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では、本文をどうぞ。
ゼノビア王国が建国22周年を迎えたその日、国を挙げたある式典が催された。
その式典とは、騎士団長アッシュに対する、聖騎士叙任式典である。
国家としての歴史が未だ浅いゼノビア王国にあって、建国時の大陸平定以来、大きな戦を経験してこなかった騎士団は、位階などなくとも統制に問題はなかったが、次代の王となるトリスタン王子が国を率いていくにあたり、より秩序化された家臣団が必要であった。
新秩序構築の手始めとして、騎士団の中から特に国王の信頼が篤い騎士に、聖騎士の位階を授ける運びとなり、その第一号に、建国時から王国騎士としてゼノビア王家を支え、武勇、人望共に随一とされ、国の内外から称えられる騎士団長アッシュが選ばれたのだった。
叙任式当日、アッシュは既に王宮にあった。
式典は玉座の間にて執り行われ、その後、ゼノビア王国の全国民に向けて布告されるのだが、式が始まるまでは、いま少し時間がある。
騎士団のみならず、官民多くの人間から尊敬を集めるアッシュであったが、王国始まって以来最大の栄誉をその身に賜るとあって流石に落ち着かず、気を紛らわそうと王宮の庭に出てきていた。
宮廷庭師により手入れの行き届いた庭園には、大陸南東部の暖かな太陽の光が降り注ぎ、アッシュはこの地に生まれたこと、この繁栄をもたらした王家に仕えてこられたことを、心より感謝した。
「アッシュ殿」
ふと、アッシュを呼び止める声がする。
「これは、ジャン王子殿下」
振り返ったアッシュは、声の主を知り慌てて跪く。
グラン王に二人の男子がおり、御歳十三になられる皇太子トリスタン王子と、その一つ下の弟が目の前に立つジャン王子である。
共に、剣士として名を馳せたグラン王の体格を引き継いで、既に小柄な兵と見紛う程の体躯をしているが、武術にも熱心で負けん気が強く、よくアッシュに剣の稽古を頼むようなトリスタン王子と違い、病弱なジャン王子は奥から出ることも稀で、公式な場に姿を見せぬことも多く、このように庭園に出て対面するのはアッシュにとって初めてだった。
「面を上げよ」
「はっ」
そこにある顔は、日頃木刀を構えて自分に向かってくる顔とそっくりなはずだった。事実、トリスタンとジャン両王子は瓜二つと言われているのだが、何故かその時アッシュには、目の前にあるのが見知らぬ顔のように感じた。
「貴公に話がある」
「はっ、なんなりと」
「ここでは話せぬ。ついて参れ」
逆光の中からそう言うと、ジャンは踵を返して歩き出した。アッシュも急いで後を追う。
ジャンはそのままずいずいと歩いていき、王宮の門を潜ろうとする。
「殿下、王宮から出るのは…」
引き留めようとするアッシュに、ジャンは、
「話というのは、我が父君に関する話なのだ。王宮の中で誰かに聞かれでもして、父君に良からぬ噂を立てられるのは、私としても本意ではない」
「しかし、王宮の外に出て、殿下にもしものことがあれば…」
いかに平和と繁栄の象徴ゼノビア城下と言え、万が一にも危険が及ぶようなことがないとは言いきれない。
「だからこそ、貴公を連れてきたのだ。このゼノビアの守護者に手出しできる者など、居らぬのであろう?」
確かに、アッシュの顔を見て尚、不埒な真似が出来るような輩は、今のゼノビアにはいなかった。
「むう…、なればせめて、人目につかぬよう裏門からお出ませ」
裏門を開けるよう言われた門番も、ジャンとアッシュの顔を見ると何も言わずに通した。
人目を避けた裏通りを、主人と従者が進んでいく。
裏手門の方は、表通りの賑わいが嘘のように静かな街並みになっている。同じゼノビア城下でここまで雰囲気が異なることを、アッシュは今更ながら知った。
アッシュも初めて来たこの道を、ジャンは既知のように迷いなく進んでいった。
さる貴族の別邸がある辺りを抜けて、ゼノビアの城壁に突き当たるところ、
「殿下!」
アッシュは遂に、ジャンを呼び止めた。
ここまで来れば、アッシュも何かがおかしいと気付いていた。
「もうよいでしょう。ここらで、件の用というのをお話しください」
「もうここらでよい。さて、何の話だったかな」
ジャンは、アッシュに背を向けたまま答えた。
「国王陛下に関する話と」
「そうだ、。貴公は、グラン王を殺したいと思ったことはあるか?」
「そんな、思いもよらぬ事」
「そうか。だが貴様はグランを殺すのよ」
「ジャン殿下…一体何を?」
「お前には、俺がジャンに見えるのか?」
ゆっくりと振り向いたその顔は、いや、顔だけではない。背格好から姿形、何から何まで先刻まで見ていたジャン王子とは別人。フルフェイスのマスクと漆黒の鎧に身を包んだ男が、そこに居た。
茫然とするアッシュに、ジャンだった男が言う。
「同じ王子でも、俺はハイランドの王子。やがてはこの、ゼテギネア大陸全土を統べるガレスだ」
大陸平定時に締結された五王国同盟は、十年毎に更新される慣習となっており、二年前にも五人の国王がマラノに集まり、三度目の批准を行った。
その際、グラン王の侍従として同行したアッシュは、エンドラ女王と共に列席するガレスを見ており、背格好や声は確かにその時のガレスのものを思わせた。
だが今、目の前にある漆黒の鎧はどうだ。以前見たガレスは、こんな物を身に着けてはいなかった。鎧からは禍々しいオーラのようなものを感じるし、マスクの奥には妖しい眼光が覗く。
「ガレス王子が…一体何故?」
「今にわかるッ!」
と言うなり、ガレスは斬りかかった。
未だ状況を呑み込めたとは言えないアッシュだったが、騎士団長の座は伊達じゃない。ガレスの剣を咄嗟に受け止める。
「ふん、流石にそう容易くはないか」
「ここまでの狼藉。ガレス王子と言えど、見過ごせはせんぞ」
私を斬るつもりか。
覚悟さえ決まれば、剣の勝負で引けは取らない。
「くっ」
アッシュは剣を構え直した。
一頭のワイバーンが、爪を立て、アッシュに襲い掛かる。剣で爪を弾き、ワイバーンの突進を逸らす。
と、息をつく暇もなく、別のワイバーンが尻尾を叩き付ける。
「むうっ」
剣を合わせ、直撃は防いだが、重量の乗った勢いは殺しきれず、アッシュは吹っ飛ぶ。
この数の魔獣を一人で相手にするのは、初めてだ。だが――。
立ち上がったアッシュは大きく息を吸い、そして吐く。
精神を集中し、相手の呼吸を読む。
こちらに仕掛けてくる、その刹那、
「鋭ッ!」
ワイバーンの尻尾が切り落とされる。相手が怯んだと見るや、すかさず止めを刺す。
数が多いとは言え、ビーストテイマーもいない魔獣の群れ。決して連携しているわけではなく、攻撃と攻撃の合間には、小さくない隙が生じる。
その隙に剣撃を叩き込み、一頭ずつ確実に仕留めていく。
やがて、大きく息をついたアッシュの周りには、七頭のワイバーンの死体が転がっていた。
気付いた時には、ガレスは既にいなかった。形勢不利と見て逃げたか。
しかし、七頭かそこらのワイバーンで、私の首が獲れると思ったのだろうか。妙な胸騒ぎがする。
ジャンもとい、ガレスの言葉が、アッシュの中で反芻される。
だからこそ貴公を連れてきた。
このゼノビアの守護者アッシュを。
俺が、グラン王を殺す――。
「まさか…!」
アッシュは王宮へ向けて駆け出した。
一方その頃王宮では、聖騎士叙任式が粛々と進められていた。
壇上には、国王グランとフローラン王妃、トリスタン王子が並び、その脇には王妃フローランの弟であり、唯一の近衛騎士パーシヴァルが控える。
居並ぶのは、王国に忠誠を誓う騎士団の中でも、特に勇名抜きん出た次の聖騎士候補者でもある騎士達十二名。また、いずれも国家の要職を担い、ゼノビア王国を支える貴族の面々。更には、国王の盟友、大賢者ラシュディも列席していた。
「騎士団長、アッシュ・シルヴァスタ殿、前へ」
「…」
名前を呼ばれたアッシュは、無言のまま、御前へ進み出る。
パーシヴァルから、聖騎士の証となるゼノビア王家の紋章が入れられた剣を受け取ったグラン王は、膝を着き、項垂れているアッシュへ歩み寄る。
「貴公の父と余は、大陸の平和のため、共に剣を取り戦った仲だった」
グランは、昔を懐かしむ声色でアッシュに語り掛ける。
「当時、まだ十五だった貴公も、父君と共に従軍し、ゼノビア王国の戦士として命を懸けてくれたのだったな」
アッシュは無言のまま項垂れている。
「以来、今日まで国家の安寧のため尽くしてくれたこと、また、騎士団長の任に着いてからは、騎士団を率いるに相応しい人格を示し続けてきたこと。その忠義に対し、ゼノビア王家守護者たる証をここに与え、貴公を我が国初の聖騎士に叙任する」
下賜するため、両手に剣を載せるグラン王。
アッシュは、ゆっくりと立ち上がる。
その動作に、不審なものを読み取ったグランは、
「貴様、本当にアッシュか?」
次いで、大きく目を見開く。
「何故、其方がここに――」
「うわああッ!」
アッシュは自らの剣を引き抜くと、両手で思いきり振り抜いた。
止まった時間の中で、ゼノビア王家の紋章を彫られた剣が、グランの手からゆっくりと零れ落ちる。
その鞘が玉座の床を叩いた瞬間、グランの首から大量の血が噴き出した。首元を押さえ、後退るグランに、止めを突き刺すアッシュ。
そのまま、王妃等の元へ向かい、剣を振り被るアッシュ。そこへ、パーシヴァルが割って入る。
「ぐうッ!」
深傷を負ったパーシヴァルだが、尚もその場に立ち塞がる。
今度は、入り口の扉が開かれた。
「王陛下!」
御覧じよ! 扉を開けて入ってきたのは、今しがたパーシヴァルを斬りつけたはずのアッシュ。
玉座の方へ目を移すと、元いたアッシュは、皆の視線が扉へ注がれた一瞬の内に消え失せ、その場所には、脅えた目をしたフローラン王妃、トリスタン王子、ジャン王子がいるばかり。
玉座に駆け寄ろうとしたアッシュ。その目に、変わり果てた姿のグランが映る。
「王…陛下」
一歩、二歩と進み、三歩目に出した足が、膝から崩れ落ちる。
「何をしておる! アッシュ殿を、取り押さえよ!」
それは、ラシュディの声だった。
命令を受け、騎士団がアッシュを取り囲む。が、それ以上動けない。
騎士団の者皆、アッシュがグラン王を斬り殺すところを目撃していた。しかし、凶行に及んだ先程のアッシュと、グランの死を前に立つ気力さえ失った目の前のアッシュが、彼等の中でどうしても結び付かなかった。
何が起こったのかわからずに、彼等は剣を抜くことができなかったのだ。
状況が掴めていないのは、アッシュも同じだった。
だが、アッシュにとって重要な事実は只一つ。グランが死んだ。自分が、ゼノビアの守護者たる自分が、陛下の御命を守れなかった。その一点の前に、他の事柄は意味を成し得なかった。
そう、アッシュには、貴族等の命令により、かつての仲間達から刃を向けられようとしていることも、最早どうでも良いことだった。
主の居なくなった王城で、貴族達は騎士団を排斥すると、自らの私兵を乗り込ませ制圧した。
その貴族等の手で略式の裁判が行われ、アッシュのバイロイト幽閉が決まった。
国王陛下の殺害、又その犯人が騎士団長アッシュという発表は、王国民達に少なくない同様を与えた。処刑でなく幽閉という処遇は、国民のこれ以上の混乱を避けるためだったのかもしれない。
だが、現に貴族達による追及が行われ、他の上級騎士等も口をつぐんでいる。何より、当のアッシュ本人が幽閉を受け入れたという事象は、少なくとも国民を納得させるには十分だった。
「王国始まって以来の名誉をその身に賜るとあって、儂は浮かれていたのだ。その慢心が、陛下の御命を奪った。儂は裁かれて当然の人間だ。それが主家を失い、国が滅んだ後になって尚、こうしておめおめと生き恥を晒し続けている。貴殿等反乱軍が、真に王国の威信を受け継ぐ存在だと言うなら、遠慮は要らん。儂を斬るがよい」
アッシュの瞳は、深い哀しみの色を湛えていた。
無理もない。王家の守護者としての証を賜ろうというまさにその日に、王家を護れなかったという事実を背負ってしまったのだから。
王家の盾となって死ぬことも、王国と運命を共にすることもできなかったのだ。騎士としての誇りが人一倍である以上、戦って死ぬことも叶わなかった自身を、アッシュは亡霊のように感じていることだろう。
生きる意味を失ったまま、13年間も牢獄に繋がれていた彼の苦悩は、計り知れない。だが、だからこそ、
「貴方が自分を許せないという気持ちは、よくわかった。でも、いくら貴方が自分を鞭打ったとて、王家が滅んだという事実は変えられないのよ」
「では、どうすればよいというのだ! 仕えるべき主君を失った騎士は、どのように命を捧げればいい?」
「今の話を聞いて私が怒りを感じたのは、貴方を陥れたガレスの方よ。騎士の王家に対する忠義心を逆手に取って、最も国を思う者に逆賊の汚名を着せるなんて。踏み躙られた側が自らを恨む。そんな世界を、私は許さない!」
「同感です」
ウェンディの怒りに、ウォーレンも同意を示す。
「グラン王死去後の宮宰を執った貴族達による臨時評議会ですが、帝国との戦争が始まると、帝国に降る投降派と、一度手にした権力に固執する独立派に分裂し、独立派が投降派を追放したタイミングで、騎士団がクーデターを起こし、亡きグラン王の遺志を継ぐ動きとなりました」
「王国の威信を守るため、グラン王亡き後も我々王国戦士団は戦い、一度敗れ去って尚、剣を捨てられずにいる。アッシュ殿、ウェンディ殿の軍に集ったのは皆、そうした連中なのです」
主家を喪った騎士という苦しみは、ランスロットならば身に沁みてわかる苦痛だ。そのランスロットは今、ウェンディ軍の陣中で剣を振るっている。
「貴方が罪を認めて居ることは、グラン王の真の仇である帝国をのさばらせておくことなのよ。このまま帝国の支配が続けば、グラン王が遺したゼノビアの魂まで、いずれ滅びてしまう。誰よりも王の死を嘆いた貴方が、そんな不義を許していいの?」
グランが遺したゼノビアの魂。
アッシュは、ウェンディに従ってここまで来た戦士達の顔を確認する。
王国が滅びて13年、その名残はとっくに失われたと思っていた。自分がバイロイトに取り残されたように、かつて王国の栄誉も忘れ去られていくものだと。
だが、現実は違った。暗黒の時代の中にあって、ゼノビアの魂を受け継ぎし者達が、大地に再び光を灯さんと戦い続けている。
アッシュの騎士としての誇りが、打ち震えた。しかし、それは同時に、刻まれた疵をも疼かせる。
「自分の後悔に、陛下の死を利用するのは止めとしよう。だがそれでも尚、儂は陛下の死に際し、全くの無力であった。この剣が最も必要とされた時に、剣を抜くことができなかったのだ。剣だけに生きてきたアッシュ・シルヴァスタの生は、王陛下の死と共に終わりを迎えた。この牢を出たとて、儂が生きていく場所はとうに無いのだ」
グラン王の剣として、王国の礎を築いてきたという自負。その偉大な誇り故に、最後まで役目を果たしきれなかった無念が、彼の魂を牢獄に縛り付けるのだろう。
この先も、彼の無念が晴れることはないのかもしれない。それでも、騎士の鑑とまで謳われたこの男に、居場所がないなどと思いたくなかった。
「貴方の両手は、過去を取り戻すためではなく、剣を振るうためにあったのでしょう。剣は、過去ではなく目の前の現実を切り開くためにあるのよ」
今を切り開くための剣。アッシュの瞳に光が宿り始める。
「騎士団長アッシュ・シルヴァスタの剣は、グラン王の命と共に失われたのかもしれない。では、剣士アッシュに問う。貴方の腕にまだ剣を振る力が残っているなら、帝国を倒すためにその剣の腕貸してもらえるかしら。貴方の残りの命を、明日を築くための戦いに捧げられて?」
「最早使い途のなくなった儂の剣、貴殿が役立てるというなら、喜んで差し出そう。正義のための戦いで果てるなら、一介の剣士の死に場所には本望だ」
アッシュは立ち上がり、終の棲み家と甘んじた牢の外へと踏み出す。
王の死という十字架を背負い続けてきた騎士団長は、新たな戦いに居場所を見つけて、一度背を向けた世界へ歩み出す。
東から吹き込んだ暖かな風が、止まっていた老剣士の時間を動き出させ、再び日の光を浴びることを許した。
「では、愈々ゼノビア城の攻略に参りますが、アッシュ殿、城壁の攻略に何か有用な手を御存知でしょうか?」
「いや、儂の知るゼノビアの城壁なら、そう易々と崩せるものではない。正面から当たる他に、有効な手は思い浮かばないな」
「そうですか」
険しい表情のウォーレン。王国騎士団長直々に穴はないと言われては、手立てを見つけるのは難しいだろう。
「役に立てず、済まない」
「いえ。では、一先ず当たってみることにしましょう。リサリサ隊をバイロイトの防衛に残し、ハドソン隊と合流後ゼノビア城へ向かいます」
「またこんな辺境の防備」
リサリサは不満げだった。
「まあそう仰るな。要害のバイロイトは、敵に奪われれば厄介なことになります。南へ下った先に、我等が本拠ミュルニークがあるのですから」
リサリサを宥めつつ、ウォーレンはアッシュと、共に解放されたラット、カラベルの方へ向き直る。
「アッシュ殿、ラット殿、カラベル殿は、このままミュルニークへ向かってもらうことになりますが、宜しいでしょうか」
「構わん。我等とて、かつては戦士だった身だ。お気に召さるな」
「一応、このストーンゴーレムを護衛に付けましょう」
ゴーレムと共にバイロイトを発った三人を見送り、ウェンディ達もバイロイトを出る。
「アッシュ殿は?」
ハドソン隊で任務に着いていたアンディが、ウェンディに尋ねる。アッシュと知り合いだったのかもしれない。
「アッシュ殿も、我等の軍に加わってくれることになったわ」
「それは」
願ってもない。アンディの表情はそう告げていた。
「我等はこれより、ゼノビア城へ向かいます。先鋒のハドソン隊で敵の迎撃に対応してもらうことになりますが、かなりの激戦が予想されます。いつでも撤退できる用意はしておいてください」
「早速、お迎えが来たみたいだぜ」
前方、グリフォンに乗ったナイト達が向かってくるのが見える。
言うが早いか、迎撃に出るハドソン隊。
と、更に数隊の帝国軍。
「敵の動きが早い」
「さすがは帝国正規軍と言ったところでしょうか」
ハドソン隊の援護に入った方がいいか。
近寄ろうとしたウェンディ隊に、ハドソン隊が呼び掛ける。
「来なくていい! そこで合図を待て」
合図?
正規軍相手でも、ハドソン隊は引けを取らない。迫ってくる敵を、次々と跳ね返していく。
と、ウェンディ隊とハドソン隊を繋ぐ線の先、一本の道が開くのが見えた。
「今だッ!」
ハドソン隊とウェンディ隊は同時に翔び立ち、敵の防衛線を突破した。
「やるわね」
「任せとけ」
そのままゼノビア城まで進軍できるかと思ったが、前方にはまたもやグリフォンの影。
「敵は、グリフォンを使った大空移動のユニットで軍を構成しているようです。兵は拙速を尊ぶと言います。デボネアは、機動力を以てこちらを制するつもりでしょう」
「やれやれ。これじゃ城まで、気を抜く暇はなさそうだぞ。疾風のデボネアってのは、この航空戦術が由来なのか?」
ぼやきながら、ハドソン隊は敵を迎え撃つ。
太陽は日暮れに差し掛かり、夜の闇が空を覆おうとしていた。
厳しい戦いになる。
ウェンディはそう思った。
ゼノビア城手前まで進軍したウェンディ達。
今回に限って、夜の闇はウェンディ達にも味方したのだろう。予想されていた程、敵の反撃に苦しむことはなかった。
だが、ここからは――。
「ゼノビアの城門は東西南北四ヶ所にありますが、今バイロイトに向かう東門には、敵が集結しているはずです。我等は迂回して、次に近い南門から攻め入りましょう」
南門に回り込み、城壁越えを目論むウェンディ軍。だったが、察知した敵が南門へ兵を向ける。城壁で足止めを食うウェンディ達に、続々と敵兵が襲い掛かる。
「やはり、このままゼノビアを落とすのは難しいようです。すぐ後ろに、アンベルグという城塞都市があります。一度そこに入り、態勢を建て直しましょう」
後退したウェンディ達は、城塞都市アンベルグを解放し、広場に集合する。
「後退したはいいけど」
ウェンディはウォーレンに尋ねる。
「何か手はあるの?」
「ミュルニークに残した全勢力を結集しての突撃。が、現状考えられる唯一の手段となります」
「それは…」
要するに、策も何もない、真正面からの力押しということか。
「どうやら、お困りのようだな」
考えあぐねるウェンディ達に、声を掛けてきた者がいた。
年の頃は、まだ20代前半か。精悍な顔つきをしているが、肉体を見せびらかすような格好は気に入らない。
「お前等、反乱軍だろ? 城壁の攻略に手間取って、この町に寄ると思ってたぜ」
歳の割に、横柄な態度だ。
「この大陸一の魔獣使い、獣王ライアン様が力を貸してやってもいいぜ」
大陸一の魔獣使い? ギルバルドの方を見るが、首を横に振る。ゼノビア王国魔獣軍団長だったギルバルドをしても、この獣王様の名は聞き及んでいないらしい。
「だが、タダで助太刀するわけにはいかねえな。俺様の力を借りたければ、二万ゴートよこしなッ!」
随分大きく出たもんだ。二万ゴート。出せない金額ではないが。
「お前なあ…」
カノープスも呆れている。こんな不躾なやり方で、自分を買ってもらえると思うのだろうか。
「残念だけど」
「なんだ、金が無えのか? しょうがねえなあ。まあ、いいさ。金の当てが出来たら、声を掛けてくれ」
そう言うと、男はその場を去る
何だったんだ、奴は。
「折角ですから、この町で、城壁の攻略法が無いか、探ってみましょう」
ウォーレンの提案で、聴き込みを始めるウェンディ達。
とは言っても、市民達に聴き込みをしたところで、城壁の攻略法がわかるものだろうか。
ハドソン隊が市街地の方へ向かった一方で、ウェンディ隊はアンベルグ城主に尋ねてみることにした。
「城壁と言えば」
城主は思い当たる節があるらしい。
「かつて、トロイという名の伝説のからくり師が存在したといいます」
「からくり師?」
首を傾げるウェンディに、ウォーレンが補足する。
「からくり師というのは別名、手技の魔術師とも言う魔術師の一種です。魔力を込めた物質を組み上げる、その方法が一つの術式になっており、組み上げられたアイテムを使用することで、魔術の心得がない者でも複雑な魔術を行使することができるのです」
マジックアイテムの製作者というわけか。
「彼の作った木馬型のからくりは、目的の城壁に取り付けることで、どんな城壁でも破壊することができたそうです。実はその『トロイの木馬』が、ゼノビア付近の教会に預けられているとか」
「じゃあ、それを見つければ」
ゼノビアの城壁を壊せるかもしれない。それにしても、
「よくそんな情報を知ってたわね。トロイの木馬だけでなく、それがある場所まで。ひょっとして、貴方も帝国に叛旗を翻す機会を窺ってたの?」
「いえ、私にとてもそんな勇気は…。この話は、ついさっき現れた男がしていったのです。名は確か、ライアンとか」
ライアンって、さっきのあの態度のデカい男か。一体何のつもりだ?
「ともかく、一度広場に戻って、ハドソン隊と情報を共有する」
ウェンディ隊が広場に戻ると、ハドソン隊も既に戻ってきていた。そして、あの男も。
「おう、金の当てはついたのか?」
「いいえ」
「そうかい」
そう言うと、ライアンは広場に居た連中と相撲を取り始めた。
気を取り直して、ハドソン隊にトロイの木馬の情報を告げる。
「というわけだから、これからゼノビア近辺の教会を当たってみようと思う」
「教会というと、このアンベルグとミュルニークとの間に一つと、もう一つはここからポストイナ川で区切られたブルゼニュまで行き、更に先へ進んだ先。結構遠いですな」
ウォーレンが思案していると、
「あー、あー、あー。曲がりなりにも、この辺り一帯は帝国の支配下なんだよな。物騒な物を隠そうって奴が居るとしたら、そう簡単には見つからないような所にするんだろうなあ」
相撲の歓声に混じって、独り言にしてはあまりに大きすぎる声が聞こえてきた。
「簡単に見つけられないとすると、隠し教会かしら」
「それなら、アンベルグの南西にある島に、隠れた教会が存在するって話を聞いたな」
ハドソンが答える。
独り言の主は、素知らぬ顔で相撲を取り続けている。
ライアンがどういう男か、だんだんわかってきた気がする。
「じゃあ、私達は南西の教会に向かうわ」
「ハドソン隊には、アンベルグの防衛をお願いします」
ウェンディ隊は、アンベルグを発った。
小島に渡ると、確かに隠れた教会があった。
ウェンディは教会を解放する。
「ここに、トロイの木馬が置いてあると聞いたんだけど」
「それでしたら」
神父に尋ねると、人間大の大きさをした、四ツ足で長い首を持つ獣の木像を見せてくれた。これがトロイの木馬か。
「ちなみに、これがどうしてここにあるの?」
「一週間ばかり前でしょうか。ちょうど、デボネア将軍が、ゼノビアに入られた頃だったかと思います。一人の男がこれを持ってきたのです。自分では使い途がなくなった物だが、この先おそらく、これを必要とする者が現れる。その時まで、帝国の目が届かないこの地で、トロイの木馬を預かって欲しいと」
初めから、私達に渡すつもりだったってこと?
「その男の名前、わかる?」
「彼は、ライアンと名乗っていました」
ウェンディ隊は「トロイの木馬」を受け取ると、教会を発つ。元の大きさも大概だが、魔力が込めてあるせいか、えらく重たい代物だ。運ぶのに、ウェンディ達は五人掛かりだった。
「これは、下手に取っておこうと思わず、手にした時点で使ってしまった方がいいですな」
そりゃそうだろう。造形も簡素なもので、用途がわからなければ、置物としても大した値はつきそうにない。
「それにしても、あのライアンという男。初めは我々を混乱させるための、帝国の間諜かとも思ったが」
「ああ、奴のもたらした情報は、全て真実だった。あれで案外、いい奴なのかもしれん」
「いい奴が二万ゴートも吹っ掛けるかよ!」
ランスロット、ギルバルド、カノープス達が話し合っているように、ウェンディもライアンのことが気になっていた。気になるのはあくまで、面白いヤツという意味でだが。
アンベルグに戻ったウェンディ隊。
と、そこへ、グリフォンのネッソスに乗って、アッシュ達がアンベルグに到着した。
「もう戦えるの?」
「ああ、問題ない。それにデボネアの奴とは、因縁もあるしな」
戦士の顔に戻ったアッシュは、この上なく頼もしく見えた。
「では、ゼノビア攻略の作戦会議に入りましょう。ちょうどネッソス、マックスウェル殿、カノープス殿がいるので、飛行部隊三隊で攻め込みます。問題はネッソスに乗る先鋒部隊ですが」
「先鋒は、我等に任せてもらおう」
声を上げたのは、アンディ等アッシュの家臣達であった。再び戦地に赴く主人に、彼等も並々ならぬ思いがあるようだ。
「では、カラベル殿、ラット殿を加えたアンディ隊に先鋒をお任せします。第二陣は、アッシュ殿にお任せしましょう。第三陣は我等ウェンディ隊。三隊の連係が鍵になります」
遂にデボネアとの対決だ。相手は将軍であると同時に、女帝直属の聖騎士と聞く。彼個人の武も、相当のものと見ていいだろう。
「一ついいか」
アッシュが提案した。
「デボネアの剣の腕は、儂が保証する。特に、奴の剣技ソニックブレイドは、接近しての戦いを阻む。こちらも、遠距離攻撃の可能なサムライ装備で望むべきだろう」
「成る程。幸い、サムライ装備に十分な数が用意してあります。後方からの攻撃主体で攻めましょう」
頷く緒将。
流石、元騎士団長だけあって、統率力は目を見張るものがある。というか、これ私要らないんじゃないかな。
サムライ装備を整えたウェンディ軍は、ゼノビア城攻略のため、愈々アンベルグを発つ。
「トロイの木馬は見つかったか?」
アンベルグを出る所で、ライアンが声を掛けてきた。
「お陰様でね」
「俺の力を借りたければ、今からでも遅くないぜ」
「そうね。考えとくわ」
ウェンディは笑顔でそう返すと、アンベルグを後にした。
ゼノビア城、南の城壁。
ウェンディ軍の手によって、ある物体が仕掛けられる。
「これでいいの?」
ウェンディが作動させると、黒い影が四本の足を、目にも止まらぬ速さで一本ずつ踏み始める。その動きは次第に大きく、また間隔も開いていき、大地を踏み鳴らす音がやがて地鳴りとなった。
振動が地震となり、立つのに支障が出る程になったところで、城壁に押し付けられる木馬の首。
それは、決して大きな衝撃ではなかったはずだ。むしろ城壁が傷付かぬよう、そっと押し当てるような動きだった。
にも拘わらず、ぐわんと大きな音が響いたかと思うと、その音波は城壁を伝って周囲に駆け巡り、遠くの方でパリンッと硬質な音が弾けると共に、見上げる程だったゼノビア城壁が崩落した。
「みんな、怪我はないかしら!」
地震が起き始めたタイミングで皆、空中に翔び上がっていたため、幸い怪我をしたものはいなかった。今後使う際は、注意が必要だ。
だが木馬の方は、完全に瓦礫の下敷きになってしまっている。どちらにしろ、使いきりのアイテムだ。
瓦礫の上に降りて、ゼノビア城下を見渡す。
「これが、あの大陸一の都、ゼノビアの城下か」
アッシュが、悲嘆の声を漏らす。
そこに広がっていたのは、異様な光景だった。
倒壊した建物の跡にぽつぽつと点在する、バラックのような粗末な小屋群と、その合間に存在するゴミの山。
初めはトロイの木馬の影響かと思ったが、そうでないことは建物の年代感を見てわかった。
これらゼノビアの城下町は、13年前落城時の戦火で焼けて以来そのままなのである。
それから大した復興もなされぬまま、このようにスラム街の様相を呈している。
よく見れば、ゴミ山を通り抜けて行き交う人もいるが、男も女も親も子も、皆一様にボロボロの服を着て、虚ろな目をして歩いている。
彼等は、街を守る城壁が崩され、ウェンディ達が現れても、吠える野犬程の関心も示さなかった。
そうした人々の中を、ウェンディ達は進んでいったのだった。
城壁の異変を知り、ウェンディ軍の侵入に気付いたデボネアの側も、迎撃の隊を繰り出してくる。だが、再びゼノビアの地を踏んだアンディ隊の戦意は、鬼気迫るものがあった。
迎撃隊を蹴散らしていき、かつてゼノビア王宮であった、帝国の将軍デボネアの本拠が見えてくる。
「覚悟はいいわね」
夜が明けるにはまだ早い。朝日が昇る前の最後の暗がりを突き破って、ウェンディ軍はゼノビア宮殿に突入した。
「よくここまで来たものだな。命知らずなその勇気は誉めてやろう」
宮殿へ入ったウェンディ達の正面。灰暗い広間の中央で、甲冑のよく似合う長身に、これも見事な金色の長髪をした偉丈夫が、待ち構えていた。どうやら、彼一人のようだが。
「我が帝国は寛大だ。今からでも遅くはない。速やかに投降すれば、命だけは助けてやれる」
気のせいだろうか。言葉は高圧的だが、帝国の将軍という肩書きと裏腹に、自信無さげな男に見えるが。
「さあ、命を粗末にするな」
「人々の命を粗末に扱っているのは、貴方達帝国の方じゃない! 帝国に従って助かる命ならば、こんな所まで来たりはしない! 私の命は、私の正義を実現するためにある!」
「そうか。なればこのデボネアが、ハイランドの名誉に懸けて、貴様等を倒す」
「その剣に、真の名誉があるのか?」
その声の主、アッシュに対して一度目を細めたデボネアだったが、さして驚きもせず。
「陛下の治めるこの大陸の平和を、貴様等反乱軍は乱している。陛下に害為す者を討つこの剣が、俺の名誉だ!」
「大陸の平和か。よく言う。このゼノビアを見ろ! 大陸一の栄華を誇ったこの街が、今やただのスラムではないか!」
「くっ」
グラン王が治めていた時期のゼノビアを知っているデボネアにとって、この地に派遣されて見たゼノビアの惨状は、想像を絶するものだった。
今ならウェンディにもわかる。帝国四天王たるこの男から、覇気を感じない理由。デボネアは迷っているのだ。自分の信じているものが、自信の正義が、本当に正しいのか。
「無辜な民を虐げ、誇りある家臣に人殺しを命じ、世に悪徳を蔓延らせる。そんな帝国が、どうして理想の国家と言えよう」
「黙れッ!」
「これが本当にエンドラの意志なら、貴公の主君は仕えるに値する相手か?」
「…たとえ貴殿だろうが、それ以上陛下を侮辱することは許さん」
剣を構えるデボネア。すると、その両脇で、ゆっくりと鎌首が持たげられ――。
石像だと思っていたそれらは、二体のレッドドラゴン。
まさか、ドラゴンを使役していようとは。
やはり、四天王。甘くはないか。
だが、ウェンディ軍の戦士に気圧される様子はない。何が相手だろうと、彼等の剣には信念があるからだ。
「よかろう。どちらが正しいかは、剣が示してくれる」
各々が剣を構える。
「行くぞッ!」
まず動いたのは、アンディ隊。ラット、カラベル、アンディの三人は、構えた剣を同時に振り下ろす。
繰り出されたのは、古くの同輩として息の合った三つのソニックブーム。
反射神経でもデボネアは一級の剣士だが、流石に三つの斬擊は防ぎきれない。
アンディの攻撃を避けた先で、ラットの攻撃を剣で受けるも、カラベルの攻撃に身を晒す。
「ぐっ」
デボネアを襲うは、数の暴力。それにしても、あれだけの数がいた帝国兵は、皆出払ったのだろうか。
「イアーッ!」
「ギィーッ!」
神速の剣技は、ネッソスが体を張って受け止める。
襲い掛かるドラゴン達は、前衛のマックスウェルとマルコムの二人が凌いでいる。
「見極めよ、デボネア。貴公が真に貫きたい正義は、一体何だ?」
「むぅ!」
激昂したデボネア。駿足の踏み込みから繰り出される剣は音速を超え、デボネア渾身の斬撃となってアッシュに襲い掛かる。
しかし、それを予期していたアッシュは、剣筋を見切ると紙一重で受け流し、
「鋭ッ!」
デボネアの剣に合わせて自らも剣を唸らせた。
「がっ」
態勢が整わないデボネアの方は、ソニックブームの直撃を受ける。
息つく間もなく、今度はディベルカとハドソンが剣を振り上げている。
二本のソニックブームに対し、デボネアは一つを剣で受けるのが精一杯だった。
「グワァーッ!」
デボネアの動きは、明らかに落ちていた。
そこへ、
「アイスレクイエム」
周囲を凍らせるウェンディの魔法。今のデボネアに回避は困難だ。
満足に動かなくなる体を、デボネアは気合で鞭打ち、再び剣を構えようと――、
「…ッ!」
はたと気付くデボネア。愛剣ソニックブレイドは、刃が完全に凍り付いていた。
「俺の負けだ」
疾風のデボネアは、遂に膝を屈した。