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第1部 シャローム蜂起編
ステージ4 湖面に映じし顔
現在ウェンディ軍は、次なる目的地ジャンセニア湖方面へ向けて、シャローム南端の城トラブゾンへの道を辿る途中である。
「内陸にある海ってどんな感じかしら」
離島育ちのウェンディは、まだ湖と呼べる湖沼を目にしたことがない。
「ジャンセニア湖畔は、ゼノビアでも随一の景勝地だ。森の緑に囲まれて、一日かけても周回できないほど大きな湖が一面に広がっている。よく澄んだ水面が空を映して碧色に輝く様は、まるで絵画のように美しい。湖で過ごす静寂に包まれた時間は、神秘的とさえ言える」
「流石、シャロームのことなら何でも知ってるのね」
朴訥なギルバルドにしてはいつになく、湖の景観を滔々と描写する様にウェンディは感嘆する。
「いや、正確にはあそこはシャロームじゃないんだが」
「ギルバルドは、ジャンセニア湖に行ったことがあるんだよな」
カノープスが言うと、なぜかギルバルドはそっぽを向いてしまった。
「要するに、とっても綺麗なところってわけね」
そんなこんなで、一行はトラブゾンに到着した。
「これは…」
トラブゾンから遠くジャンセニア湖を見遥かしたウェンディだったが、その目に映ったのは、湖を覆うように立ち上っている瘴気だった。
「どうやら、風光明媚な湖とはいかないようですな」
ウォーレンも湖の発する瘴気に警戒心を強める。見る術師の彼にはウェンディよりもはっきりと、あの湖が表すものが見えているかもしれない。
霊的感受の心得がない戦士達も、只ならぬ気配を感じ取ったらしい。緊張に引き締まった顔をしている。
「ひとまず、都市で話を聞きましょう」
ウェンディ達は、北東に見える湖畔の都市アンタルヤを目指し、トラブゾンを進発した。
「これはちょっと厄介ね」
ジャンセニア湖周辺は、湖から流れ出る河が天然の水堀となっており、寄せてくる軍勢の進行を阻んでいる。さらに、領主の城エルズルムは湖に浮かぶ島の中にあり、地上ユニットしか持たない軍からすれば要害と呼ぶに相応しい。
「カノープス、頼む」
「俺の出番のようだな。ちょっとそこに立ってろ」
ギルバルドに促されたカノープスは、並んだウェンディ達の前で自らの羽を四枚抜くと、
「彼の者等に、我が翼の祈りを分け与えん」
と呟いて息を吹き掛け、ウェンディ達の肩に一本ずつ挿していく。
「これは?」
「ちょっと跳んでみろ」
カツアゲでもされるんだろうか。
軽く跳んでみると、
「もっと高く」
言われるままに跳び上がったウェンディは、
「へっ!?」
瞬間、中空にいた。体が硬直する。落ちる!
落下したウェンディを、ランスロットが受け止める。
「有翼人の羽にはこういう使い方があるんだ。これで翼がなくたって、海だろうが山だろうが越えられるぞ」
何事もないようにカノープスは説明した。
「ほう、こんな魔法があるとは知りませんでしたな」
「魔法というより、加護の類いだな。俺達が翼なき民と共に翔られるように、風の神ハーネラが祝福を授けたと聞いている」
ウォーレンに、カノープスが答える。てか、ちょっとはこっちの心配しろ。
「馴れればなんてことはない。信じれば、風の方が受け止めてくれる」
ギルバルドの助言を受け、ランスロットの腕からウェンディは降りる。やってやろうじゃんよ。
大事なのは、信頼すること。神の御心を聴くように、内なる声に耳を傾ける。
ウェンディは跳び上がった。
寄る辺のない中空に身が投げ出される。さっきは、ここで動転した。落ち着いて、体を取り巻く風に身を委ねる。
なるほど、風に乗るとはよく言ったものだ。
何もないかのような空中で、身の置き所を風が教えてくれる。風の声を聞けば、足の運び方がわかってくる。
ウェンディは既に、空中遊歩をものにしていた。
見ると、他の者達も翔ぶことに馴れたらしい。
「羽を着けていれば、今日一日くらいは翔んでいられるはずだ」
「これは便利ね。ヴォルザークと往き来してくれてる補給部隊のためにも、この羽百本くらい用意してもらえる?」
「バカ言え、俺の翼を毟り取るつもりか。それに俺の風が届く範囲でしか使えない。有翼人一人につき、一部隊翔ばすのがやっとだろう」
「なるほど。ではカノープス殿、ランカスター殿、マクスウェル殿にそれぞれの部隊の機動力を担ってもらいましょう。ランカスター殿はエーニャ隊を連れて先行し、敵の迎撃に向かってください。カノープス殿とマクスウェル殿は、我々と共にこのままアンタルヤへ向かいます」
先行するエーニャ隊と別れて、ウェンディ達はアンタルヤへ向かった。
アンタルヤの入り口付近で、ウェンディ達は一人の男と出会う。格好からすると、帝国軍の兵士のようだが。
ウェンディ達の姿を認めると、男は自分から声を掛けてきた。
「やあ、キミ達が噂の反乱軍だね」
兵士のくせに、女のように花の香りをまぶしているらしい。鼻の奥が痺れる。
「キミ達の快進撃に、帝国軍もたじたじって話じゃないか。やるね。流石だよ」
体格も小柄なら、態度も随分軽薄な男だ。
「でも、帝国の人間だって、みんな悪い奴ってわけじゃない。だろ? この辺りを治めるシリウスって男も、とってもいい奴なんだぜ。ナイスガイさ」
そこで男は、こちらの反応を見るように黙り込む。ナイスガイだと言われても…。
「ま、そんなわけだから、帝国軍だからってそんな躍起になって倒してしまおうなんて思わなくてもいいってことさ。世直しなんて、別に命を懸けてまですることじゃないだろう?」
この男は、私が今まで会った戦士達とは違う。そう、戦士じゃない。
「おっと、こんなことしてる場合じゃなかった。彼女がウルサイんだよね。じゃ、そろそろ行かしてもらうよ」
そう言うと、男は去っていった。最後まで軽い男だった。
「彼の話は――」
「大丈夫。信用してない」
ウォーレンに心配されるまでもなく、あんな男の言葉に踊らされるウェンディじゃない。
「それよりも今は」
「この湖、なにかよくないものが棲みついてるみたいだけど?」
「はあ」
都市の代表は、少し困惑しながら、
「確かにこの地は、人狼伝説が残る場所ですが…」
湖に伝わる狼男の由縁を語って聞かせた。
「今じゃ見る影もありませんが、昔はこの湖も碧く澄んだそれは綺麗な湖でした。その水の清らかさは、天界に住む天使までもが沐浴に来たと言います。そして、一人の男がその天使の姿に恋をしてしまいました」
天界に住むという天使だけに、その姿はまさにこの世のものとは思われぬ美しさだったことだろう。
「ですが、相手は下界と交わることを禁じられた天使。人間の姿を見れば、すぐさま天界へ帰ってしまうでしょう。そこで男は一計を案じ、遠目の利かぬ月夜の晩、狼の毛皮を被って湖に入りました。湖面に映った影を狼と思った天使は、男が近付くのを許してしまい、遂に男は天使を犯すことに成功します。しかし、男の罪深い行いを、夜空の月は見ていました」
月が男の企みを見ていたなら、天使に教えてやれば良かったのにと思うが、伝説とは得てしてそういうものだろう。
「罰として、夜になり月が顔を出すと、男の姿は湖面に映じた狼のものと入れ替わる呪いがかけられた。これがジャンセニア湖の人狼伝説です」
「それ以降、このジャンセニア湖には人狼、ウェアウルフが出没すると?」
ウォーレンの問いを、代表は軽く笑い飛ばす。
「昼間は普通の人間で、夜になると狼に変身して人を襲う化け物がですか? 今時そんな話は流行りませんよ。この伝説も、元は身分違いの恋でもの狂いになった男の話ってところでしょう」
手掛かりはなしか。もう少し、情報を探ってみる必要がありそうだ。
「シャロームで私が口にした、娘が拐われているという噂は、クラスノダールからもたらされたものです。クラスノダールへ行ってみましょう」
ウォーレンの提案に従い、ウェンディ達はアンタルヤを後にした。
湖から西方に流れ出る河下流域の湿地帯に、工業都市クラスノダールはあった。
クラスノダールを解放すると、都市の住民がウェンディ達の元へ集まってきていた。
「反乱軍の皆さんに、お頼みしたいことがございます」
代表は、神妙な面持ちで語った。
「ここ二年の間に、町の娘達が一人、また一人といなくなっていきました。我等で方々手を尽くして探しても見つからず、困り果てていたところ、シリウスの居城エルズルムから、夜な夜な女の悲鳴が上がるというではありませんか。領主ならば、領内をうろついていても怪しまれず、エルズルム城内で娘達を監禁することもできます。きっと、奴が町の娘達を拐っていったに違いありません」
市民達は勢い込んで、縋り付くように懇願した。
「反乱軍の皆さんのお力で、シリウス奴が城からどうか、娘達を助け出してはくださいませんか」
実際ウェンディには、シリウスという敵がよくわからなくなっていた。部下からナイスガイだと言われるような優男かと思えば、町の娘達を拐ってきて夜毎にいたぶっている変質者という。念のため、
「その話は、本当なの?」
と尋ねたところ、
「これだけの人々が、あんた等こそを頼みと頭を下げるのを見て、力になろうとは思わんのか! 期待に応えん軍隊を、人々がどうして信頼しよう!」
初老の男が逆上して帰ろうとするのを、別の男が宥める。
市長がウェンディに取りなした。
「彼の娘も拐われた内の一人だったのですが、先日その死体がこの河川に流れてきたのです。死体は、何か大型の獣に噛み殺されたかのようにあちこちがズタズタに千切れていて、それはもう酷い有り様でした」
息を呑むウェンディ。
「死体が流れてきたのは初めてでしたが、三年前、シリウスが領主になってからというもの、河の水は濁り澱んで、どことなく血の臭いに似た生臭さを放つようになりました。我等は、自分達の娘も彼の娘のように、凄惨な死体となって流れてくるのではないかと気が気ではないのです」
市長の目の奥には、必死に抑え込んでいる怯えが覗いていた。
無辜な娘を獣に喰わせるなど、そんな惨たらしい殺し方ができるなんて、それが本当だとしたら、シリウスって奴は最早人間じゃない
でも、娘を殺して湖に捨てているとしたら、この辺り一帯に漂う瘴気にも説明が付く。
ウェンディの中で、始まりの日の炎が燃え上がる。
「私達は、帝国の横暴を止めるためにここへ来た」
そして、初老の男の前へ歩み寄る。
「シリウスに話をつけてくる。娘達はきっと解放してみせるから」
そう、ウェンディは告げた。
「先行しているエーニャ隊とガジアンテップで合流し、隊列を組んでエルズルムへ参りましょう」
ウォーレンの指示により、ウェンディは逸る気持ちを抑えて、エルズルムのすぐ西に位置する貿易都市ガジアンテップへ向かう。
ガジアンテップに入り、街の中心を目指していると、アンタルヤに居たあの男と再会した。
「やあ、また会ったね。麗しのお嬢さん。キミみたいに素敵な女性と一日に二度も会えるなんて、呪わしいほどに幸運な男だな、ボクは」
相変わらず軽薄な奴だ。
「まあ世辞はこのくらいにしておいて」
おい。
「キミ達に伝言があるんだ。この地を治める方からね」
なんだって?
「シリウス?」
「そうそう、そのシリウス様がね。反乱軍の強さを見込んで、共に帝国を倒そうってことなんだが、どうだろう?」
どういうこと?
シリウスは、帝国の力を笠に、無辜な娘達を拐っていたぶる下劣な男のはずじゃ?
正義に目覚めた? いや、それはない。そんな男なら、クラスノダールの娘があんなことになったりはしない。
「シリウス殿は、クラスノダールの娘達のことをご存知かしら?」
男の顔に貼り付いた薄ら笑いが、一瞬固まったような気がした。
「娘達が失踪してるって話だろ? シリウス様も胸を痛めておられるよ。早く見つかるようにって」
もしかしたら、本当に知らないだけなのか。娘達は、集団で家出したのかもしれないし、例の娘は、たまたま不運にも、それこそ狼にでも殺されてしまっただけで、シリウスは無能なだけの善人なのでは。
「もし共闘してくれるなら、エルズルムへ招待するようにって言われてるんだけど」
迷っていた。迷った時、ウェンディは一番シンプルな答えを選ぶようにしていた。
「ええ。申し出に応じるわ」
「OK。じゃあ、シリウス様にちゃんと伝えておくから。ちょうど日も暮れる頃だし、エルズルム城で一緒に夕食を摂りながら、親睦会といこうじゃないか。エルズルムの位置はわかるかな? 湖の北辺に浮かぶ、あの壮麗な城だよ。今晩中に来てくれよ。じゃないと、歓迎の準備が無駄になっちゃうからね」
男は満足気に去って行きかけたが、ふと立ち止まって、
「そうそう、一応聞いておくけど、キミ達『光の囁き』持ってたりしないよね?」
「持ってないけど、それがどう――」
「いやいや、持ってないならいいんだ。それじゃあ今晩、楽しみにしてるよ」
今度こそ本当に、男は去っていった。
「ウェンディ殿」
「まず間違いなく罠だろう」
男の姿が見えなくなると、ウォーレンとギルバルドから追及が入る。
そうだろう。でも、
「もし本当に共闘を望んでいたら? 戦いを避けられるに越したことはないでしょ?」
そう言われると、敵から寝返った身であるギルバルドは何も言えない。
「それに、エルズルムへ入れてくれるって。城内に娘達がいなければ、拐かしにシリウスは無関係。娘達がいたなら、その場でシリウスを倒して解放しちゃえばいいんじゃない?」
ウェンディは強気だった。なにせ、軍は快進撃を続けているのだから。
商会長と会い、クラスノダールを解放する。
薬を調達しておこうとしたウェンディ達に、商会長はぼやいた。
「悪いが、光の囁きは品切だぞ。さっきシリウスが全部買い占めていきやがったから」
「シリウスがこの街に来ていたの?」
驚いたウェンディに、一層驚いた調子で商会長は尋ね返した。
「来てたも何も、あんた等この街でシリウスと会ってたろう! 街じゃ、反乱軍はシリウスと手を組んだって話まで流れてるぞ。まさか、知らずに話してたのか?」
私が会ったのは、あのいけ好かない帝国軍兵士だけ。ってことは、あんなヘラヘラした男が、私達の敵だっていうの?
商会を出たウェンディ達は、シリウスについて話し合う。
「あの野郎、舐めやがって」
悔しそうに素振りをしているカノープス。
「自分から敵の前に姿を現すなんて、一体奴は何を考えてるんだ?」
「停戦を呼び掛けてこちらの意気を殺ごうというつもりかもしれんが、あんな見え見えの手に引っ掛かると思ったのだろうか」
ランスロットもギルバルドも、怪訝そうに顔をしかめている。
「敵の企みがわからぬ以上、ここは慎重を期すべきかと。もう少し、シリウスのことを調べてみては?」
確かに、シリウスの正体を見抜けなかった今まで、敵の手で踊らされていたことになる。だが、
「作戦の変更はなし。このまま、エルズルム城へ向かう」
シリウスが姿を見せたことは、ウェンディに自信を付けさせていた。あんな青瓢箪の小男が何を企もうが、真に勇士から成る我が軍が負けるわけがない。罠など、蹴散らしてしまえばいいだけの話ではないか。
「正体を知らなければ騙されたかもしれないけど、もうわかっているんだから、罠にかからないよう十分注意していけばいいでしょ。むしろ、呼び掛けに応じた振りをして城に向かえば、逆にこちらが敵の虚を衝けるんじゃなくって?」
「むう」
ウェンディの言うことにも、理がないわけではない。ウォーレンは一時押し黙る。が、
「では、このガジアンテップで得られる情報は、集めておきましょう」
それにはウェンディも了承した。
事情通らしき人物を探し歩くウェンディ達に、
「あんた達が反乱軍かね?」
と、尋ねてくる老人。
「伝えたいことがある」
と言うので、話を聞いてみると、
「獣に喰い殺された娘達のことを知っておるか?」
娘達。
「クラスノダールで話を聞いたけど」
「その死体の傷は、どう見ても人間大の獣の咬み痕じゃった。この湖には、人狼伝説がある。間違いない。奴は、人狼に娘達を殺させたんじゃ」
他に、めぼしい噂を聞くことはできなかった。
「ふむ。人狼が奴の切り札ということかもしれませんな」
それ、本気で言ってる?
「じゃあ、人狼の襲撃に気を付けましょう」
合流したエーニャ隊による先導の下、ウェンディ達はエルズルムへ向けて進軍を開始した。
「共闘を呼び掛けた割には、手荒い歓迎だな」
エルズルムへの道すがら、帝国軍は次々と迎撃隊を繰り出してきていた。先陣のエーニャ隊に支えきれないほどではないが、敵は明らかにこちらを倒すつもりであり、カノープスの愚痴も尤もだ。
「何も知らなければ、ここで消耗していたでしょうね」
シリウスとの戦闘に備え、ウェンディ隊は温存してある。
エルズルム城へ掛かる橋を渡ったところで、
「ここからは、私達だけで」
エーニャ隊とは別れ、城から出てきた敵兵を蹴散らし、ウェンディ隊はエルズルム城へ入った。
湖面が月光を照り返す外と比べ城内は薄暗く、僅かに月明かりが射し込む程度である。
「約束通り、来てあげたわ。私が軍を率いるウェンディよ。シリウス、姿を現しなさい」
「武名轟く反乱軍様方、この天狼のシリウスが居城エルズルムへようこそ」
一日で二度も聞いた鼻につく声が、ちょうど月影の裏に位置する柱の奥から響いてきた。先刻の薄ら笑いが思い浮かび、暗闇に目を凝らす。
「ふん、なんともマヌケな面晒しちゃって、まあ。少しは凛々しいボクの姿を見習いたまえよ、ま、無理だろうけど♪」
傲慢さを露にした声が、ゆっくり月影へ姿を現すと…。
ウェンディは声を失った。
確かに二本の足で立つ男は、月光に照らされて銀に輝く毛並みに覆われ、突き出た鼻先の上、妖しく光ってこちらを見据える黒い目の犬、いや狼の顔。伝説の人狼その姿だった。
「実在していたのか」
「やはりそうでしたか。しかし、まさかシリウス本人が人狼とは…」
カノープスとウォーレンにも、流石に動揺の色がある。
「言っとくけど、ボクの姿を見たからには、ただで帰すわけにはいかないよ」
声と同時に、城内に灯りが点される。シリウスの両脇、居並ぶ娘達が弓を構え、ウェンディ等は知らぬ間に取り囲まれていた。
娘達。彼女等は、クラスノダールの娘達ではないか。
「聞いて。私達は、貴女達を助けに来たの。一緒にクラスノダールへ帰るのよ」
「ムダムダ。彼女達には、ボクに逆らえばどうなるかっていう恐怖が心に刷り込まれているんだから。ボクに嬲られないために、命懸けでボクを守ってくれる、忠実なペット達さ」
この犬畜生。絶対に許してはならない。
「ハハハァッ! ひきつった女の顔はなんでこんなにもソソるんだろうね。それが美人なら尚更だ。キミのことは特別に、ボクのペットに加えてあげてもいいよ」
不遜にも人間を見下す獣が舌舐めずりをする。
「但し、周りのオス共を殺した後でねッ!」
シリウスの合図で、四方から矢の雨が降る。
多数の矢に射掛けられれば、攻勢に出ることはできない。かといって、娘達を傷付けるわけには…。
防戦一方に見えたウェンディ隊だが、歴戦の猛者ギルバルドが矢の止む一瞬の隙を衝き、
「躾のなっていない犬だ」
シリウスに斬り掛かる。
ガキンッ。
「痛いじゃないか」
「刃が、通らない?」
ギルバルド渾身の一撃は、シリウスの右腕に受け止められる。
「お前知ってるぞ。シャロームのギルバルドだろ? 王国を裏切ったお前こそ、帝国に尻尾振った犬じゃないか。シャローム以外どうでも良かったくせに、反乱軍に寝返って今更正義面か?」
「俺にもう正義を語る気はない。今はただシャロームの民のため、最も良いと思う道を選ぶだけだ」
「他人のためにしか動けない男が、天狼のシリウスをバカにできるか!」
「お喋りが過ぎるのよ、貴方は」
声を聞いたギルバルドは、一瞬で悟り、下がる。
剣が駄目なら、
「アイスレクイエム!」
ウェンディが氷結魔法を放つ。これなら――。
「狼は元々、北国の生き物だよ。知らなかった?」
けろっとした顔で、シリウスは言い放つ。
そんな…。
「態勢がまずいです。ここは一度退きましょう」
「でも、このまま引き退がるわけには…」
目の前で矢を射るのは、敵ではなく帝国の犠牲者なのだ。彼女達をここに残したまま、逃げ出すわけにはいかないではないか。
「なかなかしぶといなキミ達」
ウェンディが判断を躊躇う間に、シリウスが飛び込んでくる。
「コイツ、…速いッ!」
迎え撃とうとするカノープスの棍棒をヒョイと潜り抜け、シリウスはウェンディの目前に迫る。
殺られる…!
「があぁッ!」
目を開けたウェンディの前に広がる光景。血が滴る肉を咥えた人狼と、盾を下げた肩を押さえて息も絶え絶えの騎士。
「ランスロット!」
「あーあ、やっちゃったよ」
肉が吐き出された音。
「コイツがウェアウルフ化する前に片付けなきゃ」
ゾッとする台詞が、ウェンディに血の気を引かせた。
今、何て…。
止めの一撃を振りかぶるシリウス。
今度こそ…。
覚悟を決めたウェンディ。その懐で、収められたカードの一枚、「ラヴァーズ」が光の粒となって消える。
カシュ。
シリウスの後頭部に放たれた矢が、銀の毛皮に弾かれ、落ちる。
刹那、時間が膠着する。
「おーまーえー」
振り返る獣の目が睨み付ける。矢を放った娘の全身が戦慄き出す。
一瞬で娘の前に跳躍したシリウスは、右の爪でいとも容易く娘の腹を裂いた。
声にならない悲鳴を上げ、その場にくず折れる娘。
「さあて」
ウェンディ達の方に向き直るシリウスの足が止まった。
いや、止められている。倒れ臥した娘が、最後の力を振り絞ってシリウスの足にしがみついている。
「お逃げ…ください!」
血を吐き、膓を溢しながら、それでも非力な腕で己が勇気を示す娘。
「…ッ、撤退する!」
ウェンディ隊は、エルズルムからの脱出に成功した。
「思ったより、手強い相手らしいわね」
付近で待機していたエーニャ隊は、ウェンディ達の様子を見て、何が起こったかを察する。
「で、これからどうする?」
傷口に二つもキュアポーションを浴びせ掛けるランスロットを見ながら、エーニャはウォーレンに尋ねた。
「おそらく追っ手が出てくるでしょう。我等としては、一時戦線から退避したいところですが…」
「湖を渡った南東の岸辺に、確か教会があったはずだ。羽を着ける我等ならば、追撃を躱して教会へ隠れられよう」
ギルバルドの提案に、
「それなら、私達はチャンジガルで敵を引き付ける」
エーニャも応答する。
「シリウスと戦う前に渡せば良かったけど」
装備一式をウェンディ隊に預けると、エーニャ隊はガジアンテップへ向かった。
「我等も行きましょう」
「ええ」
ウォーレンに確認され、頷くウェンディ。
ウェンディは、自分自身の甘さが腹立たしかった。
シリウスの策にまんまと乗せられて慢心し、ウォーレンの慎重を期すべしと言う忠言を聞かなかったこと。
撤退の判断を躊躇して死地に留まり、ウェンディの身を守ろうとしたランスロットに怪我を負わせたこと。
そして何よりも、救いに行ったはずのクラスノダールの娘、その犠牲を受け容れることで生き永らえざるを得なかったこと。
全て、ウェンディの甘さが招いた結果だった。ジャンセニア湖を渡る間、そのことを考え続けていた。
ギルバルドが言ったように、ウェンディ隊はエルズルムからの追撃部隊を振り切って、ジャンセニア湖南岸へ渡ることができた。岸辺の山間を越えれば、とりあえずは安全地帯だろう。
そのまま谷を抜けていくと、確かに教会が見えた。近付いていったウェンディ達だが、
「うっ」
あまりの光景に思わず足が止まる。
そこにあったのは、腕、脚、胴、首、いずれも五体の一部を欠損、または一部のみを残し、積み上げられて腐敗を待つ、変わり果てた娘達の山だった。
一時茫然となったウェンディは、ランスロットの呻きで我に返る。そうだ。今は一刻も早く、ランスロットを休ませたい。
この世の地獄を横目に通り抜け、ウェンディ達は教会に辿り着いた。
女性の司祭が出て、ウェンディ達、特に重傷と思しきランスロットを見ると、
「そのお方は、こちらで休ませましょう」
と部屋に案内する。
部屋には一人の少女がいた。外からやって来たウェンディ達に、少女は一瞬怯えた目をしたが、司祭に言い含められるとおとなしく従い、ランスロットのために使っていたベッドを空けた。
ランスロットを寝かせると、ウェンディ達は部屋を出る。
「彼の傷、実は魔性のものに負わされたものなのですが…」
司祭はウォーレンの謂わんとすることを察した。
「シリウスですね。ウェアウルフの攻撃を受けたからといって、全ての者が人狼となるわけではありません。この教会に入ってこられた時点で、彼がウェアウルフとなることはないでしょう」
ウェンディはひとまず、ほっと安堵の息をついた。
「この娘は?」
少女は修道女という風でもないようだが。
「シリウスに連れ去られた娘の一人です。湖へ捨てられる死体に隠れて、エルズルムから逃れてきたのです。元の町へ帰すより安全だろうと、今はこの教会で庇護しています。彼は、ここへは立ち入れませんから」
ウォーレンの問いに、司祭が答えた。
少女はウェンディよりも年下だった。こんないたいけな娘にまで、あの鬼畜狼の毒牙は伸びている。
「ではあの、教会の手前にあったあれは…」
司祭は重たい口調で答えた。
「ええ。シリウスに殺された者達です。娘達が少しでも逆らおうものなら、シリウスは容赦なく殺してしまうのです。そうして湖に投げ捨てられた死体が、奇しくもこの教会の方へ流れてきます。なんとか彼女達を湖から引き揚げることはできても、女手では埋葬するまでに至れず、あのような有り様に…」
「くっ」
先程の地獄絵図が脳裏に浮かぶ。
「ちょっと、外を見てくる」
ウェンディは堪らず、教会を出た。
「俺がついて行こう」
カノープスがウェンディの後を追って出る。
後には、ウォーレン、ギルバルド、司祭、少女が残された。
「君の部屋を奪ってしまって済まない」
ギルバルドが優しく語りかけると、少女は気にしてないという風に首を振る。
「シリウスの元から逃げてこられたなんて、君は勇敢な女の子だ」
誠意を感じさせるギルバルドの声に、少女は幾分気を許したようだ。
「彼が、夜伽にいつもする話があるの」
少女は、逃走を決意した経緯を話し始めた。
「彼は私と同じ、クラスノダールで生まれたと言ったわ。元から父親はいなかったけど、若くて美しい男と一緒になるため、母親は彼を棄てたって。まだ子供だった彼は、家族で誕生日を祝う他の子を見ながら、乞食をやって暮らしていたそう。でも、私がまだ生まれたばかりの頃に起きた戦争で、逃げた王国兵を殺しに来た帝国軍に町が焼かれ、彼の母親と男は死んで、彼は生き残った」
大戦終盤、王国軍は降伏を申し出たが帝国はそれを許さず、徹底した残党狩りを行った。それはこの美しい湖畔の町にも、戦火をもたらした。
「帝国の支配になっても彼の生活は酷いままで、戦争で家を失った人達に交じって人目を避ける暮らしが続いていた。そんなある日、湖の北の河沿いに財宝が埋まってるって話を聞いて、それを手に入れれば今の惨めな境遇を抜け出せると思ったの。財宝を探しに行った彼は、代わりに魔獣に襲われて、湖まで逃げたけどそこで力尽きた。もう死んだと思ったって。奇跡的に一命を取り止めた彼が、月明かりの下で湖に映った自分の顔を見ると、それは狼のものだった」
シリウスが伝説の人狼じゃないとすれば、その魔獣がウェアウルフだったのだろう。
「もう町にすら戻れず、行き場を失って自棄になっていたところを、三年前までこの地を治めていたオミクロンに拾われた。湖に棲みついたシリウスが噂になって、軍で使えないかオミクロンは調べていたそう。そこでオミクロンの実験に協力して認められたから、彼等がこの地を去った後に、シリウスはジャンセニア湖の統治を任されたって」
オミクロンは今、出身地のホーライに居ると聞いたことがある。自分が認めた男を、こんな僻地に置き去りにするだろうか。あるいは、もうウェアウルフを飼う必要がなくなったか。
「その話を聞いて、私思ったの。恐ろしい化け物だと思ってたけど、この人だって私達と同じ人間なんだって。ちょっと人と違う力を持っちゃったから、自分が人間だってことがわからなくなってるだけだって。だから、きっと逃げられるって思った。だって相手は、私と同じ町で暮らしてたオジサンなんだから」
「なるほど。そういうことか」
少女に答えたギルバルドの声は、心なしか少女よりも遠くへ向けて告げられたようだった。
カノープスが追い付くと、ウェンディは娘達の亡骸の前に立っていた。
ウェンディは、救われなかった魂を見据える。
勝利が続き、どこか浮かれていたのだ。正義を掲げる我が軍は神に祝福されており、敵は平伏し民は靡く栄光の道を歩んでいるのだと。
だが現実は違う。民を虐げる帝国がのさばるのは、地上が神に見放されているからであり、我等が行うのは、そうした悪鬼共を駆逐する血みどろの戦いだ。
勝者だけが正義を語れる。カノープスはそう言った。その通りだ。シリウスに負けた私は、奴の手に落ちた娘達を見過ごした。正義の軍が、聞いて呆れる。
目の前に広がるこの凄惨極まる光景は、邪悪が勝利した証であり、それは人狼シリウスという紛れもない現実の力によって引き起こされている。
正義など幻想、元からこの世は暴虐が支配している。そう思わせる現実に対し、それでも力の及ばない教会は、慈愛による務めを果たそうとしている。
帝国が支配する大陸では、現実となって顕れた地獄が、その地獄で祈り続ける魂が、一体いくつ存在するだろう。
私はシリウスに負け、要らざる犠牲を出した。その私にできること。今、私がここに立っている理由。私が求める正義。
「この娘達、埋葬してあげよう」
ウェンディの言葉に、カノープスは戸惑いを露にする。
「気持ちはわかるが、俺達は――」
「ええ。その前に、あの腐れ外道をぶちのめす」
今度の言葉は、カノープスも納得のいくものだった。
二人は、教会へと戻った。
「シリウスを倒しに行く」
ウォーレンとギルバルドに、ウェンディは宣言した。
「とは言え、ウェアウルフの身体能力は、常人の三倍はあろうかというもの。昼間会ったシリウスは、ただの人間でした。このまま夜が明けるのを待つという選択肢もありますが」
「一刻でも早く、この戦いを終わらせたい」
同意して欲しいという思いを、ウェンディの瞳は訴えていた。
「夜の内にシリウスと戦うのであれば、これをお持ちください」
話を聞いていた司祭が、「ルーンアックス」を渡しに来た。
「通常武器では、狼の毛皮に斬撃を吸収され、ウェアウルフの硬い筋肉にダメージを通すことはできません。ですが、神聖呪文が刻み込まれたこの『ルーンアックス』なら、魔性の毛皮を焼き切り、シリウスの体に烙印を押すことができるでしょう」
「神聖…」
何か思い当たる様子のウェンディ。
「その戦斧は、俺に持たしてくれ」
見ると、いつの間にかランスロットがそこに立っていた。
「体はもういいのか?」
「ああ。借りは返す」
「確かに、これならいけるかもしれませんな」
隊の意思は決まった。
「ならば」
ルーンアックスを装備するランスロット。エーニャ隊から譲られた「神宿りの剣」を差すウェンディ。と、
「またそれはどういう…」
ウォーレンは雷神の鞭を装備して、ビーストテイマーの装いである。
「ギルバルド殿から鞭の扱いを教わりましてな」
ともあれ、隊列を組み直したウェンディ隊は、教会を翔び立った。
途中、哨戒する敵を蹴散らしたが、ランスロットの肩は問題ないようだ。
先とは反対に湖に面する東側から、ウェンディ隊はエルズルム城へ突入した。
月影の下、銀の毛並みの狼は、変わらず娘達に守られて居た。
「勝てないと知って、また来るとはね。そのガッツには感心するよ。バカだけど」
シリウスの傍、一つの血溜まりが目に入る。半分肉塊と化したそれは、先刻ウェンディ達を守ってくれた娘の成れ果てだ。ウェンディの中で何かが弾ける。
「今度は本気で行くよッ!」
いきなり襲い掛かろうとしたシリウスとウェンディの間に、予期していたギルバルドが割って入る。
「確かに、俺とお前は同類だよ」
シリウスの爪を剣で受け止めながら、ギルバルドは言った。
「俺も親に棄てられ、山で獣と暮らしていた。自分を人よりも獣と思っていた時期が、俺にもあったよ」
ギルバルドの言葉に、シリウスは僅かに反応する。
「だが、そんな俺を親友と認めてくれる男が現れた。奴のおかげで俺は、信頼に応えるという言葉を覚えた。戦士として守るものができた俺に、王国魔獣軍団長という栄誉が与えられた。わかるか? お前はカノープスという友を得られずに、孤独なまま生きてしまった俺だよ」
ギルバルドの口調は穏やかだったが、その含意は確実にシリウスの逆鱗に触れていた。
「天狼のシリウスに、トリの友達など要るか!」
「誰がトリだ、ワン公!」
右手を振り上げたシリウスを、カノープスのサンダーアローが牽制する。
さっと飛び退いたシリウスに、
「借りを返しに来たぞ!」
ランスロットが斬り掛かった。
「わざわざ止めを刺されに来たか」
「いっ、ぎぃゃやああぁぁッ!」
寸断される右腕。傷口からは、焼け焦げる肉の臭いが漂う。
右腕を押さえて跳び退るシリウス。
「よくも、ボクの腕を…」
恨めし気に睨む獣の瞳が、次第に怒りに染まっていくのがわかる。
「殺す。絶対に殺してやるッ!」
飛び掛かろうとしたシリウスだったが、後列から伸びるウォーレンの鞭に阻まれる。
攻撃の機会を窺うシリウスは、漸くそれに気付いた。
「聖なる父を畏れぬ者よ。魔性に堕ちた罪深き魂よ。汝の在ること赦されざりき。其の穢れた身に纏いし業は、聖なる焔により浄められん。血と肉を以てする贖いの中で、神の怒りを思い知るがいい。光と正義を司る、聖処女イシュタルの名の下に」
白兵戦の背後で続けられてきた詠唱が終わり、イシュタル神が乗り移ったかの如きウェンディの叫びが谺する。
「消え失せろッ!」
瞬間、シリウスの体を光の柱が呑み込む。
光が消え、体を確認するシリウス。
「…なんだ? 熱い。あっっぢゃぁぁあああッ!」
突然、シリウスは踠き苦しみ出す。喉を掻き毟り、開けた口からは朦々と煙が立ち上る。
両膝を着き、ハァッ、ハァッと息を吐き出してみるが、耐えられなくなり、のたうち回る。
今や、体皮の表面まで赤く焼け爛れ、自慢の銀の毛はとっくに抜け落ちた。
やがて肉も黒く焦げ、遂には元の形すら留めない四つ、いや三つ足の生き物が、苦痛に身悶えしながら這い回る。
そしてその赤黒い物体は、茫然と見下ろすウェンディに助けを求めてきた。
「ひぃぁ…、たず、だすけ…で」
もはや人のものでも、狼のものでもない。救いを待つばかりの哀れな瞳と目が合って、ウェンディは初めて体験する感情に襲われる。
赤黒の跡を引きながら、徐々に近付いてくる瞳。ゆっくりと、赤黒の塊がウェンディに迫る。
「ああああッ!」
渾身の力を振り絞って、ウェンディは物体の頭蓋らしき部位を踏み潰した。
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