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ここでは、劇中でニュータイプらしき描写を見せているアムロ、ララァ、シャア、セイラ、ミライ、レビルに対し、
の順で印象的なシーンをそれぞれ3つずつ挙げていき*1、そのキャラクター性を読み解くことで、ニュータイプとして目覚めるのはどういった人間なのかということを探ってきたいと思います。
レビル
レビルの印象的なシーンは以下の3つです。
オデッサ作戦の作戦会議
オデッサでは、ホワイトベース隊にニュータイプ部隊としての戦力を期待することで、心配する部下を説得しています。
理解できないものに命を預けたくないと言う部下の不安も尤もですが、レビルの主張も論理的であり、シャアを懼れる部下に、懼れることも信じることも、常識を疑うという意味では同じだとしています。
ジオン軍ニュータイプ部隊の迎撃
一方で、敵であるジオン軍のニュータイプ部隊に対しては、プロパガンダだと一笑に付します。
今度は逆に部下からホワイトベース隊の例を出されますが、連邦軍が彼らをニュータイプと見做しているだけにすぎないとし、ジオン軍のニュータイプ部隊、延いてはホワイトベース隊も、真のニュータイプではないとしています。
時間経過とともに認識が変わったとも取れますが、彼が一貫したスタンスを持ったものとして、この矛盾がどこから来たのか考えてみます。
オデッサでは、優秀な兵士という連邦軍本部と同じ意味合いでニュータイプという言葉を使っています。ホワイトベース隊増援用の戦力がないことを部下に認めさせたかったわけで、戦闘力が問題の焦点だったわけです。
ジオン軍のニュータイプ部隊に関しては、プロパガンダということはつまり心理的なものであって、実質的、本質的に捉える必要はないということです。これは部下の不安を取り除くためであり、後に続く台詞もそれを補強するものと思われます。
要するに、一見真逆のことを言っているようですが、どちらも部下の不安を取り除いて戦闘に向かわせるという同じ目的なのです。
以上のことや、ニュータイプに関する私見の類いなどから、私はレビルを「理性」の人と捉えたいと思います。社会的な通念や組織としての立場を超えたところに自分の考えを持ち、非現実な可能性を排除して論理的に思考を組み立て、また状況によっては方便を使い分けることもできる人物。
ホワイトベースへの配慮
ただし、レビルという人がそれだけで終わらないのは、たびたびホワイトベースを庇っている様子があることです。マチルダに命じて、孤立無援だったホワイトベースに補給を行わせていたのも彼です。
ホワイトベース隊の状況を把握しながらも、ニュータイプとして実践投入を継続させていった理由には、使えるものは何でも使うという合理主義の他に、イレギュラーを味方として信じられる度量があったからでしょう。
合理主義とある意味相反する、未知数のものを信じる心。彼のその二重性が表れているのが、本質的なニュータイプとは思っていないホワイトベース隊に対する、「この程度のリスク、乗り越えられんようではニュータイプ部隊とは言えんよ」という厳しくも期待を込めた言葉でしょう。
ミライ
次に、ホワイトベースの操舵手ミライを見ていきたいと思います。
- 『Ⅱ』序盤、アムロの処遇について
- 『Ⅲ』序盤、カムランとの別離
- 『Ⅲ』中盤、スレッガーとの死別
彼女の父親は地球連邦にも影響力が伺えるほどの有力者で、ミライはコロニーを統括する側の家の息子カムランと許嫁の関係でした。しかし、父親が急死してコロニーに移り住み、戦争に巻き込まれます。
彼女はいわゆる大和撫子的なキャラクターであり、戦艦を操縦する有能さを示す反面、出過ぎたことはしない気配りのできる控えめな性格です。
カムランとの別離
そのミライが、唯一意地を張った相手がカムランです。
死線を潜り抜けてきたミライは、捜索費のことを大変な苦労のように語るカムランと、再び手を取り合うことができませんでした。
同じ世界を生きられない以上、カムランのことも死んだ父と同様、過去として今の自分から切り離したい。そう思うあまり、今のカムランすら受け入れられなくなっていたところを、スレッガーに窘められます。
真の意味で今と向き合えるようになったミライは、今までの感謝と訣別の意を込めた「ありがとう」をカムランに告げました。応えられないとわかっている好意を、きちんと受け取れるようになったのです。
スレッガーとの死別
そして、力ずくで自分に前を向かせてくれたスレッガーに惹かれていきます。強引さの中にある誠意を、彼女はちゃんとわかることができました。
しかし、特別な思いを抱いたスレッガーは、ソロモン攻略戦で戦死を遂げてしまいます。
被弾により一時帰投したスレッガーに、ミライは生きて帰ってくるようお願いします。それに対しスレッガーは、いつ死ぬかしれない自分はミライの好意を受け取れないと言い、形見とも取れる指輪を渡そうとします。受け取ればスレッガーへの思いを諦めることを意味する指輪を、それでもミライは受け取るのです。
戦争によって、愛した人と愛された人両方との別離を余儀なくされたミライは、ザビ家を倒す意志を固めました。
アムロの処遇について
軍規違反を犯したアムロをガンダムから降ろそうとブライトから相談された際には、ミライのニュータイプ的なものに対する態度が示されています。
軍人であるブライトはあくまで現実的な立場から、生き延びるにはホワイトベース隊を軍隊として機能させる必要があり、そのためにアムロという不確定要素は排除するべきだという意見です。
一方のミライは、ニュータイプの可能性があるアムロを信じたいと答えます。確証がなかったとしても、人類の革新については肯定的でありたいというスタンスです。
ミライは、自分の直情的な思いを抑え、相手の本質的な感情を酌み取ることができる強さを持った女性でした。さらに過去のしがらみを乗り越えた後では、住む世界が異なる相手とも、同じ今を生きている人間としてそこにある誠意に向き合えるようになりました。
また、自分の理解を超える存在に対しても素直に認め、なるべく見守っていきたいという姿勢をも持ち合わせています。
これを「ホワイトベースのお袋さん」と呼ばれたミライに倣って、ニュータイプ的「母性」の在り方と位置付けたいと思います。
セイラ
次に見るのは、同じホワイトベースのクルーであるヒロインのセイラです。
セイラは、ジオン・ダイクンの遺児で本名をアルテイシアと言い、シャアの妹です。
父親の死後、一時は地球に逃れ、後にコロニーに生活圏を求めるも戦争に巻き込まれ、唯一の肉親であるシャアと敵同士になるという、悲劇的な運命にあります。
背負っている過去の大きさからか、彼女は非常に成熟して見えます。
ランバ・ラル隊との接触
そんなセイラが、兄シャアのこととなると幼い妹そのままで、軍規違反どころか自分の命すら意に介さない無茶な行動をとります。この二面性はかなり強烈です。
敵軍のシャアが行方不明の兄ではないかと疑念を抱くと、敵兵と接触してシャアの情報を得ようと単機で出撃し、危機に陥ります。
その後、敵の捕虜から得た情報でシャアが兄だと確信すると、無事だったことに涙を流して喜びます。
それからは、兄と再会するという目的が戦場に生まれるのです。
パイロットへの適応
先の出撃でガンダムを勝手に動かした咎から、ニュータイプ適性を実験したい軍の意向で、セイラはパイロットへの転向を命じられます。
当初は「できるわけない」と強い抵抗感を示していましたが、戦わなければ仲間を守れないという現実に向き合います。
経験を積むにつれパイロットの腕も確かとなり、やがて出撃に慣れていく自分を受け入れるのです。自分の置かれている状況を把握して現実的に対処できることが、彼女の強さだと思います。
シャアとの再会と訣別
軍に身を置き続けるセイラは、テキサスコロニーで兄シャアと再会します。戦うべき大義を展開するシャアに対して、セイラはなんとか議論で説得しようと応答を試みます。
彼女は、論理的にシャアが戦うべき理由はないことを説いており、その真意は、シャアに戦いを止めて、昔の兄キャスバルに戻ってほしいという一念です。兄の前ではやはり、争い事を嫌うアルテイシアのままだったようです。
しかし、彼女の思いは届かず、シャアは去って行きました。
セイラは、兄に戦いを止めさせるには刺し違えるしかないと覚悟を決めます。兄の戦いを止めることが、彼女の戦う理由になっていくのです。
また、この時に発言した「以前から人の革新は始まっている」、「オールドタイプがニュータイプを生む土壌になっている」といったことは、他に明言している人がいない思想です。「ニュータイプは便利屋ではない」、「ニュータイプに基準なんてない」といった発言や、シャアの議論についていっていることから見ても、ニュータイプに対する理解はかなり深いもののようです。
セイラは、自らを取り巻く現実を客観的に把握できる上、聡明で対処を間違うことが少なく、新たな状況に対する適応力もあります。
しかし、彼女の中には幼いアルテイシアの人格が未だ残っており、兄への執着が戦いを望まない彼女を戦争に引き込んでいきます。兄を戦いから遠ざけたいあまりその兄を殺す決意を固めるのは、大きすぎる因果に翻弄された少女の、情愛が見せる最後の抵抗だったのかもしれません。
シャア
ではセイラの兄で、主人公アムロのライバル、シャアを読み解いていきます。
キャスバルからシャアへと名前を変えた彼は、父ジオンを殺して国を牛耳るザビ家へ復讐するため、ジオン軍に入りました。
ガルマの国葬A
ザビ家末弟ガルマの謀殺に成功したものの、その後やさぐれてしまいます。
語られるシャアの胸中A
一時うらぶれるも、戦線復帰後はまた強い意志で行動する姿を見せます。
ララァという協力者を得て、セイラに語ったところでは、ザビ家打倒は単純な復讐心ではなく、父の悲願ニュータイプの時代を達成する過程だそうです。父ジオンの死は、人類の革新を否認する存在、地球連邦とジオン公国のせいなので、この両者を倒すために軍にいると。
ところが、直後にザビ家長女キシリアには、ニュータイプによる時代の変革を見たいとのみ答えています。自ら新しい時代を築くというのが大それた野望だと、シャアにもわかっていたのかもしれません。
アムロとの決着A
人は流れに乗るべきであり、ニュータイプの有様を示しすぎた危険な存在のアムロは、最強の兵なので殺すと語ります。
旧体制護持の番人としてニュータイプが何より優れていることを示したアムロを殺すことで、ニュータイプを新しい時代の担い手という本来的な役割に戻す。野放しにできないので同志になれという言葉からも、そう考えていい気がします。
シャアの意思は二転三転しますが、劇中最もニュータイプに拘るこの男を理解するため、何か一貫したものを見出したいと思います。
キャスバル期は「ザビ家に(ジオン国を)追われ、地球にも住めず」と、完全に落ちぶれた時代の遺児だったようです。
理不尽な処遇やそれすらも顧みられない状況に、彼は革命家だった父の死を行動原理に据えることで、自分の生を時代の中に意味付けようとしたのではないでしょうか。没落の象徴キャスバルを捨て、ザビ家への復讐という大義に自己を見出そうとしたのだと思います。
ガルマの国葬B
名前を変え、仮面を着け、復讐の端緒に成功しますが、そこでシャアは虚しさに襲われます。
ザビ家は、シャアを復讐者として成り立たせる存在です。シャアは、ザビ家討滅が自己の根底を消し去るに等しいと気付き、復讐者でありながらザビ家を滅ぼせないという矛盾に陥ったのではないでしょうか。
語られるシャアの胸中B
そんなシャアにとって、ララァとの出会いは救いだったと思います。
人の革新たるニュータイプを世に開放することこそ、大義を抱く者が為すべきことではないか。復讐に生きたこれまでの人生も、父の悲願だった新しい時代を築くためではなかったか。
そうして過去を正当化しつつ、新たな大義を背負います。
しかし、そのララァが敵のニュータイプに撃たれると、選択を誤ったのではという悔恨が生じたのではないでしょうか。
ララァを失い、進むべき道も知れず、絶対に正しいという自負も無くしたシャアは、初めて自らの敗北を認めます。
アムロとの決着B
ニュータイプ非難に転じたのは、その反動かもしれません。ニュータイプを信じた自分の正義が間違っていたのではなく、正義さえも覆すのがニュータイプであり、正義を貫く自分にはむしろ危険だと。アムロを否定することに、正義を求めたのだと思います。
あるいは、ニュータイプが死ぬ必然が欲しかったのかもしれません。「同志になれ」も、ララァの死を肯定するにはという発想ではないでしょうか。
シャアは、ニュータイプの世界を作るためにニュータイプを殺すというさらなる矛盾をも抱えます。
シャアが仮面を着けているのは、過去を捨てるためでしたが、その行動は仇討ちという正しく過去に縛られたものでした。シャアの複雑な思考や言動は、掲げる大義との間で矛盾する自我から来るものですが、それでも彼はその矛盾を超克しようと現実の中で足掻き続けます。
人並みに良心を持ちながらも、必要とあらば感情を殺して行動でき、大局を見据えながらも、常に個人の内に矛盾を孕み、因果からの解放を望みながら、その因果からしか自身の行動原理を構築できなかったのがシャアという男だったと思います。
アムロ
次はいよいよ、主人公アムロを見ていきます。
- 『Ⅱ』序盤、ガンダムの持ち逃げ
- 『Ⅲ』中盤、ソロモンに悪鬼を幻視
- 『Ⅲ』ラスト、仲間の元への帰還
地球生まれのアムロは、連邦軍技術者の父とコロニーに移住しました。
人付き合いは苦手でしたが、他人への好感が全くなかったわけではなく、ジオン軍の襲撃に逃げ惑うフラウを見たことで彼の中の情熱に火が付き、ガンダムに乗り込みました。
周囲との関係を築けない少年にとって、家族だけが唯一の拠り所でしたが、戦争によってその家族との関係は崩壊します。
地球に残った母親と再会を果たしますが、母は戦争の世界に身を置く息子を受け入れませんでした。
戦災で行方知れずだった父親も、寂びれた修理屋で軍の役に立っているという妄想に取り憑かれ、息子の無事よりガンダムの戦果を喜んでいました。
もはや家族とも世界を共有できないことを、アムロは悟ります。
ガンダムの持ち逃げ
やがて彼には、ガンダムが唯一の居場所となります。
初め、死の危険を顧みられない状況に、身を守るための搭乗すら放棄しかけますが、戦果を評価してもらえたことと、弱い者を守るという意志を見出だしたことで、ガンダムへの搭乗を受け入れます。
また、母との別離と前後してマチルダに認めてもらったことも大きかったですが、やる気になるあまり命令無視をしてガンダムを降ろされそうになり、ガンダムごとホワイトベースから脱走します。
そこで大人の雰囲気を纏う敵将ランバ・ラルと出会い、彼に一人前と認められたいという思いから、戦士としての自覚が芽生えます。
こうして、ガンダムはアムロの自己表現装置として機能していきます。
激しさを増す戦いで戦士として成長を続ける一方、アムロの中に特別な感覚が芽生えます。
ソロモンに悪鬼を幻視
撃墜されてなおジオンの栄光を叫び、ガンダムへ対人ライフルを撃ち続けるドズル・ザビの背後に、アムロは禍々しい影を見ます。
ドズルは、家族愛を見せる人間でした。その男が狂気に憑かれたのは、全てジオンの栄光のためです。軍人達から人間性を剝奪していく、ザビ家の訴えるこの恐ろしい妄執が、ニュータイプに覚醒したアムロには幻影として見えたのではないでしょうか。
幻影を見たアムロは、ザビ家を倒す意思を固めたのだと思います。
戦う意味を問われたアムロは、掲げる正義は曖昧でも、人間の可能性を阻むものには対抗すべきだと答えます。理想の中に正しさを見出すのではなく、今ある人間性の保持がアムロの戦う動機です。
ニュータイプの覚醒を始めたアムロは、中立コロニーでの出会い以来、感応を示していたニュータイプの少女ララァと、遂に戦場で相見えます。
戦場という修羅場で精神の邂逅を果たした二人は、敵同士である互いの運命を儚み、一時戦意を失いますが、最終的にアムロはわかり合えたララァを自らの手にかけてしまいます。
仲間の元への帰還
最終決戦に臨む段には、クルーとのやり取りも達観の域を見せます。
アムロとの決着に拘るシャアに対し、アムロの方ではララァを戦場に引きずり出したシャアに怒りを覚えるも、ザビ家を倒すことが先決だという意志を見せます。
シャアとの戦いで傷付いたアムロは死を覚悟しますが、ララァの声を聴き、ホワイトベースクルーの誘導、そしてア・バオア・クーからの脱出に至ります。大切な人も、ガンダムも失った戦場から帰れる場所を見出して、アムロの戦争は終わりを告げました。
孤独な少年が、戦争という大きな社会に出ていく中で両親と訣別し、ますます孤独を深めていくも、アムロには最後まで仲間を気遣う良心があり続けました。ナイーヴで時に反抗的な姿勢は見せても、現実に対処する能力は発揮し続け、残酷な運命を嘆きながらも、今を生きる人間を信じ続けました。そして最後は、仲間の内に祝福を見出すのです。
様々な挫折を味わったアムロは、自らの限界に自覚的であり、自分を過度に信じることもありませんでした。しかし、ララァとの出逢いがあった今という時に生きていることを、完全に否定することもしませんでした。だからこそ、周囲を信じて動き続けるキャラクターであり続けたのだと思います。
ララァ
それでは、アムロとシャアの両者と関わったララァについて見ていきたいと思います。
アムロとの出会い
彼女が初めて登場するのは、アムロが父親と再会した直後でした。
雨宿りに立ち寄ったアムロの前で、彼女は白鳥の死を予知し、「かわいそうに」と呟きます。驚いたアムロが話しかけようとすると、死を悼むことを不自然であるかのように問うアムロに明らかな不快感を表します。
ですが、雨が上がるとアムロの目を覗き込み、「綺麗な目をしているのね」と笑って、何事もなかったかのように駈けていきました。
シャアとのやり取り
その後、シャアと向かった先のコロニーにアムロが現れると、アムロを感知した際の反応をシャアと同じ優しい感じだと言います。
ララァの言葉にシャアが嫉妬のような反応を示しているので、シャアはララァに特別な感情を抱いていたようです。そんなシャアにアムロのことを話してしまう程、ララァは素直であるとも言えますし、シャアのことを信用していたとも言えます。
冷静になったシャアが敵と通じ合えても戦えるかと確認すると、ララァはシャアを守っていきたいと答えました。シャアがララァの愛に応えられないと言っても、女としての節を通したいだけだと述べます。
ここからララァの愛情の在り方がわかります。彼女は信義として愛すべき人に情熱を注ぎ、そのことに満足を見出だすのです。自己本位とも見れますが、自律的に人を愛せる女性なのだと思います。
アムロとの邂逅
シャアに守られながらも、ララァはガンダムのパイロットに対し感応を深めていきます。
シャアを守りたいとするララァは、アムロが孤独な人間だと喝破し、アムロとの出逢いそのものを呪うような言葉でアムロを責めます。
恩に報いるために命を捧げるというララァは、人の世の真理を実践しているのだと主張するも、人のために戦うのがこの世の真理なら、アムロとの出逢いも人の繋がりではないのかという現実を突きつけられます。
今まで仕掛ける立場だったララァの精神は、否定し得ない現実に、悲鳴を上げて飛び退きました。
アムロとの出会いがシャアに救われる前であれば。ララァとの出会いがアムロの守るものであれば。わかり合えた2人は、自分達の運命の残酷さを嘆きます。
戦意をなくした両者を危ぶんで、それぞれの味方であるシャア、セイラ、ミライが引き離そうとし、シャアの介入で2人は引き裂かれました。
ニュータイプ同士のめぐりあいは、ララァの死という悲劇で幕を引くのです。
戦争で命を散らすには、ララァはあまりに純粋でした。
パイロットになったのもシャアを守りたいという一念であり、その言葉通りの最期を遂げます。シャアを愛するのも自身の信義からで、本心そのものだったでしょう。それでも、あるいはそれゆえに、悪ではないとわかってしまったアムロに対して敵意を向けることができなくなってしましました。
物事に際し天衣無縫で、人を愛したララァの死は、因果の残酷さを教えるとともに、それを乗り越える意志をアムロに残しました。
キャラクターとしてのニュータイプ
キャラクターとしてのニュータイプの要素をまとめると、まず、孤独と直面する経験があるかと思われます。ミライ、セイラ、シャアそしてカツ、レツ、キッカはみな親を亡くしています。アムロの母親は生きてこそいるものの、アムロを受け入れてくれませんでした。
次に、物事を見る純粋な目というものがあります。純粋そのもののララァ以外に軍に反発しがちなアムロも、現象と社会の認識との間にある差が耐えられないのでしょう。セイラやミライも、軍に不審を抱く様子は同様です。組織の立場や固定観念にとらわれず、事象をありのままで受け入れる態度があることで、認識の枠組みを広げられるのでしょう。
その上、理性でもって物事を考えられるということです。軍で孤立していた節もあるレビルは、連邦軍の主流層とは異なる見解で動いています。シャアは、常に理性で自分の行動する意義を構築し続けていました。他のキャラクター達も、自分の意思でもって戦いに身を投じるという選択に至ります。
また共通しているのは、ニュータイプという未知のものを信じられるということです。現実を見る目とは別のところで、希望を受け入れようという心が働き、可能性を見守りたいと思えることです。
そして、現実へ対処する意志を持っていることです。ここに挙げられるキャラクター達からカツ、レツ、キッカに至るまで、自分を取り巻く世界に対して能動的に働きかけようという姿を見せています。
では、そこに見られる意志とはどういうものになるでしょうか。セイラは、兄個人への一途な愛で行動しました。シャアの方では、あくまで大義で動くことに拘ります。アムロが戦うのは、目の前の人間が否定されないためです。ララァは、人を愛することを信義として生きました。
対象とするものはそれぞれであれ、ニュータイプ達はみな自分以外の人のために行動できるキャラクターのようです。
純粋な目で把握した現状認識を、個人の理性的に判断し、孤独を知りながらも他人を受け入れる態度を持ち続ける人。
そして、愛した人のためや、目の前の人間を守るため、世界の可能性を信じてなど、自分個人の利害を超えたところに行動原理を置き、現実へ働きかける意志を持てる人々がニュータイプとして覚醒すると結論したいと思われます。
*1:ちなみに3という数字に特に意味はありません。