり今後の方針を決める。
「ひとまずこのソミュールを拠点とし、情報収集に努めたいと思います」
そこでウェンディは、例の件を切り出す。
「少しこちらに、人数を割いて欲しいのだけど」
委細承知のウォーレンは、それだけでウェンディの意を汲む。
「ならば、グリフォンの機動力があるレイノルズ隊をウェンディ殿の隊に回しましょう。ギルバルド隊は散会し情報収集。ケミィ隊は装備を整え、ソミュール周辺の哨戒任務に付いてください。各自任務を果たした後、ソミュールへ帰投するように」
ウェンディ達も少女の父親捜索に向かう、はずだったが、
「ところで、どこを探せばいいのでしょうか?」
アイーシャがウェンディに尋ねる。
「金の蜂の巣を探しに行ったというから、それがある場所じゃないかしら?」
「じゃあ、金の蜂の巣はどこに?」
「それは…」
答えに窮してしまったウェンディを、ソミュールの代表が待ち受けていた。
「ポーシャの父親を探しに行くのですね」
「ポーシャ…、少女の名前ね」
「ポーシャの父も、元は貿易商として羽振りの良かった1人でしたが、ソミュールの衰退と共に仕事を失って困窮していたのです」
ポーシャの一家も、戦争の被害者だったわけか。
「金の蜂の巣のことを知っていて?」
「中の蜂蜜が万能薬とされる、この地方の特産品です。ですが、高価なのには理由があり、巣を作る蜜蜂には致死性の毒があるのです。聞くところによると、ポーシャの父が街を出たのは一週間も前というので、おそらく…」
「そんな…」
想像したくはないが、最悪の場合ポーシャは、両親を共に亡くしてしまうのか。
「金の蜂の巣があるのは、南にある山岳部の南側の麓です。探すならば、その辺りでしょう」
代表は、ウェンディ達の無事を祈り、街の中へ戻る。
ウェンディ達は不安を覚えながら、南側の麓を目指して、南方の山脈を縦断していった。
さて、金の蜂の巣があるという山麓に辿り着いたウェンディ達だったが、
「いくら場所がわかったとて、こう闇雲に探していては…」
アッシュの言う通り、ポーシャの父を見つけることはできなかった。
「そこにある教会で、話を聞いてみましょう」
アイーシャの提案に従って、ウェンディは教会を解放する。
「最近、この辺りに金の蜂の巣を取りに来た男がいたはずだけど、御存知ないかしら?」
ウェンディに尋ねられた司祭は、ハッとした表情を見せる。
「先日、この教会の近くで男性の死体を発見しました。近くに金の蜂の巣が落ちており、巣を取ろうとして逆に蜂の毒にやられたようですから、おそらく…」
代表の話から、覚悟はしていたはずだった。が、現実がこんなにも呆気ないとは。
言葉に詰まるウェンディに、司祭は続けた。
「御遺体は、我々の手で弔わせていただきました。ですがこの金の蜂の巣は、我々が持っていても仕方ないものです。どうか貴殿方の手で、彼の御遺志を遂げさせてあげてください」
そう言って、司祭は『金の蜂の巣』をウェンディに手渡した。
亡くなってしまった命は、もう戻らない。だが、今まさに失われつつあるというなら、それはまだ繋ぎ止められる命だ。
「わかったわ。この金の蜂の巣は、必ず然るべき人の元へ届けてみせる」
ウェンディ達は教会を発った。一人の男が、その命と引き換えに手に入れた金の蜂の巣を携えて。
ソミュールへ帰ってきたウェンディ達は、『金の蜂の巣』をポーシャの待つ家へ届けた。
「これを、ポーシャの母親に」
看病をしていた、隣人だろうか、に渡す。
「わあ。ありがとう、お姉ちゃん。これで、母さんの病気が治るよ。父さんに会えたの?」
ウェンディの手土産に、無邪気な反応を見せるポーシャ。その笑顔が、今は一番辛かった。
「お父さんは…、遠い所にいるの。お母さんが元気になったら、会いに行ってあげて」
居たたまれずポーシャの元を後にしたウェンディは、情報収集をしていたギルバルド隊と合流する。
まず口を開いたのは、ラットだった。
「やはり、ディアスポラで軍を指揮してるのは、法皇ノルンのようだ」
その言葉を次いだのが、ライアン。
「ノルンは帝国のやり方に批判的って話だ。上手くすれば、こちらに取り込めるかもしれねえな」
だがギルバルドは、その言葉に反対する。
「俺の聞いた話とは違うな。教会に隠っていたノルンがディアスポラに入ったのは、反乱軍と戦うためだそうだ。ノルンの戦意は高く、和解など有り得ないと言っていた」
「一体どういうこと?」
話が食い違ってるようだが、どちらを信じるべきか。やはりギルバルド?
「ふむ。実際に指揮を執っているとなると、ノルンが我々を敵視しているのは、やはり間違いないでしょう。しかし、ソミュール代表の話もありますし、何か訳があるのかもしれません」
戦いを忌むべき法皇の地位にある人間が、自ら陣頭に立つ理由。
「ディアスポラへ行って、直接ノルンに話を聞くしかないわね」
その返答次第では――。
「彼女の処遇は、その時に決める。それでもいいかしら?」
「いいでしょう。それでは、ひとまずディアスポラの攻略を目指します」
ウォーレンが部隊を編成する。
「ノルンはおそらく、僧侶系のクラス。長期戦は不利でしょう。少数精鋭の部隊で参ります。現在ケミィ隊に維持してもらっている戦線の脇を抜け、ギルバルド隊を先鋒とし、ウェンディ隊で決めきる算段です。機動力の高いレイノルズ隊は、ソミュールとポアチエの間で遊撃を行ってください」
僧侶系ということは、削っても回復される。攻略するには、一気に大火力で押しきる必要があるということか。
「ケミィ隊は大丈夫だろうか」
「装備の受け渡しもありますし、途中で合流してソミュールへ後退するように指示しましょう」
ウォーレンは、ギルバルドの心配も考慮してある。
「先陣を切るギルバルド隊は、バルタンのランカスター殿、サムライのラット殿、ニンジャのライアン殿で前衛を、後衛はニンジャの私とサムライのギルバルド殿で努めます」
残りのカノープス、ランスロット、アッシュ、アイーシャがウェンディ隊か。
「では、各自準備が整い次第、作戦を開始してください」
ギルバルド隊に続いて、ウェンディ隊もソミュールを進発する。
ソミュールの北は、ディアスポラのある北西部に繋がる橋が掛かっている。
ウェンディ達は、その橋の袂でケミィ隊と合流した。
「後は我々が引き受けます。ケミィ隊はソミュールへ後退してください」
ウォーレンの指示に対し、ケミィが答える。
「ディアスポラへ向かうんでしょ? 私達はまだやれるし、従軍しようか?」
「いえ、此度は僧侶のノルンを相手にするので、三部隊以上は逆に不利かと。それに、ソミュールは今空ですので、防衛をお願いします」
「今回の敵兵に関する戦闘経験は、あった方がいいんじゃない?」
「ふむ。では、マックスウェル殿を連れていくことにしましょう。ランカスター殿は、ケミィ隊をソミュールまで運んでください」
装備と人員の受け渡しが済んだギルバルド隊と共に、ウェンディ隊は敵の本拠地へ繋がる橋を渡った。
橋の向こう側からディアスポラまでは道なき森林地となっており、低空移動に編成してあるウェンディ達の進軍に支障はないが、視界不良下での戦闘は十分に警戒しなければならない。
と、目の前にプリーストとウィザードを2人ずつ従えたバルタン隊が現れる。機動力を活かして攻めてくるのは、こちらだけじゃないということか。
「リーダーのバルタンは、回避力が高い。無理に狙わず、攻撃を分散させた方がいい」
マックスウェルの指示。
「だが、なるべくディアスポラまでの戦闘で手こずりたくないぞ。なんとかリーダーを仕留められないか?」
ラットの言うことにも、一理ある。今ある戦力だけで、バルタンを落とす方法。
「ウェンディ殿、タロットを」
ウォーレンがウェンディに呼び掛けた。
そうか。動きの早い相手に対応するには――、
「スター」
天の光は全て精。その煌めきを封じ込めた「スター」のカードが弾けると、光に包まれたギルバルド隊の体に精が充ちる。一時的に身体能力がブーストされた今の彼等ならば、バルタンの動きを捉えることも難しくはなかった。
「他に、気を付けるべき敵はいるか」
リーダーのギルバルドがマックスウェルに聞くと、
「出やがった!」
次に現れたのは、ヘルハウンド二頭を率いたビーストテイマー隊。
セオリー通り、ビーストテイマーに攻撃を集中させて倒す。
「これなら恐れる程じゃねえな」
「気を抜くなッ!」
「ガウアッ」
一息つきかけたラットを、ヘルハウンドが襲う。
「ぐっ。リーダーは倒したのに」
「ヘルハウンドは、マスターを失っても攻撃を止めねえ。最後まで回避に集中するんだ」
「と言っても、避けてばかりもいられねえだろ」
よく見ていたライアンの手裏剣が刺さり、漸くヘルハウンドは動かなくなった。
死ぬまで攻撃を止めない狂犬。ソウルコールは、常に使えるようにしておいたほうがいいかもしれない。
その後もマックスウェルの指示の下、ギルバルド隊は敵を次々と撃破していった。ケミィの献策は正しかったようだ。
と、そのギルバルド隊、今度はドラゴン二体を連れたウィッチ隊と遭遇した。
「ウィッチも居やがったのか」
ケミィ隊は、ウィッチ隊との戦闘は経験していなかったみたいだが、ウィッチの厄介さはポグロムで既に経験済みだった。
「仕留め損ねたか」
ギルバルド等の攻撃は当たったはずだが、先制で止めを刺せねば、ウィッチのスタンクラウドを喰らうことになる。全体攻撃のスタンクラウドはダメージこそないものの、こちらを行動不能にし、無防備なまま敵の攻撃に晒される。
「しまったッ」
マックスウェルがスタンクラウドを浴び、身動きが取れない。ドラゴンの牙がすぐそこまで迫る。
刹那、ウェンディが懐から一枚のカードを切る。間一髪、マックスウェルは体を翻してドラゴンの牙を避けた。
ウェンディが切ったカードは「テンパランス」。調和と均整を司る意志が滞った気の流れを精練し、部隊の状態異常を回復する。
「俺だって、足を引っ張るためにここにいるわけじゃない」
ラットが、手にした「イスケンデルベイ」でドラゴンに斬りかかる。マックスウェルと同じくスタンを受けていたが、テンパランスで復活した剣には冴えがあった。
機を見たウェンディのタロットの使用もあって、本来の動きを取り戻したギルバルド隊は、無事ウィッチ隊を撃破した。
遂にウェンディ軍は、その巨大監獄を臨む位置まで辿り着く。
森に囲まれたディアスポラの近辺は、身を隠す場所に困らない。ウェンディ達は最後の戦闘準備に入る。
「ノルンの出方を確かめ、可能であれば説得を試みます。ですが、おそらく戦闘は免れないでしょう。最悪、殺めることも視野に入れておくべきです」
殺さないとは言い切れない。だからこそ、自分が下す決断に納得するため、戦いに行くのだ。
「先頭はギルバルド隊だろ? ここまで来れば低空移動の必要はねえし、俺も先駆けに加わってもいいか?」
カノープスが問う。
「確かに、急襲は機動力があった方がいいですな。では、ウェンディ隊には代わりに私が入りましょう」
決戦用の編成に、装備も付け換える。
僧侶のノルンに神聖系の装備は具合が悪いが、集中力を高めるための後衛用ならば問題ない。ウェンディとウォーレンが「神宿りの剣」を、ライアンが「神秘のメイス」を装備する。
神聖武器を携えながら、監獄で法皇と戦う。マックスウェルに至っては、僧侶と最も相性のいい「デビルハンマー」を手にしている。果たして、この戦いに正義はあるのだろうか。
否、真に正義のためだけにある戦いなど、存在しない。人と人が血を流して相争うことが、正義であってはならないのだ。
だがそれでも、ソミュールで見たポーシャの涙、そして笑顔。この地が豊かな交易中心地のままであったなら、民衆を威圧するための収容所などにならなかったならば、幼気な少女の父親は命を落とすこともなかったのではないか。
あの小さな光が潰えることのないよう、帝国は倒さねばならない。
人々を虐げてきた帝国、その圧政の象徴に向かって、ウェンディ軍は突入した。
城壁のような厳めしさで、牢の数々がぐるりと円形に並んでおり、中央部には見張り塔のみが置かれ、がらんとした空間が広がっている。
傍らに二体のタイタンを控えさせて、法皇ノルンはそこに居た。
「私達は間違っている。ハイランドが望んだ理想国家は、こんな帝国じゃなかった」
侵入してきたウェンディ等を認めると、ノルンは誰ともなくその胸中を打ち明けた。
「帝国に叛旗を翻すことも考えた。ラウニィー様のように。でも…」
そこでノルンは、きっとウェンディ達を見据える。
「私と共に地獄へ落ちましょう!」
「待ってよ! 誤りだとわかってて、何故帝国のために命を懸けるの?」
ウェンディは、ノルンを問い質さねばならない。誤るわけにはいかないのだから。
「帝国が誤った道を歩んだのは、私の過ち、私の罪だから。私は神に仕える身でありながら、ラシュディの正体を見破ることができず、奴がのさばることを許してしまった。そのための法皇の地位だったはずなのに…」
ラシュディ。やはり、今の帝国の中枢にいるのは、かつての五人の勇者の一人、魔導師ラシュディその人であるらしい。
「それに、私は命を懸けて戦うのではない。命を捨てるために戦うのだ」
「何をそんなに死に急いでるの? 生きていればこそ、誤りを正して贖罪もできる。死んでしまっては、いくら後悔してももう取り返しが付かないのよ」
「もう遅いのよ! クアスのいないこの世界で、私は何を支えに生きていけばいいのッ!」
監獄の壁に反響した絶叫が、ノルンの本心だった。クアス…? 彼女の大事な人?
その時、傍らのアッシュが気付く。
「クアス…。デボネアのことか!」
「今の私にできることは、貴女達を倒してクアスの、将軍デボネアの仇を取ることだけ」
最愛の人を喪った哀しみ。それが彼女を戦いに駆り立てる理由だった。
愛する男を討った仇に、命懸けで一矢報いんとする。その心根はわからなくはない。アイーシャを始め、仇討ちのために剣を取った者がウェンディ軍にもいる。だが、それなら筋違いだ。
「ノルン、私達が戦う必要なんてない。だってデボネアは――」
生きているのだから。
ウェンディ軍はデボネアと戦いはしたが、エンドラへ最後の忠義を尽くしたいという彼の意思を尊重し、帝都ゼテギネアに蔓延る奸臣を除くというデボネアを見送ったのだ。
隠密に帝都入りを果たすため、デボネアは自分の生存を知らせなかったのだろう。ディアスポラに居たノルンにはデボネア敗北の報だけが入り、私達を仇と誤認して帝国軍の陣頭に立った。
デボネアが生きていると知らせれば、ノルンは矛を収めてくれるはずだ。だが、ウェンディの言葉を待たずして、ノルンはタイタン達に号令しこちらに向かわせた。
「待ってて、クアス。私もすぐ逝くわ」
「悲壮な決意に凝り固まっている。こちらの言葉は届きそうにないぞ」
「そんな…」
かつて自身もそうだった、ギルバルドがノルンの様子を見て取る。
話せば誤解の上に立った仇討ちとわかるのに、ノルンと戦わなきゃいけないの?
戦場の空気は己の過ちを覆い隠し、決定的な誤りへと人を導く。無用な戦いなど誰も望んでいないのに、血気に呑まれた人間は犠牲の血が流されるまで止まらない。
「反撃するぞ」
「でも…」
戦端が開いた。ギルバルドが放ったソニックブームはノルンを切り裂いたはずだが、彼女が祈りの言葉を唱えると、見る間にその傷が癒えていく。
やはり、癒しの加護が働いている。倒すには、回復の間を与えずに攻め立てるしかない。
「男の後を追って自分も死のうなんざ、重い女は嫌がられるぜ」
サンダーアローを放つカノープスの影で印を結んだライアンが、水遁忍術をノルンに浴びせた。
「お前みたいな軽薄な男に、何がわかる! 愛そうと思っても、もうクアスには届かない。だから、私は私の愛に殉じるだけ」
だからそれが重いんだって。
ライアンの言葉が怒りの炎に油を注いだか、ノルンはより一層強く、杖を握り締める。
前衛では、マックスウェルとラットがタイタン達と斬り結んでいた。人間の倍の大きさがあるタイタンは耐久力も尋常じゃなく、二人ともよく戦ってはいるが、やはりノルンを直接狙う他は…。
「ぐあっ!」
マックスウェルがタイタンの棍棒をまともに受けた。前衛が崩される。
この機を逃すまいと、タイタンへ号令を送るノルン。
「待ってよ、話を――」
「私がもっと早く気付いていれば、クアスを死なせずに済んだのに…」
いつまでも過去の罪に囚われて、今目の前にある現実を見ようとしない!
遂にウェンディも覚悟を決め、剣を抜いた。
ノルンにデボネアのことを伝えるには、一度彼女の頭を冷やさせるしかない。
「アイスレクイエム」
現れた冷気に、ノルン等の動きが鈍る。
「水遁、白虎」
間髪を入れず、忍術で追い撃ちをかけるウォーレン。
だが、それでも尚、杖を握り締めて震えながら、ヒーリングを唱え立ち続けるノルン。何がそこまで痛みに耐えさせるのよ!
「この、わからず屋ッ!」
ウェンディが取り出したのは、タロット「ジャスティス」。
掲げられたカードは強烈な光となって消え、やがてその光が集約し、剣と天秤を持つ巨大な女神の幻影が浮かび上がる。しかしそれも一瞬。女神像が消えると、強烈な吹雪がノルン等を襲った。
ウェンディのアイスレクイエムを上回る氷結魔法に必死に耐えていたノルンだったが、既にその体は限界を迎えていた。
神の僕たる役目を果たせず、自身の愛に殉じようとした法皇は、遂にその手から杖を取り落とした。
「私の…負けね」
口が聞ける程には体力の回復したノルンは、改めて敗北を認めた。
「でも、これでやっと、クアスの元へ行けるわ。さあ、私を殺しなさい!」
「だから、話を聞きなさいって! デボネアは死んでなんかいない。彼は私達と戦った後、エンドラの真意を確かめるために、ゼテギネアへ向かったのよ」
「クアスは、生きているの?」
ウェンディの言葉を聞き、ノルンの目に失っていた色が戻っていく。
「本当に、生きているのねッ!」
「ええ」
今や彼女の目からは、涙が止めどなく溢れ出ている。ウェンディはその姿をじっと見守り、やがて嗚咽が収まった頃、彼女の瞳を見つめて言った。
「ノルン、帝国の罪は、決して過去のものじゃない。今まさに、人々を苦しめているの。でもそれは同時に、今からでも正すことができるということ。それを知ったからこそ、デボネアも自分にできることをしに行ったんじゃなくって?」
「でも、法皇に力があったのは昔のこと。今は、こんな外地に押し込められて、ゼテギネア帝都内部へ戻ることも儘ならない」
「ゼテギネア帝国の法皇に力はなくとも、貴女自身には力がある。命を懸けてデボネアの仇を討とうとした、その意志こそ、揺るがし得ない力よ。その力があれば、貴女にもできることがあるはずよ」
「私に、できること?」
今の帝国の中枢には、魔導師ラシュディがいる。闇に呑み込まれていった帝国の人間は、悉くあの男に接近した者達だ。巧妙に隠してはいたが、ラシュディが良からぬことを企んでいるのは明白だった。
そして、宗教者としてのノルンの直観が確かに告げていた。魔導師ラシュディは神に仇なす反逆の徒であり、今やその力を得んとしている。帝国がこのような姿になる前に、この直観に従っていれば…。
否、過去を悔いるのはもう終わりだ。私はまだ生きている。それは、今を変えるためだ。洗礼を受けてより三十年、不束ながら神に仕えてきた私が、神の僕としてできること。
「私達は、ゼテギネアを目指して進む。この大陸を、帝国の覆う暗黒に染めさせないために。もし貴女に戦う意志があるなら、私達と一緒に来るといい」
「私に…、貴殿方に刃を向けた私に、仲間になれと言うの? 本気? そんな、そんなことって…」
「勿論、本気よ。それに、戦いを止めるのは、デボネアの意思でもあるのよ。命を尊ぶ彼は、貴女が無為に命を散らすことなどきっと望まない。貴女もデボネアに会いに行きたいんじゃない? 貴女がデボネアとの未来を見るためにも、帝国との戦いを終わらせる。その協力を、貴女もしてくれないかしら?」
そう、クアス。エンドラ陛下に近付くということは、あのラシュディに近付くということ。まだ都にいた頃の私に正体を悟らせなかったように、あの男は得体が知れない。クアスが如何に剣の達人と言えど、今や帝国の宰相の地位につける奴のことだ。どんな謀略を用意しているかわからない。クアスが心配だ。ああ、クアス…。
「貴女達と共に居れば、クアスの元へ行けるのね。わかったわ。私の命、貴女に預けましょう」
力による支配を推し進める帝国の現状を嘆き、帝国四天王の一人デボネア将軍を愛する法皇ノルン。
自分の無力さが招いた過去の罪に囚われ、愛する男を喪った哀しみで死ぬための戦いに身を投じた彼女は、大陸に光をもたらさんとするウェンディに説得され、また愛するデボネアの身を案じ、ウェンディ軍の一員となることを選んだ。
愛に生きる法皇は、今漸く、その足を光の中へと踏み出した。