似蛭が断ち切ったもの どろろ4話 感想

 

 現在放映中のアニメ『どろろ

 作り手のこだわりを感じる非常に優れた良作アニメなんですが、周りに見ている人間がおらず、感想を語ることができないので、ここに書きます。

 4話『妖刀の巻』のどこにシビれたのかを書いていきます。ネタバレ全開で書いていくので、あしからず。

 

 冒頭、雨の社に参拝に来る女、お須志。雨宿りをしていたどろろは何を祈っているのか尋ねる。戦に出たっきりの兄が帰って来るように。それが女の願いだった。

 雨の中立ち尽くす百鬼丸に声を掛けようとする。聞こえないから無駄だと、女を止めるどろろ。女は言う。雨の音を聴いている。そんな風に見えると。

 突然、妖の気配に走り出す百鬼丸。後を追うどろろ。往来に出ると、大量の死体と血溜まり。最初、どろろは慄いて後ずさる。

 でも、似蛭を手にした田之助に襲われ、どろろは血溜まりの中に足を踏み入れる。どろろの足にべったりと血の張り付くカット。

 田之助百鬼丸の戦闘に入り、百鬼丸の作り物の足に似蛭を取られて、田之助と似蛭は崖下へ転落。

 百鬼丸の足を回収に来たどろろは、似蛭の放つ禍々しい気配を忌み嫌って、捨てようと手を触れてしまい、似蛭に体を乗っ取られる。

 一方で、似蛭を失い倒れ伏す田之助を見つけたお須志。田之助こそ、お須志が待ちわびた帰らずの兄。お須志は田之助を連れ帰り、介抱する。

 田之助が戦に出たのは、妹が暮らす家を守るためだった。しかし、田之助の仕えた殿様は戦争に染まった男で、純朴な田之助に無抵抗の人間を斬るように迫る。無理矢理掴まされた似蛭に体を奪われた田之助は、その狂気に魂まで明け渡し、殿様まで斬り捨て、人斬りと化した。

 田之助が狂気に憑かれ放浪する間、彼等の家は廃れ、お須志は行商人に身をやつしていた。頭巾が外れ、お須志のざんぎりの頭が顕になる。お須志は髪を売った。家も無くし、武家の娘としての地位を売り払った。なぜなら、家を守るための戦で、殿様が似蛭を手にした男によって斬られたから。

 それでも、とお須志は言う。もう元の暮らしには戻れない。兄と妹が離ればなれになっている間に何もかも変わってしまい、二人の家は完全に無くなってしまった。それでも、田之助が戻ってきてくれるなら、自分はまだ生きていけるのだと。

 覚えてる? と、お須志は田之助に尋ねる。兄は昔、幼い妹によく折り鶴を折ってくれた。今では鶴を折れるようになったお須志が、昔の兄を思って鶴を折っている。語り掛けるお須志に、田之助は窓の外を眺め、似蛭の呼び声を聞いていた。

 ふらふらと彷徨い歩くどろろを見て、周囲は辻斬りだと警戒する。自分の力じゃどうしようもない現状に苦しむどろろの前に、百鬼丸が現れる。

 そうだ、百鬼丸なら、自分を何度も窮地から救い出してくれた百鬼丸の兄貴なら、今度も自分を助けてくれる。どろろの顔が安堵に緩んだのも束の間、百鬼丸どろろに襲い掛かる。

 違う、俺は化け物じゃない。操られているだけだ。そう言うどろろもすぐに悟る。これまでも百鬼丸は化け物を斬っていただけ。たまたま自分がその場に居合わせただけ。今回も同じように化け物を斬るだけだ。自分は化け物じゃないと言ったって、聞こえないから無駄だ。

 追い込まれ、観念するどろろ。そして、百鬼丸どろろの手から似蛭を弾き落とす。ちゃんとわかっていたのだ。声が聞こえなくたって、化け物とそうでないものを。自分のことを。

 どろろが落とした似蛭を、再び田之助が拾い上げる。田之助百鬼丸、二度目の戦闘。

 どろろは体は乗っ取られたが、魂までは渡さなかった。田之助は、既に身も心も似蛭に捧げてしまった。どろろの時と違って百鬼丸が似蛭を叩き斬った時、田之助の命も同時に百鬼丸に斬られた。

 それを見たお須志。もう動かない田之助に寄り添い、泣き崩れる。似蛭を斬ったことで、百鬼丸は聴覚を取り戻した。

 初めに聞こえるのは、騒音。耳をつんざくノイズが収まってくると、底には女が泣く声が響いている。いつから泣いていたのかわからない女の声は泣き止むことのないまま、やがて雨の音に呑み込まれてかき消されていく。延々と降りしきる雨の音だけが、百鬼丸の耳には残り続ける。

 物語のラスト、雨の上がった社で、二羽の折り鶴が寄り添うことを許されていた。

 

 どろろ、毎回神回なんですけど、この回も美しすぎましたね。

 毎話、話をまとめるオチに凄みがあって、非情な話の持っていき場所にここしかないって強度を担保してくれるというか。この世の報われなさからの突き放し方と、人情に生きる人々との距離感が絶妙で。

 今回は少しわかりやすいくらい伏線を張っていて、冒頭がそのままクライマックスに直結するパターン。

 どろろが血溜まりに足を踏み入れるのは、百鬼丸が歩む血塗られた世界に、今回はどろろもタッチしますよっていう宣言。忌避するけどやむを得ず巻き込まれるっていうのが、似蛭を握る手順と完全に一致。

 人間なら似蛭に血を吸われたかもしれないが、体が似蛭と同じ作り物の百鬼丸は斬られなかった。百鬼丸の足と似蛭は、一緒になって持ち主から離れていく。

 田之助は元の純朴そうな顔から人相が完全に変わってて、夜叉の顔になってたんだけど、5年ぶりに再会した兄があんなんになってたら、俺ならその時点で泣き崩れてる。まあお須志的には、死んだと思ってた兄だから生きてるだけマシってことなのかも。

 社で会った感じだとそこそこたくましさを感じるお須志だったけど、髪を隠す姿は敗者の顔だった。零落の貴族の儚さと、それでも誇りを捨てて生き抜こうと決意した気丈さと、にも拘らず今の自分の境遇を恥ずかしく思ういじらしさとを、このシンプルな表現で全部表してる。

 しかもその原因はおそらく国が合戦に負けたからで、なんで負けたのかというと殿様が死んだからで、その殿様を殺したのは家を守るために戦に行った田之助っていうところが酷すぎる因果。

 もう元の無垢な兄と妹には戻れない。けど、どんな形であろうと田之助と一緒に暮らせるならそれでいいって今を受け入れようとするお須志も、気丈な女性で素敵。でもそれは無理な話で、田之助にはお須志の言葉は届いていない。お須志が受け入れようとする今に、田之助は帰ってきてない。それがお須志には見えていない。か、もしくは見ようとしていない。

 似蛭に振り回されるどろろ百鬼丸を見つけて安堵するのも、どろろが心の底で百鬼丸を信頼してるって描写になってていい。無頼のような振る舞いの1話と比べると、どろろに他人を頼りたいっていう人間的な感情を表出させてる。

 百鬼丸が自分を斬ろうとしてるってどろろが勘違いするところで、効いてくるのが冒頭。耳を持たない百鬼丸に話し掛けたって無駄だって、他ならぬ自分の口で言っちゃってるどろろだから。百鬼丸どろろを認識する可能性を、どろろ自身では手放してる。

 そして田之助百鬼丸、二度目の戦闘。似蛭に魂を預けた田之助と、人が持って生まれてるものの大半を失って生まれてきた百鬼丸。この二人は同類として対置されてる。どちらも人の世の業の被害者。血塗られた道しか歩めないという意味では、両者に違いはない。

 違いがあるとすれば、人間を捨て切った田之助と、人間になりつつある百鬼丸田之助はお須志の元へ帰ることができず、百鬼丸どろろを斬らずに済んだ。そう考えると、田之助とお須志の関係は、百鬼丸どろろの関係の写しになっている。お須志ができなかった鬼を人間に戻すという大事を、どろろが果たすことがてきるかがどろろが主人公になれるかの別れ道か。

 聴覚を取り戻した百鬼丸の演出も凄味が効いてる。初めて世界の音が、百鬼丸に襲い掛かってくる。どうすることもできないまま、百鬼丸は女の泣き声を聞く。そして人の声にオーバーラップして覆い尽くす雨の音。

 魑魅魍魎渦巻く世の中で、打ちのめされた人の泣く声はいつでも静かに響いている。百鬼丸に、雨の音を聞く姿を見たお須志は、帰らない兄を待ち続ける自分の声、因果に打ちのめされる自分の泣き声を聞いた。しかし、百鬼丸にはその泣き声も遠かった。百鬼丸が聞く雨の音は、人の悲しみが過ぎ去っても、悲しむ人がいなくなっても降る雨の音。人の悲しみに触れられない百鬼丸には、いつまでも無常に降りしきる雨の音だけが聞こえていた。

 そしてカメラが戻ってくるのが冒頭の社。時は戦国の世で、中近世っていうのは憂き世の苦しみに耐えて極楽往生を願おうってことで人々の信仰心が非常に強かった。この時代の神様仏様っていうのは、魂を救ってくれる方々で、この世で不可能なことをあの世で叶えてくれる。

 お須志は、帰らぬ兄が自分の元へ帰ってきてくれることを願った。でも現世の兄は、戦ないし似蛭に囚われて、帰ってくることはなかった。なぜなら、お須志の方も髪を切って身をやつし、二人の家は無くなってしまったから。人の世の悲しみに、二人は変えられてしまった。

 でも二人の魂は、憂き世の業から解放されたあの世では、二人はもう一度一緒になれるはずだ。だってお須志が祈りを込めて折った折り鶴は、二人が変わってしまう前の、一緒に居た頃の思い出だから。お互いが寄り添い合えた頃のままの折り鶴を、神様は見てくれているから。

 という、時代背景を踏まえた上での有り得るハッピーエンドに落とし込んだとこまで含めて演出がキマりすぎててシビれました。

 

 みなさん、どろろ見ましょう。