近々、『UC NexT 0100』作品第1弾として、劇場版アニメ『機動戦士ガンダムNT』が公開されます。
この「NT」はダブルミーニングであり、ガンダムファンにとって「NT」とは「ニュータイプ」のことです。
「ニュータイプ」とは、アニメ『機動戦士ガンダム』(通称『ファースト・ガンダム』)の中で使われた、ある特定のキャラクター達を指す造語であり、以降の作品においても中心概念の一つとして扱われました。
では、「ニュータイプ」とは何なのでしょうか。
結論から言ってしまうと、この問いに明確な答えを用意することは不可能です。
というのも、劇中でニュータイプとされる当の本人達すら、「ニュータイプ」に関して言っていることがまちまちであり、なんとなればニュータイプ概念の発明者である富野由悠季監督自身でさえ、言葉で言いおおせないという代物なのです。
ニュータイプを理解する手掛かりは、本編において現象として示された有様が全てであり、それ以上でも以下でも「ニュータイプ」からは遠ざかってしまうわけです。
どこかに明確な答えがあるわけではない以上、その答えは自分で探っていくほかない。
そこで、これから本編を参照しながら、ガンダムファンがそのめぐりあいを今に至るまで覚えている「ニュータイプ」、作品を用意した富野監督がこの出逢いに意図したものを、私なりに探っていきたいと思います。
<これ以降は当然のようにネタバレ記事になりますので、ネタバレを避けたい方はブラウザバックを推奨します。これから行うことは、映像作品をできる限り言葉で説明するという無粋極まりない行為になりますので、それでもいいという方のみ先へお進みください。>
そのために参照する本編なのですが、先述のように同じ富野監督の作品でも、その作られた時期によってニュータイプとされるものが変わってきてしまうという問題があります。
なのでいっそのこと、ニュータイプと私達のファーストコンタクトまで遡り、宇宙世紀ガンダムの原点である『ファースト・ガンダム』を参照したいと思います。後の作品群もこの『ファースト』から派生した作品という意味では、『ファースト』のニュータイプ像を信じても間違えるということはないはずです。
ただし、その『ファースト・ガンダム』にも二種類あり、テレビ放映版と劇場版三部作*1が存在します。
『特別編』というのはテレビ放映版準拠のいわゆる総集編であり、ダイジェスト版であるため多々の省略された描写があるなど、厳密な意味での原作と言うならテレビシリーズの方を言うでしょう。
しかし、『特別編』になって追加された描写もいくつかあり、それがニュータイプに関する描写です。『テレビ版』は制作の都合上、ニュータイプなる語が終盤になってようやく登場し、それと反比例するようにして作劇が勢い任せともとれるものになっていきます*2。富野監督にしても、おそらく『特別編』の制作にあたって、『テレビ版』では描写不足だったニュータイプというものをなんとか描き切ろうという意図があったのだと思います。
したがって、ニュータイプ描写を中心に参照する場合には、『特別編』の方が適当かと思われます。以後、本編として参照していくのはこの『特別編』の方になります。
『ファースト・ガンダム』の概略
本論は、一応未見の方が読むことも想定して書いています。そこでまずは、ニュータイプという存在を生み出した物語『ファースト・ガンダム』を概略することによって、ニュータイプの発生を用意した世界観を掴んでおきたいと思います。
既にご覧になっている方は、飛ばしてもらって構いません。
→私説 ニュータイプ論考 -中編- - boss01074’s blog
→私説 ニュータイプ論考 -後編- - boss01074’s blog
『ファースト・ガンダム』のあらすじを簡単に説明すると
人類の多くがスペースコロニーで生活するようになった宇宙世紀、宇宙移民者の一部がジオン公国と称し、地球圏を統括する地球連邦に対して独立戦争を起こす。地球出身の宇宙移民者アムロ・レイは、地球連邦の新兵器ガンダムに乗り込んだことで、ホワイトベース隊の一員として戦争に巻き込まれていく。
という話です。
地球連邦
宇宙世紀という時代は、地球連邦が地球圏全体の人類を統治しており、その地球連邦の根本理念は絶対民主制とされています。
この絶対民主制が具体的にどのような体制なのかはわかりませんが、官僚の増大と情実の世、そして資源を浪費する大衆を生んだとされています。
多くの官僚が必要ということは、それだけ多くの政策を実行しなければならないのでしょう。多くの政策の実行が必要なのは、方向性の異なる政策が同時並行で存在するからだと思われます。
世は複数意味がありますが、ここは世論ととってよいでしょう。それぞれの勢力が自分達の利害のみで行動することを許す社会が存在し、そうした社会のバラバラな要請に政府が応えているということでしょうか。
身勝手な要求がまかり通るようになった社会では、日々を無目的に生きることも許されるのでしょう。そうして地球の限りある資源が食い尽くされていっている、これが宇宙世紀における地球の状況のようです。
ジオン公国
この地球連邦に反旗を翻したのがジオン公国であり、今述べたのは、ジオン公国総帥ギレン・ザビから見た地球連邦の腐敗ぶりです。
革命家ジオン・ダイクンの同志であったデギン・ザビは、自らを君主とした公王制を布くことで、ジオンの始めた政治運動を、主権国家ジオン公国として地球連邦に承認させました。
そのジオン公国が地球連邦からの完全な独立主権を求めて起こした戦争の中で、本編の物語は展開していきます。
デギン・ザビの長子であり、ジオン公国で専制支配を揮うギレン・ザビは、人類が腐敗していくのは問題を処理できない地球連邦の軟弱な体制によるものであり、人類全体の繁栄のため、軟弱という悪を蔓延らせる地球連邦を殲滅すると主張します。
腐敗した民主主義体制と、それに反抗する過激な独裁組織。その狭間で戦争に運命を翻弄される人々を描くのが、ガンダムの物語です。
特別編の内容
これから見ていく特別編は、その内容を『機動戦士ガンダム』、『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』、『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』の三部構成にまとめたものです。
それぞれの内容を三行で要約するなら
『機動戦士ガンダム』(『Ⅰ』)
『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』(『Ⅲ』)
と言った感じでしょうか。ガンダムのことを「コナンの元ネタってことしか知らない」みたいな方も、このぐらいフランクに接していいと思います。
ニュータイプとは
ニュータイプを言葉で表すことはできないと言いましたが、では、どのようにしてこの言葉が使われるに至ったのでしょうか。
概念としてのニュータイプ
作品内世界において、ニュータイプという言葉は、ジオン・ダイクンという革命家によって提唱されたとされています。彼は、本編開始時点で既に死亡していますが、他のキャラクターの口を通して間接的に語られるその意味するところは
スペースコロニー居住者は、地球の生活しか知らない人々とは異なった生き方をするようになり、人類の革新たる道を歩むニュータイプという存在である。
というものです。
ジオン公国は、ジオン・ダイクンの提唱したこのニュータイプ説を、独立主権を主張する根拠の一つとしました。
この主張が正しいならば、ニュータイプとは宇宙移民者のことになります。
しかし、彼は現実にニュータイプなるものを見て語ったわけではなく、これはいわば予言でした。ジオンは、自ら謳った人類の革新を目にすることなく死んでしまったため、劇中で描写されるニュータイプが、彼の想定したニュータイプと同一のものかという確証は得られません。
ですが、劇中のキャラクター達が使うニュータイプという語も、ジオンのニュータイプ論の意、あるいはその派生として用いていることは確かであるため、キャラクター達がニュータイプという言葉を発する時も、それが“人類の革新”の意味で使われていることは間違いないと思います。
地球連邦軍の将軍レビルは、アムロからニュータイプの定義を尋ねられた際、彼独自の見解を述べています。
彼はニュータイプを、「直観力と洞察力に優れた人間」とし、その後に、人間の認識力は環境の変化によって拡大する、拡大される認識の限界は未知数と続けているので、その行き着く先がニュータイプである、というのがレビルのニュータイプに対する理解でしょう。
“環境の変化に対応して認識力を拡大させ、優れた直観力と洞察力を持つ人間”。これは、ジオン・ダイクンの言う人類の革新を、彼なりに捉え直したものだと思われます。
地球連邦のニュータイプ観
ジオンのニュータイプ論を認めた場合、宇宙移民者の問題を解決するには宇宙移民者独自の価値観を持った政府が必要であり、彼らの独立自治には正当性があります。
宇宙移民から得られる権益を手放したくない地球連邦にとって、ジオンの掲げる人類の革新が受け入れられないものであることは、想像に難くありません。身体検査を受けた際アムロの受けた印象によると、連邦軍本部の人間達の間でニュータイプ説は信じられていないそうです。
ですが、その地球連邦の人間達から、主人公アムロらの所属するホワイトベース隊はニュータイプ部隊と呼ばれ、新兵器の実験を行わされたりしています。身体検査も、ニュータイプ能力を検査するためのものです。
この矛盾は、どこからくるのでしょうか。
素人の寄せ集めに過ぎないにもかかわらず、軍人達の予測を上回る戦闘記録を叩き出し続けるホワイトベース隊に対して、地球連邦軍内では自分達の常識を超える存在“ニュータイプ”ではないかと見る向きが生まれてきたようです。
地球連邦軍は、奇跡的な戦果を挙げるホワイトベース隊の活躍から、自分達にとって納得できる理由を解明しようとしているわけであり、分析の結果現れてきたデータをニュータイプと見做そうということです。
つまり、レビルのように例外的な人物はいるとしても、人類の革新というイデオロギーは否定して、異能を有した突然変異種としてニュータイプを理解しようというのが地球連邦の基本的なスタンスになります。
ジオン公国のニュータイプ観
一方で、国号にジオンの名を戴いているだけあって、ジオン公国がジオンの思想を継承しているのは間違いないようです。
しかし、劇中で明かされる事実として、ジオン・ダイクンを暗殺したのは、ジオン公国を建国したデギン・ザビだそうです。
ジオンと同じ地球連邦からの独立を目指していたデギンが、なぜニュータイプ論を唱えるジオンを討つに至ったのでしょうか。また、ザビ家が支配するジオン公国は、いかなるニュータイプ観を持っているのでしょうか。
革命家ジオン・ダイクンは、宇宙移民者の独立主権を目指していました。そこでニュータイプ論を唱え、宇宙移民者は地球の軛から脱した新たな人類だとしたのです。
ここで重要なのは、ジオンが意図したのは宇宙移民者達に自身の主権意識を植え付けることであり、あくまで対内的な意思決定の統一プロセスを作ろうというものだったということです。
しかしこのやり方は、地球連邦の影響力を排除するに至らず、ジオンの始めた政治運動は民間レベルに留まったそうです。
そこで限界を感じたデギン・ザビは、盟友でも会ったジオン・ダイクンを暗殺し、ジオンの生み出した主権意識に対外主権を加えることで、地球連邦の影響を排した独立国家の建国に至ったわけです。
そして、その完全独立を達成しようとしたのが、今回の戦争の発端になります。
デギンは、ジオンの思想に見切りをつけていたにもかかわらず、ジオンの思想を利用している都合上、国号をジオンとせざるを得ませんでした。ジオンの思想とは、ニュータイプによる社会の革新であり、ニュータイプとしての政治体制です。
デギン・ザビが作ったジオン公国は、戦争による利権確保という従来のやり方でしか体制を維持し得ない、旧態の君主制国家です。
ニュータイプによる新体制の樹立を目指すために、ニュータイプによる新体制構築を否定したという捩じれを、ジオン公国は建国以来抱えているわけです。
世代論としてのニュータイプ
ジオン・ダイクンの言い方からすると、宇宙生活者にはみなニュータイプとしての可能性があるようです。
それも間違いではないかもしれませんが、この戦争で表されたニュータイプは、地球連邦においてもジオン公国においても、ある特定の人々といった扱われ方をされています。少なくとも現段階では、宇宙生活者がみなニュータイプとは思われていないようです。
一方で、ジオンの遺児であるシャアとセイラのやり取りの中で、以下のようなことが言われます。
これらを論拠とするなら、特定の人々が突然変異としてニュータイプになるのではなく、今はまだ人類がニュータイプとして革新する過渡期であり、宇宙移民者の子孫は世代を降るごとにニュータイプへの目覚めが進むという考えも導けると思います。
劇中最も若い登場人物達であるカツ、レツ、キッカにニュータイプの兆候が見られたことも、この考えに一定の説得力を付与するように思います。
ニュータイプの母胎
ではなぜ、ニュータイプの物語として、中途半端なこの時期が選ばれたのでしょうか。
先に見たように、地球圏全体を巻き込んだ戦争がこの物語の舞台になります。
冒頭のナレーションによると、開戦から1ヶ月の戦闘で地球圏の人口が半減し、そこから8ヶ月の膠着を経たのが物語の開始時期ということになっています。
開戦から物語が始まるまでに、およそ9ヶ月の期間が置いてあります。ここに何か意図を読み取ることはできないでしょうか。
9ヶ月は約270日になります。約270日というのは、ヒトの妊娠期間と一致しています。この戦争を、ヒトの妊娠に喩えることはできないでしょうか。そう考えると、開戦から一月で半減する人口というのは、減数分裂に喩えられないでしょうか。こうやって見てみると、新しい人類を生むための物語という解釈に説得力が出てきます。
ニュータイプとされるキャラクター
概念としてのニュータイプを一応押さえたところで、次は具体的なキャラクターについて、ニュータイプの実像を捉えていきたいと思います。
実は、ガンダム作品の劇中で、キャラクターがはっきりニュータイプだと明言されることはありません。どのキャラクターも、周囲からニュータイプと認定されるにすぎないのです。
それでも、誰かをニュータイプとして据え置くとするなら、やはり主人公のアムロになると思います。『ファースト』の劇中におけるニュータイプという語は、地球連邦軍がアムロをそう見做したというのが初出です。
そしてもう一人、ジオン公国軍ニュータイプ部隊のエースであり、アムロと深い関わりを持ったララァも、ニュータイプだとみて良いでしょう。
この二人を中心に、それに類する能力を持つキャラクター達を、『ファースト』におけるニュータイプとして挙げていきたいと思います。
アムロ
アムロの描写で、他の一般的なキャラクターと異なるものはいくつかありますが、最も分かりやすいのが戦闘中に気配を読むというものだと思います。
特に、額の部分に閃光のようなものが現れる描写は印象的であり、この光を発するキャラクターはニュータイプだとしても良いと思われます。
また、本編の山場の一つである精神の交感現象もあります。ララァ、そしてシャアと意思伝達を行い、ラストシーンではホワイトベースクルーに脱出を指示します。
敵の兵器ソーラ・レイが発射された際には、それを予知したかのような発言も見せています。
他に彼独自のものとして、見えないはずのものへの幻視、死者の声を聴く幻聴があります。
ララァ
彼女はガンダムとの初遭遇に際し、シャアと同じという優しい感じを受け取っており、会敵した時には以前会ったアムロだとわかりました。
セイラがシャアにとって大切な人であることを感知した際には、閃光が走っています。
また、彼女は攻撃に特殊な脳波を用い、ララァの脳波に反応を示したキャラクターも、ニュータイプと見做して良いと思います。
彼女は、予知能力があるかのような描写がされています。
シャア
アムロとララァの交感に反応を示したキャラクターの1人が、シャアです。
ララァのニュータイプ能力を見出だしたのがシャアらしく、逆に言えば、シャアにもララァに反応するだけのニュータイプ的素養があったようです。
彼がアムロと戦闘を繰り広げる際、閃光が現れています。
アムロに執着した最終決戦時には、アムロの気配が把握できるようになりました。
この時点でかなりニュータイプ能力には目覚めているようですが、アムロとの感応がアムロからの一方的な意思伝達だったのか、意思疏通が可能となっていたのかはわかりません。
セイラ
アムロとララァの交感を感知したセイラも、ニュータイプと見て良いでしょう。この時、セイラの頭にも閃光が走っています。
ララァの攻撃に対しても、投げ掛けられた脳波を呼び声として感じていたようで、圧迫感のようなものも覚えています。
最終局面では、白兵戦を繰り広げるシャアとアムロの居場所を感知してもいました。
セイラに関して、アムロにはなかった描写に、リュウの死を感知したシーンがあります。
ミライ
アムロとララァの交感に際して、ミライはよりはっきり、アムロの戦意が失われつつあるのを感じ取っています。
ララァが攻撃をかけた時には、頭を押さえて宙域に対する違和感を訴えています。
戦艦ホワイトベースの操舵手を務めていたからか、終盤にはホワイトベース周囲の敵味方の状態といったことも把握できるようになったようです。
彼女もセイラと同様、リュウの死を感知しています。
そして彼女も、未来を予知したかのような発言を見せています。
レビル
彼は、物語の主要人物というわけではありませんが、ララァの脳波による攻撃に対して、頭痛を感じています。
奇しくもそれは、ジオン軍のニュータイプ部隊をプロパガンダにすぎないと断じた後でした。
ニュータイプ部隊という名称は確かにプロパガンダが目的であり、ジオン・ダイクンの提唱したニュータイプの究極的意義を問うなら、彼の言うようにジオン軍に利用されるニュータイプ部隊は真のニュータイプとは言えないでしょう。
ですがこの感応によって、究極的なニュータイプとは別の形としてのニュータイプを、自分の身をもって証明してしまったとも言えます。
カツ、レツ、キッカ
彼らは、まだあどけなさの残るチビッ子達で、物語の本筋にそこまで関わってくるわけではありません。
しかしラストシーンで、ホワイトベースのクルー達がみなアムロの生還に不安を抱く中、信じ続けていた3人はアムロがクルー達にそうやったように、アムロの脱出を誘導しています。
以上のことから本論では、アムロ、ララァ、シャア、セイラ、ミライ、そしてレビルやカツ、レツ、キッカも『ファースト』におけるニュータイプあるいはそれに準ずる存在として扱いたいと思います。
アムロ、セイラ、ミライとカツ、レツ、キッカの3人は、連邦軍の戦艦ホワイトベースの乗組員であり、いわゆる主人公チームです。レビルはその大きな意味での上官にあたる、地球連邦軍の将軍になります。シャアとララァは、ジオン軍の兵士として登場します。
彼らが感じていることは、他のキャラクター達のニュータイプに関する発言よりも重要度が高いとみて良いでしょう。
この後の流れ
以降の展開としては、彼らニュータイプとされるキャラクター達に注目していきたいと思います。その上で、劇中に見られるニュータイプ描写を取り上げ、そのシーンが示すニュータイプの有様を探るのが、本論の狙いとなります。