ヒーローにして社会の負け犬 『タクシードライバー』感想記事

 

まくら

 「承認欲求」という言葉が流行ってます。元々は心理学用語ですが、まあ俗語の「他人から評価される自分でありたいという欲求」の意味合いで大丈夫でしょう。

 日常生活で他人からの評価は目に見えませんが、SNS上ではそれが可視化されるため、この欲求はより加速されます。

 つまり、この承認欲求に根ざした問題は、現代の社会にとって無視できないものなのです。

 ところで、SNSが流行る以前、どころか多くの人々が特定の価値観を共有していたとされる1970年代に、この承認欲求の問題に絡んだ映画が作られています。

 それがマーティン・スコセッシ監督タクシードライバー(1976)です。

 この映画は、欺瞞に満ちた社会で、孤独な青年が承認欲求を満たすことができず、暴力を心の拠り所としていくという作品です。時代背景は違えど、そこで描かれている苦悩は現代の我々にも刺さる普遍的な問題提起となっています。

 以下、現代に根ざす問題を孕んだ不朽の名作『タクシードライバー』について、その魅力を紹介していきたいと思います。

 なお、ネタバレを避けたい方はブラウザバックを推奨します。

 

 目次

  

作品紹介

あらすじ

 舞台は1970年代のニューヨーク、タクシードライバーのトラヴィスは、不眠症に苛まれながら夜の街を彷徨い、孤独感と閉塞感から抜け出すきっかけを探し求める。

 トラヴィスは、都会的な雰囲気を纏うベツィとの出会いで、惨めな自分の状況を変えようとする。彼女は個性的な彼を気に入るが、明らかに異質な彼を早くも拒絶する。

 社会の腐敗に苛立ち、またそんな社会に居場所を見つけられないトラヴィスは、社会の欺瞞を討つ準備に入る。不安が解消される昂揚感で暴力への信奉にのめり込む一方、社会との繋がりを完全に断ち切る道を歩もうとする自分に絶望する。

 かつて助けられず心残りだった娼婦アイリスを探し出したトラヴィスは、娼婦を辞めるよう説得するも、自身の復讐を辞めない彼の言葉は、彼女の心を動かすに至らなかった。

 決行された計画は阻止される。捌け口を失った狂気は目先にあった悪意へと向かい、アイリスの属する売春宿を襲撃する。

 トラヴィスは新聞に称揚され、感謝の手紙をもらい、ベツィと再会を果たす。不安の消えた彼のタクシーは、夜の街と同化して消えていくのだった。

 

舞台設定

 舞台となる1970年代のニューヨークについて。

 世界最大の金融都市ニューヨークは金融危機で大打撃を受け、連邦政府からの借金がなければ財政破綻を免れ得ないという極めて致命的な経済状況にあった。

 帰還兵ら失業者が溢れ貧困に喘ぐ街は、68年キング牧師暗殺以降の黒人運動過激化とともに、69年ストーンウォール反乱をきっかけに性的マイノリティの運動も過激化する。

 アメリカ最悪の治安となった腐敗した街には犯罪が蔓延り、市民の生活は不安と退廃に晒されている。ヒッピーという価値観がオルタナティヴとして機能したのもこの時期。

 華々しい外見の裏では借金で街の経済を保ち、夜になれば闊歩する密売人と売春婦から利益を上げるギャングがのさばる街。そんな欺瞞に満ちた都市が、本作の舞台だ。

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街の雑踏を行くトラヴィス
街の暗部を忘れ、昼の世界に生きようとしている。

 トラヴィスほど行き過ぎてはいなかったにせよ、社会や自身に対する閉塞感は当時のニューヨーク住民を蝕む普遍的な毒であり、ベツィとアイリスにおいても例外ではない。

 『タクシードライバー』はトラヴィスという一人の異常者の物語ではあるが、当時のニューヨークの姿を無数に流れるタクシーの一つから切り取ったものだ。つまり、この作品のもう一つの主人公はニューヨークという街そのものであり、それゆえ“Taxi Driver”というシンプルなタイトルが付けられている。ラヴィスはヒーローなどではなく、街に生きる数多くの孤独な小市民の一人なのだ。

 

登場人物

ラヴィス

 主人公はトラヴィス

 帰還兵の彼は、街に居場所がなかった。無為に過ごす日々に不眠症を患うと、社会と交わるため街を走るタクシードライバーになる。指示された目的地があれば、彼は躊躇しない。仕事終わりにポルノを見て、彼の一日は終わる。

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寝癖で面接を受けるトラヴィス
冒頭のシーンで、彼が“ズレ”た男だとわかる。

 雑然とした部屋で日記を付ける彼は、身の回りを管理できないが、自意識と向き合うことに必要以上にエネルギーを割く。日記の中で彼は自尊心を保持し、社会を軽蔑して、超然とした自己を保っている。清潔感とは違う潔癖性だ。

 取り残されたくないが、落ちぶれるのはご免。先行きの見えない不安から解放されたいが、どこへ向かえばいいのかわからない。孤立する不安と自己を保持したい潔癖。居心地の悪さと方針の欠如。相反する欲求が彼の自己を引き裂き、極端な行動へ走らせる。

 

ベツィ

 トラヴィスが自分を劣等感から救い出してくれると期待した存在が、選挙事務所で働くベツィだ。

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“organizized”されていない彼に興味津々のベツィ
レコードの話なんかより、親指と小指でタバコを吸えるか聞いた方がよっぽど盛り上がったろう。

 トラヴィスの言葉がベツィの心を捉えたのは、彼女が刺激を求めていたからだ。仕事は順調、人間関係の悩みもない彼女は、それゆえ満たされていなかった。

 ベツィを演じるシビル・シェパードはまだ演技経験が浅かったようで、にもかかわらずか、あるいはだからこそかもしれないが、退屈を憂うアンニュイな魅力を表現している。

 

アイリス

 恋人役のベツィの他に、本作にはもう一人ヒロインがいる。娼婦のアイリスだ。

 計画の決行が迫る終盤、自身に絶望するトラヴィスの良心が彼女の存在を求めた。

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頑固者のトラヴィスが可愛くなったアイリス
星座占いは、彼女が現状に納得するための言い訳だ。

 12歳ながら聡明な彼女は、トラヴィスよりずっと社会に適応しているが、それゆえ彼と同じく夜の街に生きる自分がスポーツの庇護なしに生きられないこともわかっている。

 同時に温情のある人間でもあり、一方的にまくし立てるトラヴィスの言葉を、劇中唯一理解してくれたのが彼女だ。だからこそ、スポーツにもトラヴィスにも優しく接してしまうのだろう。気落ちして帰ろうとする彼を慰め、朝食に誘う。

 ジョディ・フォスターの演技は素晴らしく、すれた芝居から聡明さや憂いを感じさせる表情や仕草、トラヴィスに見せる温情や年相応の笑顔など、パーフェクトと言える。

 

暴力について

 物語を通してトラヴィスは苦悩し続け、次第に暴力に心酔する。彼が追い詰められ暴力に心を奪われていく、要因、過程、末路を、周囲との関係を軸に探っていきたい。

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買い揃えられた銃
ラヴィスが依存し、自己実現を助けた力。

手にする要因

歩く矛盾

 ベツィと交際し始めたトラヴィス。大人として認められたい欲求と彼女個人への情熱的な愛とが別々に存在する彼の言葉はちぐはぐだったが、刺激を欲していた彼女には、突拍子もない言動の彼が魅力的に映っていたのか好感を示す。

 トラヴィスは彼女を映画館に誘うが、それがポルノだと知ってベツィは強張る。彼の説得で一度劇場に入るが、耐えきれなくなって席を立ち、そのまま喧嘩別れとなった。

 彼にとってポルノ映画は日常の一部であった。自分のことを知ってもらうのが、おかしな要求だろうか。彼の社会からの孤立ぶりは、痛ましすぎて喜劇にまで転落する。一方、興味や冒険心から踏み出したものの、その俗悪さに甚だしい侮辱を感じた彼女の中で、異質性への興味より不快感の方が優位に立つ。

 その後完全に拒絶され、トラヴィスはベツィを諦める。やつれた彼の姿が痛々しい。一度受け入れているだけに質が悪い。劣等感は、より一層ひどくなる。

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ベツィ=社会に背を向け歩き出すトラヴィス
健康は気の持ちようと言った直後のシーン、すっかりやつれきっているのが痛々しい。

 

どうせ負け犬、どうにもならん

 ここで、今まで積極的に交わろうとしなかった仕事の先輩を頼る。

 彼はトラヴィスが話の輪に入れるよう気を遣ってくれたりするが、同僚のように無頓着でいられないトラヴィスは、下らない会話に自ら入っていくことはない。

 惨めな状況を変えたいと漏らしたトラヴィスに、悩みなんか忘れろと言う先輩は間違っていないが、唯一その苦悩がプライドのトラヴィスにそんな選択肢はない。26の男が負け犬の人生から抜け出したいと悩む。愚かな足掻きと切り捨てるには、あまりに痛ましい。

 

大改革が必要だ

 自分の人生の先にいる先輩から即物的な助言しか得られなかったトラヴィスは、孤独感と閉塞感を深めながら、テレビの中のパランティンを見つめる。

 自分を裏切ったベツィが従事する存在。所詮「冷たくてよそよそしい人間」の彼パランティンに、負け犬の自分を無視していないか思い知らせるという思いが彼に去来する。

 彼との接点はタクシーに乗せた一度だけ。彼はパランティンに大人としての理想を見ると同時に、社会の欺瞞の象徴として憎しみを抱くようになっていた。

 

心酔する過程

雨を待ってる

 物語開始時のトラヴィスは、クズどもを洗い流す雨を待っている。自分の外からもたらされる救いを。タクシーの仕事は、彼の不眠を和らげてはくれなかった。

 価値を認めてくれると思ったベツィには逆に貶められ、職場の先輩は全く頼りにならない。孤独を埋めようとして交わった社会で、彼はますます孤独感を募らせる。

 一方、巷で晒される黒人による暴力の気配。大改革が必要とパランティンも言った。自分を裏切る欺瞞に満ちた社会を、誰かが変えてくれなければ。

 

真の力

 妻の不倫を見張る男から銃の魅力を聞かされていたトラヴィス。虚無と孤独の日々に耐えられなくなった彼は、社会に自分を知らしめるため銃を求める。

 クズども消し去る血の雨を自分の力で降らせようと思い立ったのだ。荒唐無稽なほど大いなる目標ができた彼は、地獄のような閉塞感からも脱する。

 外的な状況を変えられなかったトラヴィスは、自己肯定感を高める暴力へ陶酔し、依存した。圧倒的な孤立と引き換えに、彼は承認欲求への渇望から解放された。

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暴力に陶酔するトラヴィス
不健全な思考にハマることで、逆に肉体的な健康を取り戻していくのが切ない。

 

Late for the Sky

 議員の演説会場に出向き、なぜかトラヴィスシークレットサービスに話しかける。銃を持ったことで、彼はヒーローと対等になったつもりだった。

 黒人による強盗の現場に居合わせたトラヴィスは、持ち歩いていた銃の引き金を躊躇なく引く。彼にはもう、悪に向けて暴力を行使する準備ができていた。

 両親に生活が充実していると嘘の手紙を書きつつ、TVドラマが流す欺瞞的な世界をもはや許容できない彼は、自身の現実に絶望する。

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社会から外れてしまった自分に頭を抱えるトラヴィス
暴力の使徒を望みつつも、良識を捨てきれない小市民として苦悩するのが彼の悲哀だ。

 

囚われた末路

助けたいんだ

 自尊心を取り戻すため、トラヴィスはかつて助けを求められた娼婦を探す。

 彼女アイリスの逃亡の意志を問い詰めて助けてやると言うも、逃げるつもりはないと言われ気落ちする。不憫に思った彼女は、また会いたいと言う彼を朝食に誘う。

 朝食に付き合いながら彼女を説得するトラヴィス。家に居場所がないと言うアイリスに子供は家に居ろと正論を押し付け、彼女のヒモでポン引きのスポーツを散々罵倒する。言い訳する彼女には、奴は君を侮辱したと言う。その言葉は嘘だったが、尊重されていないのは事実であり、彼女の聡明さはそれを理解していた。

 彼女はバーモントのコミューンへ行くと語り、彼にも一緒に来るよう頼むが、彼の潔癖はまたも他者との関係を拒み、また逃避行より社会への反抗を望んでいた。

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お互い望むものを得られず沈鬱な表情の二人
アイリスは友達になることを望んだが、トラヴィスは彼女に自分の手によって救われる役割を求めた。

 

決行

 パランティン暗殺は失敗し、幸運にもトラヴィスは逃げおおせ、不運にも暴力を手放す機会を失う。捌け口を失った狂気が向かった先は、アイリスに取り付くスポーツだった。

 無視される存在だったトラヴィス銃口が、スポーツに向かって火を吹く。その後、階段に一度座り込むトラヴィス。彼は何を考えていたのか。もしかしたら多少の罪悪感があったのかもしれない。あるいは事の呆気なさに拍子抜けしたのかもしれない。いずれにしろ、悪を成敗したヒロイックな感情はなく、感じるのは虚しさだ。

 それでも「元に戻すことはできない」。撃たれながらそれ以上の弾を撃ち込んで、殺戮劇は終焉する。最後は自殺を試みるも弾が尽き、指鉄砲で暴力の権化を始末した。

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指鉄砲で自分の頭を撃ち抜くトラヴィス
死によって完全な超然性を得ることで、彼の社会に対する復讐は完遂される。

 

暴力に憑かれた男の末路

 レイティング対策らしいが、クライマックスシーンは画面の彩度が落とされ、これまでと違うノワール風味を演出して緊張感を高めている。

 トラヴィスにヒーローのカッコ良さはなく、カクカクと不格好な動き。「殺さないで」というアイリスの悲鳴を介さず部屋番の男を殺す様は、完全に殺人鬼だ。

 警官隊の駆けつけた現場に広がる凄惨極まる光景は、決して彼がヒーローではないことを物語っている。暴力に取り憑かれた男の末路は、肯定できるようなものでは断じてないのだ。

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真上から映す陰惨な事件現場
客観的に映される夥しい血は、悪を倒した雄壮さよりむしろ殺戮劇のおぞましさを物語る。

 

その他のテーマ

女達が与えるもの

 トラヴィスがベツィに求めていたのは認めてもらうことであり、彼女が高嶺の花であることが重要である。心理学で言う“他者の欲望を欲望する”という状態に近い。

 それを示すように、ベツィ個人への恨みは簡単に社会全体へと飛躍する。彼女を通して自分が憧れる街の大人を見ているからこそ、彼女との破局社会との破局になるのだ。

 娼婦にすぎないアイリスがトラヴィスにとって重要だったのは、彼女が子供だからだ。彼は、彼女の歓心を買いたいわけじゃない。少女を救える男になることが彼の関心事だ。

 社会の敵になる自己への嫌悪から解放されるため、自分自身に対し人として真っ当なことをしてみせる必要があった。そのため、売春を強要される少女を救い出そうとした。

 心理学では、承認欲求を他者承認自己承認に分ける。前者は他者から認められていると自分が思える承認、客観的に確認できる承認のことで、SNS上の“いいね”“バズる”などがそれ。一方後者は、今の自己に自尊心を持てるかどうかが問題となる。

 ベツィとの交際は他者承認を満足させてくれるはずだった。しかし、破局して否認されると、欲求が反転して他者、この場合社会の絶対的な否定に走ってしまう。だがその状況で今度は自尊心の危機に陥った彼は、アイリスを救うことで自己承認を手に入れようとする。承認への渇望が、トラヴィスをこの作品の主人公足らしめているのである。

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ヒーローとなったトラヴィス
新聞記事や感謝の手紙という、自分がひとかどの男であった証を壁に貼っている。

 

苛む街と暴力の音

 劇中何度も繰り返し流れる、バーナード・ハーマン氏のスコアの働きも大きい。

「タクシー・ドライバー」オリジナル・サウンドトラック コレクターズ・エディション

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 サックスと不協和音で構成されるメインテーマを「街のテーマ」、そして裏テーマとも言える重低音とつんざく音の曲を「暴力のテーマ」としたい。

 暴力のテーマは、わかりやすくトラヴィスの精神が不安定になり、暴力に依存していく様を表すが、街のテーマが流れている時の彼の精神が安定しているというわけでもない。

 街のテーマが示す「大人」は彼の憧れであり、同時に忌み嫌う存在だ。寛容に見せて、本心では負け犬を見下し歯牙にもかけない。街の大人のそうした欺瞞が、不協和音として社会に出る彼の精神を削り取る。この不協和音は映画の最後まで鳴り止まない。

 本作のクライマックス、警官到着時流れている暴力のテーマが荘厳な街のテーマへ繋げられる。凄惨な事件が、欺瞞に満ちた社会の中で英雄的行為へと書き換えられるのだ。またアイリスに受け入れてもらえた直後では、街のテーマが暴力のテーマへ変わり、彼女を取り巻く悪のえげつなさが強調されるとともに、後の悲劇が暗示される。

 スポーツとアイリスのダンスシーン、レコードからは幾分チープな街のテーマ。聡明な彼女は彼の甘い言葉を心底信じてはいないが、自分の幸せはこの程度と諦めている。

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スポーツに抱かれ踊るアイリス
私達は天秤座で蟹座の人はいないからと、自分を諦めている。

 街のテーマが表すのは、社会の欺瞞を受け入れて「大人」になることだ。そうした欺瞞に耐えられない人間が、暴力のテーマを伴って暴発する。

 

ミラー越しの視界

 TVの愛を拒み、欲求不満を抱えてポルノを見るトラヴィスは世界をどう見ているのか。

 タクシーのミラーが彼の視界を構成する。周囲に無視され、居場所のない孤独の象徴であるタクシードライバーの視点から彼は社会を見ている。

 ミラー越しに客を覗く間、彼と社会が衝突することはない。妻を見張る男を乗せてミラーをいじった後、彼はサングラスを掛け、自分を悪と対峙するヒーローに併置する。

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パランティンの演説を聞くトラヴィス
この時パランティンの顔は映らず、トラヴィスが彼を個人ではなく社会の象徴として見ていることがわかる。

 朝食時アイリスは彼の説教に対し、派手なサングラスを「鏡見たことある?」と外す。コミューン行きの話が流れた後、夢から覚めるように今度は大人っぽいサングラスを掛けるが、彼がもう会えないと言うと外してしまう。

 ラスト、ベツィとの再会時、再びミラー越しの視界が出てくる。ミラー越しに彼女を見る彼は、以前のように承認を得ようと躍起になったりはしない。彼女を見送る目から、複雑な感情がないわけではないが、最後まで大人の対応を貫く。

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ミラー越しのベツィ
鏡越しに目線を交わす両者は、踏み込んだ会話をすることはない。

 本作の名シーン“You talkin' to me?”も鏡の前で行われる。

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You talkin' to me?
内向的な青年を演じてきたデ・ニーロがここでロバート・デ・ニーロの芝居を見せるが、本質的にこの行為は子供のごっこ遊びにすぎない。

 鏡越しに世界を見る時、孤独だが安全圏にいる。サングラスを掛けるのは、自分の見方で社会と対峙しようとする、“大人”になろうとするからだ。一方で、タクシーのミラーが映す街の風景にいる大人は、トラヴィス疎外する。本作の鏡像は欺瞞的な存在を表しており、鏡に話しかける彼は己の欺瞞を、街に溶け込んだ彼は社会の欺瞞を飲み込んだ姿だ。

 

ラストシーンの解釈

 夢遊病者のように動くトラヴィスの瞳から始まるこの映画は、彼の自己実現達成の呆気なさや、実在感の薄い他者など、最後まで夢のような感触を残したまま終わる。だが私は、この物語が彼の夢ではなく現実だったと解釈したい。

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街を眺めるトラヴィスの目
不眠症を患っていた彼の目の動きは、レム睡眠時の眼球運動を彷彿とさせる。

 彼に会いに来たベツィは、ミラー越しに目を合わせる限り彼の妄想のようだが、車を降りた引きのショットから実在する他者だとわかる。彼は社会から認められる男になった。

 アイリスは社会を知れば恐いものはなくなると考えていたが、本当の恐怖が社会の外側からやってくる狂気だと思い知り、彼の望み通り家に戻った。

 ラストシーン、街のテーマをBGMにミラーは街の風景を映し出す。このまま終わるかと思いきや、一瞬映るトラヴィスの目とともに不協和音が響き、最後は街を走る無数のヘッドライトに同化した彼のタクシーが客を拾って、映画は幕を閉じる。

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一瞬映り込むトラヴィスの目
街の景色の中唐突に挟み込まれ、終わった気になっていた観客を瞬時に緊張させる。

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無数のヘッドライト
殺戮劇を巻き起こしたトラヴィスの運転するタクシーは、あくまでこの光の中の一つでしかない。

 新聞から賞賛され他者承認を獲得し、アイリスの両親から感謝され自己承認をも達成したトラヴィスの精神は、今安定を迎えたのである。ベツィに大人の対応を取ることができたのはその証だ。そしてトラヴィスは街の景色の中へ溶け込んでいく。

 しかし、忘れてはならないのが、その街の欺瞞こそ小市民たるトラヴィスを狂人へ追い込んだ元凶であり、その本質は何一つ変わっていないことだ。彼を祭り上げる新聞は欺瞞の象徴であり、鳴り止まない不協和音は暴力の使徒がまだ生まれ得るということなのだ。

 

現代のトラヴィス

 ジョン・ヒンクリーの件から、本作は犯罪を助長するという謗りを被ることもあるが、そうした事件が起きたということこそ、この映画の批評性の高さに他ならない。

 翻って現代社会、可視化された承認への渇望は当時以上のものと言ってよい。社会の欺瞞はなんら改善されず、人々はますます孤独の檻の中で、過激な言動へ憧れを深める。

 タクシードライバー』の描く時代の閉塞感は現代社会にも暗く立ちこめており、トラヴィスの孤独は今の若者達の心にも深く刺さっているのだ。

 

関連作品

 脚本のポール・シュナイダーが、本作の執筆にあたって念頭に置いていた本の一つが、サルトル著『嘔吐』らしい。人間の欺瞞に拒否感を抱く男が主人公だ。

嘔吐 新訳

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 監督のマーティン・スコセッシは、ドストエフスキー著『地下室の手記』の映画化を考えていた時に本作の製作を知り、飛び付いたと言う。孤独の中で精神を病む男の話だ。

地下室の手記 (新潮文庫)

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 レビュー記事で本作とヴィンセント・ギャロ監督主演『バッファロー'66』との共通項を挙げている方がおられた。本作より少し時代が下ったニューヨーク州北西部が舞台を舞台に同じく自尊心に囚われた男が主人公のこちらは、本作と違い純粋にハッピーエンドを迎える。

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 ベトナム帰還兵の孤独を描いた作品として最も有名な作品の一つ、テッド・コッチェフ監督『ランボー』。この主人公は紛れもなくヒーローだが、“Nothing is over!”と叫ぶ彼の悲痛さは、トラヴィスの孤独とも通ずる。

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 現代日本が舞台ながら、園子温監督『ヒミズ』も自尊心に苦しむ若者がテーマだ。しばき回される二階堂ふみが好き。

ヒミズ

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