「胸の大きいいい女」のどこが悪いんじゃ‼️ 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』感想記事

 

 

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの完結編、『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』が遂に公開されました。私も見てきまして、四半世紀続いたシリーズの完結に相応しい、感無量の素晴らしいエンディングを迎えてくれました。

 ですが、この着地、特にラストシーンに対して異を唱える意見が散見されるとか。このままでは私自身モヤモヤとした感情が残るので、あの結末のいかなる点が私を揺り動かしたかをここに記すことで、『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を称賛した私自身を肯定したいと思います。

 先に言っておきますが、私はエヴァ特有の複雑な世界設定に関しては、正直さっぱり理解できておりません。そのため『シン』を語る記事を書くのは躊躇われたのですが、キャラクター描写に着目したヒロインを語る記事があっても良いのではと思い、その方向性で文章をまとめております。

 従って以降の記事は、設定の謎を解説したりする類いのものではないので、そういった考察記事を期待する方は御容赦下さい。尚、本稿は内容に関するネタバレを含むので、ネタバレを避けたい方は、ブラウザバックを推奨します。

 


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序論

 問題のラストシーンとは、神木隆之介ボイスとなったシンジが、マリと手を繋いで現実の世界へ駆けていくシーンです。

 マリが選ばれたことに対して、一部の厄介オタク達がぶつくさほざいてるわけですが、あれマリ以外有り得ないから‼️(断言)

 なので、劇中の描写を通じて、シンジの相手役としてマリが選ばれて当然の理由を論じていくのが、本稿の目的となります。

 また、2時間35分という大作を一息に語るのは難しいので、便宜上本編を序盤の「第3村」、中盤の「ヤマト作戦」、終盤の「アディショナルインパクト」、ラストの「ネオンジェネシス」の4つのシークエンスに分けて語りたいと思います。

 加えて、本稿では劇中のキャラクター描写を中心に見ていくため、それぞれのシークエンスを、主人公であるシンジと各ヒロインの関係性を軸に語っていきたいと思います。具体的には、1章が「アヤナミ」、2章が「アスカ」、3章が「ミサト」、4章が「マリ」になります。

 さらに、本作を理解する上で、旧来のファンに向けたメタ的な視点というのが意味を持ってくる場合があるので、それぞれの章の表面上の意味を解説した後に、それがシリーズファンからはメタ的にどのように読み取れるのか、本編の外側の情報を浚っていく形で解説していきたいと思います。

 本稿は、12段落×4章に序論総論を加えた形で展開していきますが、大雑把に言えば、各章の前半6段落が本編の時系列を追っていく同時的な繋がりを、後半6段落が背景的な視野も含めた通時的な関係性を見ていくことで、本作のキーワードである「一緒に生きていく」と「好きだった思い出を忘れない」の両方のテーマを浚っていきたいと思います。

 

第1章 第3村/アヤナミ

 本作は、ヴィレによるド派手なパリカチコミ作戦から始まる。新劇場版の冒頭シーンは、物語全体のプロトタイプとして重要なのだが、ひとまず語るのは置いといて、シンジ達視点の第3村のシーンへと移る。

 起死回生を図った13号機への搭乗が、フォースインパクトとカヲルの死という最悪の形に帰結して塞ぎ込むシンジは、黒レイと共にアスカに連れられて、第3村へ入る。

 このシークエンスは、牧歌的な第3村で優しくされたシンジが、再生を経験して再び戦いに赴く、ように見えるが、話はそう単純ではない。

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シンジと釣りのミスマッチ感(笑)。こんな可能性も開かれてるのが“あるがままの世界”。要は「学園エヴァ

シンジと黒レイ

 保護されたシンジと黒レイは、一旦トウジの家でご相伴に預るが、思いの外馴染む黒レイに対し、シンジは鈴原家の好意を受け入れることができない。見かねたケンスケによって村外れのビルドハウスへ引き取られるが、そこに居たアスカの首にDSSチョーカーを認めたシンジは、トラウマを刺激され吐く。

 働き、挨拶を交わす黒レイがロボットのように人間を学習する一方で、話すこともできず、うずくまったまま関係性を拒絶するシンジ。業を煮やしたアスカが無理矢理現実と向き合わせようとするも、干渉に耐えられなくなったシンジは家出し、廃棄されたネルフ施設跡地へ。そして暫く、ここで過ごすことになる。

 ある日、本を見てシンジのしてくれたことを思い出した黒レイは、S-DATを拾った自分にシンジへの好意があることを自覚し、ビルドハウスへシンジを訪ねる。アスカからシンジへの感情はデザインされたものだと告げられるが、「(それで)良かったと思う」と答える。そんな黒レイにアスカはシンジを託し、以後黒レイは廃墟へシンジを訪ねる日が続く。

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「友達だろ」が効果かかってて、『:Q』の前半もシンジ主観でバイアスかかってたのかもしれん
あなたが好きだから

 一度は拒絶されるも地道に通い続けた黒レイの、ある日の問い掛けがシンジの急所を衝く。自分のせいで酷い目に遭ったトウジ達から親切にされ、拒絶した黒レイの優しさに甘えてしまう自分の弱さを認めざるを得ないシンジが、遂に絞り出した弱音。それに黒レイは、「あなたが好きだから」と答える。

 Mark.9を降りた時から命令を失ったまま第3村で生きてきた黒レイは、綾波レイの予備という操り人形ではなく自分の意志を獲得し、「“好き”って何?」と言っていた少女が他ならぬ自分の感情としてそれを口にした。そして、「話したくない」という話をしてくれたことに「ありがとう」を言い、「仲良くなるためのおまじない」として手を差し出す。

 救世主どころか世界を壊した自分に、エヴァに乗る資格なんかない。それはつまり、自分の居場所など何処にもないということだと感じていたシンジは、役目を求めず生身のシンジとして彼を肯定する黒レイの言葉を聞いて、ようやく自分を閉じ込めていた檻から出ることができる。

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この「ありがとう、話をしてくれて」が最後の「考えてくれただけでも嬉しい」に繋がる
仲良くなるためのおまじない

 実は、黒レイとの関係を先に築こうとしたのはシンジの方だった。『:Q』で黒レイをオリジナルのレイと思ったシンジは、会話を求めるも会えず、せめて好意を伝えるべく毎日本を探して届けたが、命令を聞くだけのロボット黒レイがシンジに向き合うことはなかった。やがて黒レイの正体を知ったシンジは、綾波レイの代替物という黒レイのアイデンティティを否定し、拒絶する。

 この『シン』での黒レイの不器用な愛情表現は、まんま『:Q』におけるシンジの裏返しであり、綾波と思ったものに向けていたそれは、他ならぬシンジが欲していた好意でもある。自分ではどうしても自分を許せず、居場所を見出だせなかったが、ずっと応えて欲しかった相手から自分を肯定する言葉を貰え、シンジは自罰感情から解放されていく。

 そしてその“儀式”が、握手だ。互いを傷つけ得る距離まで近付き、互いを支え合う。辛いこともあるけど、楽しいことも見つかる。拒絶し合った経験がある2人だからこそ、握られた手は、シンジをネルフ廃墟という牢獄から連れ出すことができた。

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廃棄されたネルフ施設に籠る居場所のない世界の敵
エヴァを降りたシンジ

 『:Q』のシンジの苦悩とは、エヴァに乗れ」と言うネルフと「エヴァに乗るな」と言うヴィレの間で引き裂かれた結果だ。『:破』でエヴァに乗った成果をゲンドウに認められ、『:Q』でエヴァに乗った罪からミサトに無視され、シンジに向けられる評価は常にエヴァと不可分であった。

 しかし、エヴァに乗らない自分を見てくれる友達の存在で、ようやく生身の人間として他人と関わっていく。村にも馴染み始めたシンジは、家族のため大人になったトウジから、救えなかった命の責任を引き受けるという向き合い方を教えられる。また、父親を亡くしたケンスケからは、生きてる間にゲンドウと向き合っておけと伝えられる。

 『:破』で綾波エヴァに乗ることでしか人と繋がれない」と言ったが、それはシンジも同様だった。それ故、周囲からの必要不要という価値判断にしか、自分の居場所を見出だせなかった。それが今、「エヴァンゲリオン初号機パイロット」というアイデンティティを失った第3村で、生身の碇シンジとして自分の意思に目覚め始める。

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うっすら泣いた跡が
アヤナミの居場所

 ある日の朝、黒レイがネルフ廃墟跡にシンジを訪ねる。シンジは、頼まれていた名前に関して、アヤナミとしか付けられないと謝る。「綾波は『綾波』しかいない」のに。それでもアヤナミはお礼を言い、第3村そしてシンジが好きだったことを告げ、S-DATを遺して消滅した。

 アヤナミ綾波レイの複製体であり、どれだけ人間に近付いてもこの世に居場所を得ることは叶わない。それでも、好きな人の中に「アヤナミ」という居場所を貰い、プラグスーツを脱いで第3村に居たいと望んだ。だからシンジに「ありがとう」を言い、短い生を謳歌した証として「さようなら」を告げたのだ。

 『:Q』でレイの喪失に向き合えず黒レイを拒絶したシンジだったが、彼女を認めた途端、今度はアヤナミを喪う。だが、既に前へ歩き始めたシンジは、散々泣いてアヤナミの喪失を受け入れると、S-DATを受け取る。『:Q』におけるS-DATは、綾波とシンジを繋ぐ絆であり、シンジを過去に縛り付けていた呪縛。アヤナミから返された今、S-DATは「さよなら」を告げた過去として、生きている間に為すべきことを伝えるメッセンジャーに変わる。

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社畜の顔

 

第3村=戦後日本

 シンジが引きこもってる間に、シンジを助け出せるまでに成長した黒レイ。初めは何もできなかった黒レイに対し、第3村の人間は一つ一つ懇切丁寧に人間の生活を教え込み、村の一員として受け入れようとする。

 不気味な程の全面的な善意に満ちてる第3村だけど、ここに至るまでには「お天道様に顔向けできんこともやった」とトウジは語る。ここで改めて第3村の風景を見ると、『:序』開始時点の2000年前後から時代が大きく巻き戻って、まるで戦後のような見た目をしてる。

 これは後々、シンジと同じように居場所のなかったゲンドウの経験と重ねられる形で回収されるわけだけど、もう1つ意味を読み込みたい。即ち、第3村の善意とは、地獄のようなニアサー後の世界で、各々が必死になって生き抜いてきた人々が、「今をしっかり生きたい」と意識した故の笑顔。それを表すため、敗戦という地獄を経験し、生き延びる上で非合法な行為も黙認された戦後日本の外観が投影されているんだと思う。

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ゲンドウの回想の補填にもなってる
旧作ファンが見る第3村

 第3村の人間の全面的な善意。これはこれでガチの鬱病抜けた人が語る世界のような妙な生々しさを感じるものではあるけど、あれを見せられるのは、はっきり言って居心地は悪い。単に“田舎は素晴らしい”って表現なら他にいくらでも例はあるけど、この第3村はそんな薄っぺらさを超えた気持ち悪さがある。

 俺も劇場で面食らったけど、旧来のファンならこのうすら寒さに既視感がある。そう、TVシリーズ25話「終わる世界」と26話(最終話)「世界の中心でアイを叫んだけもの」で描かれた、補完計画実行のシークエンス。

 詳細は省くけど、シンジの内面からシンジの再生を描いたTVシリーズのラストに対して、シンジがシンジであることを受け入れて前に進む決断をしたこの第3村のシーンは、まさにそれを外側から描いたものと言っていい。エヴァ』の中でも最も問題視されてるTVシリーズラストを再解釈してきたことからも、庵野秀明総監督の本気で『エヴァ』を総括するという意志を感じる。

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レイのデジャヴはシンジの潜在的希求?
TVシリーズとの違い

 そしてTVシリーズラストと比較するなら、やはりここで描かれる再生が、対極にあるものだということもわかる。補完計画とは、ゼーレないしネルフの意思によって、全ての人々にもたらされる救い。それはシンジの内面から描かれながらも、世界全体がシンジを再生させるための装置として供される構造。

 一方で第3村は、シンジの再生のためにあるわけではない。第3村の人々は、今を全力で生きているだけ。その今を生きるということの中に、目の前で病んでいる昔の友達に手を差し伸べるということが入っている。これは、14年を経て大人になったトウジ達だからこそ描ける再生の形だ。

 TVシリーズで“あたり”を引いたトウジは物語から退場し、それに連なってケンスケとも絶縁。シンジからネルフ以外の繋がりが絶たれてしまうけど、『シン』では痛みを引き受けながら生きていく第3村のまさに顔という存在で、シンジに「大人になる」ということの本当の意味を教えてくれる。

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『:Q』でフラグ立てたくせに、生きとったんかワレ
繰り返す日常

 思えば、初対面でいきなり殴られ、今度は殴って友達になったトウジは、多少クサくはあるも、互いに傷付く距離で手を取り合う生身の関係性を体現したキャラクターで、世界と向き合い始めるシンジを描くのにこれ以上の適役はいない。トウジが絡んでくることで、物語が180゜転回する。

 その妻ヒカリも、上述の件で取り乱し呪いの言葉を吐いたTVシリーズから、第3村では悲劇を受け止められるタフな母親であり、第3村を出たサクラや北上とは対照的に、まるでシンジがエヴァに搭乗していた事実などなかったかのように繰り返す日常を信じ、辛いことや楽しいことの連続する人生を精一杯楽しもうと努める。

 明日をも知れぬ状況の中で、農業をやり、よく眠れるように「おやすみ」を言い合うのが第3村の人間。家族思いのトウジの優しさは、そうした「おはよう」を言い合う家族の一員として、目の前の今を生きろというものであり、シンジにもそうなって欲しいと言うトウジに、しかしケンスケは「うん」と言わない。

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旧作ではアスカを受け入れる役だった
ケンスケの役割

 『:序』でもあった家出のシーン、TVシリーズではテント生活をしてたケンスケに匿われる。『シン』は、まさにその役所。兵器にロマンというもう一つの世界を見るミリオタのケンスケは、視点が俯瞰的な位置にあって視聴者感情も乗せやすいキャラ。それだけに、同じく上述の件でシンジを拒絶した時にはこちらも突き放された。

 村からケンスケの住むビルドハウスへ行くには、浮游する電車群を目にする。仕事は村の外郭の調査であり、インフィニティの徘徊も観測する。「いつまで保つかわからない」村の現状と否が応でも向き合うケンスケは、村の人間のように迫り来る月を見ないフリして生きることはできない。マージナルな存在だからこそ、村に居場所のないシンジやアスカを引き受け得る。

 『:Q』でシンジが否定した14年間を否定せず、それ故に生まれ来る今に目を向けさせるのがトウジなら、その今を成立させるために、シンジ不在の14年間ミサトが果たした贖罪をケンスケは見せた。エヴァに乗った過去を忘れて今を生きることを否定はしないが、それができないなら罪と向き合って償う生き方もあるという第3村にない可能性を示してくれる。

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いい奴
シンジの居場所

 大人になったケンスケは、目の前の生活だけじゃなく終末を見据える人物として、ロマンを追ってたカメラを失われゆく現実へと向けてる。変わらない日常を求める第3村で、世界が喪失する痛みを一身に引き受けてる。そこには、父親と向き合えないまま死に別れた後悔もあるのだろう。

 ケンスケと共に第3村を見たシンジは、救世主などいなくてもそれぞれに再生へ向かうことができる人間の意思を、補完計画という恩恵がなくても信じられるようになってる。だからこそ今度は自分の意志で、同じ罪を背負うミサトの艦に、ゲンドウと戦うヴィレに戻ることを決意した。

 そしてここまで来れば、冒頭に置かれたパリカチコミ作戦の意味もわかる。大人達が繋いだ思いは、シンジ不在のまま世界のredoを成し遂げる。そしてその戦場でエヴァに乗るのが、マリなのだ。

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陽はまた昇る

 

第2章 ヤマト作戦/アスカ編

 ネルフとの最終決戦に向かうヴィレは、決死行の構えを取り、AAAヴンダーを駆ってネルフ本部を追い掛け、南極カルヴァリーベースへ。インパクト発動前にトリガーの13号機を停止させる「ヤマト作戦」を決行する。

 ミサト指揮の下、冬月の指揮する軍艦の迎撃を退け突破口を開き、エヴァンゲリオン新2号機と改8号機の連携でMark.7の大群を蹴散らし、13号機目前まで迫るが、腕ンゲリオンの妨害を受け改8が足留めを食らっている間にアスカが13号機に取り込まれ、ヤマト作戦はヴィレ側の完全敗北に終わる。

 2章は、ヤマト作戦のキーパーソンであるアスカを中心に語っていきたいと思うが、この間シンジは幽閉され本筋に関わってこないので、まだシンジとアスカの交流があった第3村のシーンから話を始めたい。

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大人になっちゃった

 話は『:Q』ラストまで遡るが、ショック状態のシンジを見捨てることなく旅支度をさせ、無理矢理にでも手を引いて歩かせるアスカの姿は、姫というよりも母親。「ガキに必要なのは恋人じゃなくて母親」とわかっている「大人になっちゃった」アスカは、シンジの前で母親を演じることを厭わない。

 鈴原家に馴染めず、ケンスケのビルドハウスに戻ってきたシンジは、アスカの裸体を目にする。ここでアスカの言う「赤面して恥ずかしがったら」というのは、『:破』で同居を始めた日のシンジのリアクションであり、またアスカ自身のリアクション。だが、2人の間に横たわるのは、DSSチョーカーという暗い現実だけ。

 この時、シンジにとってDSSチョーカーとは、カヲル君が爆死した原因。それはつまり、自分が罪を引き受けなかったことにより、代償として他者が肩代わりした痛みの象徴。アスカの首に着けられたそれは、シンジがアスカに関わることを拒否したという後の言葉を暗示する。

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第3村でも、サービスサービス‼
元には戻れない

 その夜、眠れないアスカが、シンジの元へ行くことはない。『:破』では眠れない夜にシンジを求めたことが、「バカシンジ」呼びのきっかけになったが、シンジの方も眠れぬ夜を過ごしており、アスカも他者に頼ることを辞めた今回、2人の距離が縮まることはなかった。

 立ち直る気配のないシンジの弱さに、アスカは「飯の不味さを味わっておけ」と糧食を捩じ込む。「生き物は生き物食べて生きてんの」が信条のアスカにとって、その罪悪感の拒否は生命の否定。「エヴァの呪縛」で生命の枠を外れかかってる自分を前に、命を投げ出すなら、何のために自分は犠牲になったのか。かつては可愛く思えたシンジの弱さを、今のアスカは許すことができない。

 そして極めつけが、「エヴァになんか乗らないで欲しかった」。シンジがエヴァに乗ることは救世主になることだが、この場合アスカの王子様になること。打ちのめされてここまで可哀想な子供に王子様を求めていた、自分自身への苛立ちが混じっていたのではないだろうか。以後、大人のアスカは監視任務という形でシンジと関わることとなる。

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これぞシンジとアスカの関係
寄り道していい?

 決戦を控え、死地に臨む覚悟を決めるヴィレクルーの中にあって、アスカも髪を切り、死装束に身を包んで、エヴァに搭乗しようとするが、途中マリに声を掛け、シンジの元へ向かう。自らを戦闘マシンのように自虐する彼女にも、死ぬ前に思い残しておきたくないことがあった。

 『:Q』のガラスパンチで示した思いに、シンジがちゃんと応答してくれたことを確かめると、ツンデレの代名詞である彼女が「最後だから」と、『:破』で3号機に搭乗した際、強がって伝えられなかった素直な心情を吐露する。もう食べられないお弁当の味に、戻らない思いを乗せているのが切ない。

 このシーンから振り返ると、第3村で黒レイにシンジの糧食を託す言葉の柔らかさには、心配するニュアンスが含まれていた。ちゃんと「あの頃は好きだった」程の情は残っていたのだ。たとえ運命に仕組まれた関係であっても、最後は自分の意志でケリを付けるのがアスカの矜持。14年分の怒りと悲しみの累積を手放したアスカは、エヴァパイロットという戦闘マシンとして最後の戦いへ向かう。

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監視任務ご苦労
これで終わりッ!

 ヤマト作戦におけるエヴァンゲリオン新2号機の活躍は、ヴンダーが13号機までの血路を開いて後になるが、そこからの新2は獅子奮迅の働き。特に、改8の支援を受けながらMark.7の大群を蹴散らすシーンは爽快で、不可能に思えても「2人ならできる」というのが、本作の重要テーマになっているとわかる。

 しかし、お姫様抱っこした改8のブースターで着地した所から流れが変わる。腕ンゲリオンの妨害で2人が切り離され、単独行した先で13号機に打ち込もうとした停止信号プラグを阻んだのは、なんと弐号機自身のA.T.フィールド最後の切り札「裏コード:999」を発動するも、予期していたゲンドウの罠に嵌まりプラグを焼失。アスカも魂をオリジナルに取り込まれ、弐号機は残骸へ成り果てる。

 お姫様になりたかったアスカが作戦上王子様の役を強いられることで、既に悲劇の運命が予告されている。地獄の底のような場所で前進する機体、槍へと変じた停止信号プラグを振り下ろすアスカの必死の形相。これは明らかに、『:Q』でロンギヌスの槍を引き抜くシンジの姿に重ねられている。目の前にある希望が見せかけのまやかしに過ぎないということを、映像の面からも畳み掛けていく。

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厳密にはこの前のシーンが『:Q』と相似
アスカの失敗

 シンジとの関係には決着をつけたアスカだが、世界に対してはそうではなかった。ビルドハウスで銃を構える必要があるのは、第3村にあるエヴァパイロットへの潜在的憎悪を表している。ケンスケの言う「諸事情」とは、こういうことだったのではないだろうか。

 それはヴィレ内も例外ではなく、死地へ向かう棺桶と言っていいヴンダーにおいて尚、爆薬という「不信の証」が増やされている。人形やゲームに再び依存しており、アスカの性格を考えれば、最早人間とは程遠い自身を戦闘マシンと位置付け、自ら周囲と壁を作っていたのでは。エヴァを葬った世界では、アスカの居場所は無くなってしまう。

 ゲンドウはその弱点に付け込む。居場所を失う本能的恐怖に怯えた弐号機。アスカのプライドは死を前に竦むより人を捨てての克服を選び、ガチガチに固めた理性を振り切って自身の弱さに対する怒りが膨れ上がる。それを見越したアスカ・オリジナルの設置。剥き出しの本心に、アスカが本当に掛けて欲しい言葉をアスカ本人が掛け、『:破』でシンジがやったように、アスカの魂はオリジナルに抜き取られる。本当は抱き締めてくれる誰かが欲しいのに、惨めな自分を覆い隠したプライドで他者を拒絶してしまう、自身の抱えた矛盾がアスカの敗因になった。

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完全に詰んだ顔

 

式波と惣流

 式波・アスカ・ラングレーは、旧作のヒロイン惣流・アスカ・ラングレーをリメイクしたキャラクターで、基本的には同じだけど変更された点も多い。まずは、惣流と比べて式波がどのようにキャラクター付けされてるのか。

 まず、式波はミサトと面識があった代わりに、クラスメイトと打ち解けられない。シンジより成熟していた風の惣流より、式波は高い心の壁を作ってる。他方、惣流は大人の男性である加持さんに憧れてたけど、加持との面識がない式波はシンジを異性として意識している。

 その設定が14年後の本作にも効いてて、任務遂行にはプロフェッショナルぶりが見られる反面、周囲とは依然として壁を作っている印象。まあそれは、新劇場版に追加されたエヴァの呪縛」という設定のせいなんだけど。そして、年齢差による距離ができたことで、逆にシンジに対してきちんと向き合えてる。

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アスカを表現する孤高
ニゾン掌打

 改8号機と連携し、雲霞の如く押し寄せるMark.7を粉砕する様は圧巻。特に、「コネメガネ、手を貸せ!」からのA.T.フィールドをユニゾンさせて敵陣に穴を開ける様は、旧作ファンにTVシリーズ第九話「瞬間、心、重ねて」のニゾンキックのシーンを思い起こさせる。

 ラブコメ展開が嬉しい回だけど、惣流・アスカ・ラングレーというキャラクターを理解する上でもこの回は重要で、式波でもあった同衾シーンがあるも、こっちは完全に事故。ただ、そこでアスカも母親の愛に飢えてると知って、シンジ側からのアスカへの距離が縮まる。

 つまり、シンジを好きな式波に対し、惣流の場合は逆にシンジの方から矢印が伸びてる。ただ、同じ屋根の下暮らしながら自分からは決して弱みを見せない惣流にとって、シンジは寧ろその同属嫌悪の対象で、惣流のプライドがズタズタになる終盤、関係性はEOEという最悪の形に帰結。

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これも『:Q』のシンジとカヲルに相似
ガラスパンチ

 そういうミスリード食らってるから、ガラスパンチの理由が“あたしを助けてくれなかったから”だった時は正直ひっくり返った。だって、惣流だったら絶対そんなこと言わないもん。そっから逆算で、「バカシンジ」って期待に応えてくれない王子様の意だったのか。まあ惣流の場合、また違うかもしれんが。

 シンジに対する呼称が「バカシンジ」→「ガキシンジ」に代わる理由については、こんな感じ。

 呼称に着目すると、シンジと同じ名前由来のあだ名で呼ばれてるケンスケはやっぱ特別な存在だったんやなと。恋愛感情かは微妙だけど。

 要するに、『:Q』の時点で既に式波はシンジに王子様を求めてない。何故ならトウジ達と同じ、大人にならざるを得なかったということなんだけど、その惣流にはない式波独自の設定によって、また新たな悲劇のヒロインが誕生してしまう。

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この時の帽子可愛い
アスカは優しいから

 最初の試練となった第9使徒との融合。綾波エヴァを降りる可能性を示された彼女だったが、綾波やシンジのために3号機に搭乗する。綾波から感謝を告げられ、アスカ自身ミサトに心を打ち明ける心地よさから出た「あたし、笑えるんだ」。しかし、おそらく首に贖罪の証を嵌められたこれ以降、自らの内に敵を抱えた彼女が笑みを見せることはなくなってしまう。

 そこからの14年間はわからないけど、ろくな戦力ないヴィレのエースとして危険な最前線を張ってきたに違いない。「目的優先、人命軽視」と皮肉ってるように、ヴィレを率いたミサトは情動を圧し殺した冷酷なリーダーに徹してたようだし、耐爆(?)隔離室に押し込められるエヴァパイロットの扱いを見るに誰かを頼れる雰囲気ではない。それを察して、進んで孤独を受け入れたんだと思う。

 シンジとの再会後もその気が見え、頼れる王子様ではなく子供だと悟って失望するも、その後は母親役を甘んじて受け入れる。考えれば、見た目は変わらずとも年齢的には『:序』のミサトと同じ28歳。疑似母子が務まる年齢差。そりゃ、シンジに王子様を求めるわけにはいかない。もしかしたら旧作の、女としての接し方しか知らないミサトの役も兼ねてたかもしれないけど、惣流では何よりも母親を欲していたアスカが母親を演じるのは、皮肉。

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「はいはい、後で買ってあげるから」みたいな
あたしが居る所じゃない

 察しの良さと別に彼女が孤立を深める理由として『シン』で明かされたのが、俺等の見てきた式波はクローンで、補完計画のために用意されたマテリアルという設定。運命を仕組まれた子供ってそういう? まさしくエヴァに乗るために産み出された存在故、自分の運命に対しても端から諦めてる節がある。

 「エヴァの呪縛」によって人間から外れてくにつれ、ますますその思いは強くなったろう。ゲームに依存するのも、ゲンドウが音楽を愛したように、自分を戦闘マシンに置き換えてくれるからかもしれない。ヤマト作戦時、マリは「ヒトを捨てる気!?」と箴めていたが、エンジェルブラッドが積んであったってことはヴィレはそのつもりだったってことで、アスカの使徒化は大人達には想定通りだったんだろう。

 ただ、そこまでやる割にアスカの戦績って決して高くないのよね。単独オペになった場合、04C相手に「何とかしなさいよ、バカシンジ!」だし、Mark.9とは相討ち。そして13号機に敗北。エースなのに…。しかもその度に弐号機は破損し(一度はマリのせいだけど)、遂にはサイボーグみたいな見た目に。まあ、弱さを覆い隠すことで大人になったアスカの鏡ではあるんだけど。う~ん、アスカ、受難の娘。

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赤黒の単色って目悪くなりそう
考察

 ここからは論述というより、ネタ的な話。新2の別名ニコイチ型とは、機体半分以上喪失した弐号機に、マイナーチェンジした(JA→JA-02)「ジェット・アローン」(TVシリーズ第七話「人の造りしもの」に登場したロボ)のパーツを継ぎ合わせて一体化したもの。旧作ファンはアガるし、サイボーグみたいでカッコいいけど、このジェット・アローン、人類が「希望」を込めて対使徒用に作った科学の結晶だったが、ネルフの罠に嵌められ開発が頓挫する曰く付き。嘲笑われた「捨て身の努力」に、潰された「希望」という意味では、アスカの運命を暗示してるも言える。

 この新劇場版を通して「手/腕」は非常に重要なファクター。色んな解釈が出来ると思うけど、腕ンゲリオンが『:Q』のドグマに転がるインフィニティの首と対比されてることから考えて、『シン』のキーフレーズ「知恵と意志」に因み「意志」とする。つまり、切り落とされた腕とは、果たすことの出来なかった意志。魂がないのに動くカヲルの指も関係してるかも。神の機体である13号機を殺させないよう邪魔する腕ンゲリオンは、救世を望む無数の(無念の)意志なんじゃないか。弐号機(アーマーで覆ったアスカの本心)が神を殺させまいとする展開から考えても、あり得ると思う。

 綾波タイプと式波タイプは、補完計画のため情動がプログラムされてる。綾波シリーズは初号機覚醒のために、第3の少年と惹かれ合う設定(シンジが必要か迷ったっていうゲンドウの台詞と矛盾する気するけど。ゲンドウのクローンとか使う気だったのかな)。じゃあ式波シリーズはと考えると、ゲンドウ曰く、式波タイプは元より補完の贄。実際の贄は浸食型の第9使徒。また、オリジナル・アスカの「一つになる」という台詞。これらから類推するに、式波シリーズは孤独を拗らせ易くプログラムすることで、浸食型使徒を呼び込みやすくしたんじゃないかと思う。

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いい表情

 

第3章 アディショナルインパクト/ミサト編

 ヤマト作戦が失敗に終わり、航行不能に陥ったヴンダーの前にゲンドウが現れ、アナザーインパクを起こして初号機を奪い去ると、地獄の門の向こうマイナス宇宙へとアディショナルインパクを起こしに行く。

 父親を止めると決意したシンジを認めて、DSSチョーカーを渡すミサト。改8の力を借りて初号機に乗り込むと、シンジは父親とぶつかり合うが、自分が何故ここに立っているかを思い出し、父親の意思を聞き届けようとする。

 シンジ単独ではアディショナルインパクトを阻止できないと知ったミサトは、人類の知恵と意志を結集した新しい槍の生成を指示。クルーを退避させると、槍を携えたヴンダーごと次元の境界に突貫。マリにシンジを託して消えた。

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葛城ミサトの戦い

 このアディショナルインパクトのシークエンスはシンジとゲンドウの戦いと対話のシーンがメインではあるが、もう一人の主役、ミサトが父との因縁に決着をつける物語でもある。よってこの章では、ミサトがどのようにシンジの後押しをしたかという視点から、ファイナルインパクトを語っていきたい。

 家庭を蔑ろにして人類を救うために人生を捧げた父、葛城博士をミサトは恨んでいた。しかしセカンドインパクトの際、その父が娘一人を生き延びさせ命を落とした。父が自分に遺した思いを受け取れなかったミサトは、亡き父の意志に近付くため同じ組織ネルフへ入り、インパクトの引き金となる使徒殲滅に邁進した。

 『:序』では、同じ父へのコンプレックスを抱えたシンジを引き取り疑似母子として共に生活したものの、人類存亡を前に任務を優先させシンジ自身と向き合ってこなかったことに気付く。大嫌いだった父親と同じ、出来損ないの母親だったことを自覚したミサトは、改めてシンジとの信頼関係を築くことから始めていく。

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シンジが初めて誰かと繋いだ手
ゲンドウvsミサト

 『:Q』では打倒ネルフを掲げる組織ヴィレのリーダーとして、サングラスで目線を隠し「目的優先、人命軽視」の女版ゲンドウに変貌。シンジにDSSチョーカーを嵌め監禁するが、それはシンジをニアサーの罪から遠ざけるため。ミサトなりの母性の示し方だったが、シンジからの信頼は当然得られず逃亡を許してしまう。

 最終決戦を前に、乗艦を求めるシンジをヴンダーへ接収。『:Q』のやり方でシンジを守るなら(実の息子と同じく)封印柱内の第3村へ残らせるべきだったが、DSSチョーカーを起爆できなかったミサトはシンジの意向を尊重。ゲンドウのように拒絶するのではなく、自分の中にある母としての情と向き合う道を選んだ。

 ヤマト作戦決行後は、得意の奇策で冬月の挟撃を躱し、捨て身の特攻で血路を切り開くも、あくまでヴィレという「意志」を信じて戦うミサトは、絶対的理性の権化であるネルフのゲンドウに敗北。アナザーインパクトを起こされる。人類の命運という、一人の女性の肩にはあまりに大きすぎるものを背負い、情動を捨ててまで掴もうとした希望だったが、男が世界と自らの魂をも焼べた絶望によって塗り潰された。

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マジでビーム出せそう
いってらっしゃい

 ゲンドウを止める術を失ったヴィレに、遂にシンジが申し出る。加持に教わった「土の匂い」とは、「辛いことを知ってる人間は優しくなれる」ということ。アヤナミ喪失の痛みを経験したシンジは、誰かのために行動できる人間になった。「葛城を頼む」と言った加持は真剣だった。ゲンドウに立ち向かう。その結果、自分が傷付いても。ミサトの思い(贖罪)を受け取りたい。ミサトさんのことが好きだから。

 認められるためでなく父と向き合うためエヴァに乗るシンジを認め、ミサトはDSSチョーカーを渡す。シンジが不信を漏らしてきた「エヴァ」「父さん」「ミサトさん」。「エヴァ」は守ってくれるが何を考えてるかわからない母。「父さん」は命令への服従を強要。ではミサトさん」は。“大人になる”ことを期待する、揺り籠を送り出す母。だから、巣立ちするシンジに通過儀礼を施す。そしてミサトはクルーに対し、シンジの行動責任を自分が取る、14年前果たせなかった大人の役割を今ここで宣言する。

 ミサトに息子加持リョウジと会ったことを告げるシンジ。シンジに対し不出来な母親だったことを後悔するミサトはリョウジと距離を取っており、リョウジという名付けも関わりを拒否した故。だが、この期に及んだミサトの顔は完全に母親のものだった。世代の違う2人の息子。彼等が友達のように並ぶ写真の中の世界。どちらの母親としても不完全だったミサトを介し、縁を持った2人。仮初めの親子は、最期に門出の挨拶を交わす。

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加持の受け売り、どういうタイミングで言ったんやろ
シンジvsゲンドウ

 綾波から初号機を受け取ったシンジは、相似機体のゲンドウと向かい合う。メタ演出で現実と虚構の枠は倒壊し、人類の命運を懸けた一戦は一組の父子喧嘩へ。剥き出しの感情を粛々とトレースし捩じ伏せる理性。相手を拒絶する限り決着は付かないと理解したシンジは、自分が何故ここに居るか思い出す。ゲンドウの意思により喪われた多くの命。何のために彼等が犠牲になったのか。そうまでしてゲンドウが得たかったもの、思いを受け止めなければならない。シンジは槍を手放し、父との対話を望む。

 ゲンドウの願いとは自らの手にユイを取り戻すことであり、その儀式がアディショナルインパクト。虚構存在のエヴァンゲリオンイマジナリーを顕現させ、アナザーインパクトでコモディティ化した生命(現実)に、ユイという自らの望む形の魂(虚構)を書き込もうとする。しかし、ユイの喪失を受け入れず、生み出し得るものと捉えていたゲンドウの意思が呼び出したのはいずれも、造り出された命レイの姿。計画が狂い狼狽えるゲンドウに歩み寄ったシンジは、父の声を聞き届けた証としてS-DATを手渡す。

 再生されるゲンドウの過去。他者を拒絶してきたゲンドウがユイと出会い世界と繋がるが、彼女を喪って知った孤独に耐えきれず希望に縋る。ゲンドウは「大人になれ」と言った。願望を叶えるため、犠牲を受け入れろと。ゲンドウの願望とは喪ったユイ。犠牲とはユイを喪った今ある世界の全て。しかし、外界の声を閉ざし己の内をいくら探しても、テープを再生しているだけ。世界と繋いでくれたユイではない。ユイを否定しているのは己の弱さだと、名付けによる絆で結ばれた息子がゲンドウに教える。

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これ格好つけてるよね
ヴィレの槍

 一方現実世界では、大人達によるヴィレの槍建造が始まっていた。人類の知恵と意志を結集した奇跡を起こす槍が完成すると、クルーを退避させ一人残ったミサトが、アディショナルインパクトの中心エヴァンゲリオンイマジナリーへヴンダーごと体当たり。使うのは、人類を地球の重力圏外まで脱せしめた、犠牲と引き換えに進む反動推進エンジン。ミサトの犠牲は、人類の「意志」を理の外まで到達させた。

 人類救済に人生を捧げながら、最期に娘一人の命を繋いだ父。生命種保護を願いながら、その身を擲って人類を救った加持。生き残ったミサトは、ネルフ中枢に居た者の贖罪として情動を捨て家族と縁を切り、人類を救うため戦ってきた。そのミサトが髪を下ろし、最後は自分自身のために戦いを挑む。父と同じ方法を取りながら、父の妄念を否定せんと。最愛の息子と過ごす時間ではなく、彼がその先に生きる未来を遺すために。そうして槍はシンジの元へ届き、ヴィレの母は人類の母、何より息子加持リョウジの母となって、全てのカオスにケリをつけた。

 世界から目を逸らしたゲンドウは、贖罪と言い訳しシンジを拒絶。ユイの遺した願いから逃げ出した。大人になれと言いながら、人生と向き合えていないのはゲンドウ自身だった。ユイとの再会に必要だったのは、喪失を認めて思いを受け止めること。それを、アヤナミとの別離で先に大人になったシンジに教えられる。ミサトの遺志が込められたヴィレの槍を受け取るシンジを見て、過ちを悟ったゲンドウは自ら止まった時間を降りる。重ねられたミサトとシンジの意志が、人類の補完を遂にキャンセルする。

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大人になったシンジ君

 

旧作ファンの見るアディショナルインパク

 ゲンドウが言った「お前の選ばなかった世界」、劇中描写だと自分を止めに来たことだけど、メタ的には旧劇場版(EOE)の補完とそのキャンセル。しかも今回はアスカさえも取り込むえげつなさ。第3村がTVシリーズなら、このアディショナルインパクトはEOEの回収。メタ表現でリアリティラインを融解させ、旧作ファンの辿った「エヴァンゲリオン」をスクリーンの内に習合する仕掛けは、まさしくEOEの構造。

 それを踏まえた上でのS-DATの曲番。TVシリーズと(そのやり直しと取れる)EOEを表す25-26の行き来から、新キャラクターマリとの出会いで27へ移行し、カヲルの手で直され28が再生。相手への依存で得た仮初めの希望、失意の絶望に転換するこの番号が、ゲンドウの回想ではシンジの出生に当たる。自分が立ち止まっていた間も、ユイの遺したシンジの時間は続いていた。息子と向き合いそれを知ったゲンドウは、29まで進んだカウンターを止め円環の電車を降りる。

 ユイを喪った過去に閉じ籠もるでもなく、ユイが生きている未来を夢想するでもなく、ユイのいない現実と向き合ったゲンドウの物語が、TVシリーズや旧劇場版を総括した上で新たな着地を目指す『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の作品姿勢とリンクする。旧作で出来なかったことから目を逸らさず、また旧作を無かったことにしてやり直すのでもなく、エヴァの呪縛に苦しめられたこの四半世紀を認めた上でその先を描こうという意志が、全てのエヴァンゲリオンへ「さよなら」を準備する

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こんな重要アイテムになるとは
母として

 新劇場版がここまでポジティヴに変わった要因はシンジを取り巻く大人達の変化で、その象徴がミサト。旧作では初号機凍結以降、見過ごされていたミサトの不完全な母親ぶりが露呈し、疑似母子関係は完全に破綻。それでもミサトなりにシンジと向き合おうとした結果が、EOEの「大人のキス」。

 それと比べると、新劇場版のミサトは『:序』の時点から「ヤマアラシのジレンマ」を克服しようと努めてる。ヤシマ作戦時、あくまでシンジの意志による搭乗を促すミサトは、シンジの手を取ってセントラルドグマに行き、自分達は一蓮托生と告げる時も手は握ったまま。迎撃を受けたシンジが挫けかけても、最後まで信じるようゲンドウに進言した。『:破』ではその繋いだ手を負傷し、彼を引き留められなかったが。

 『:Q』の監禁も母親としてシンジを守ろうとした行動だし、『シン』では遂に責任を取るという最もわかりやすい大人のあり方を示す。シンジが他人の意志を信じられたのは第3村だけど、その結果帰る場所に選んだのはミサト。『:序』の「…た、ただいま」から『シン』の「いってきます」まで、あらゆる運命が2人を遠ざけたし、互いに傷付け合ったけど、逆に不器用な2人がその全てを乗り越えてここに至ったというのは、劇中で起こった奇跡の1つにカウントしていい。

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ここが1番泣ける
ミサトとリツコ

 そしてミサトを語る上で欠かせない相手がリツコ。加持、ミサト、リツコが大学からの友人という設定は共通だが、父の死のトラウマをより濃く宿す旧作のミサトは、使徒へ復讐する強い人間のフリをしながら、女としての弱さを見せるのが上手く、そうやって加持のような優しい男を繋ぎ止めるやり方が、リツコの最も嫌う所だった。表面上仲良くしながら心底軽蔑してる、というのが旧作のミサトに対するリツコ。

 一方、父と確執があったミサトに対しリツコは母との因縁。葛城父娘とは逆に、距離が近過ぎて見たい部分しか見てなかったのが赤木母娘。ミサトのようになりたくないリツコは、自身の有用性を示すことで優秀な男、即ちゲンドウの傍にいることを選ぶ。しかし、男に甘えないことでプライドを保ちつつ1番に愛されたいと願う愚は、同じくゲンドウの愛人で捨てられた母ナオコと同じ過ち。優秀な科学者でありながら、最期は嫉妬に狂ってゲンドウに処分される。リツコは母と同じ末路を遂げた。

 そんな旧作と打って変わって新劇場版のリツコは不安定な面を見せず、ゲンドウの愛人ではあったようだが『シン』では完全に吹っ切れてる(髪切ってるし)。ゲンドウに願いを重ねて付き従う冬月のように、ヴンダー副長としてミサトをサポート。ミサトに罪を犯させた自分の罪を認めているように信頼関係は明白で、死を決意したミサトが母として人類を託す言葉を、しかと受け取る役目を担った。

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リツコと“母”って意味でもこの回収完璧
ヴンダークルー

 その子供達であるヴンダークルーも、旧作には居なかったちゃんとした大人。マコトとシゲルに戦友の絆があったり、高雄は若者を窘める。何よりバンダナ。これは打倒ネルフを掲げ決起したヴィレの一員という印であり、離反した旧ネルフ組の大人達にとっては、共にバンダナを巻いて戦死した仲間の遺志を受け継ぐ決意の証。ゲンドウと戦うヴィレという組織が、人の「意志」で成り立ってることがよくわかる。

 成長という意味で最もわかりやすいのがマヤで、ヴンダーでは若い男性技師達を扱く役目。旧作はレズビアン設定だったので、『:Q』で罵る様は男性不信描写かと思ったけど、『シン』を見るとわかる。先に戦死した男達を偲んで、今いる男達の不甲斐なさを歯痒く思っていたのだ。それでも扱かれた部下達が最後には漢気を見せマヤが涙ぐむ光景は、「『二十四の瞳』か?」ってくらい“エヴァっぽくない”シーン。

 そんなヴンダーに私怨で乗る北上とサクラ。人類の存亡よりニアサーで死んだ家族の復讐が目的の2人は、シンジに救われるくらいなら死んだ方がマシと銃を向ける。彼女達の処理がRTA過ぎて最初は北上がエヴァ嫌いな一般人”、サクラが“最速で観て文句言うアンチ”とメタ的に解釈してたけど、復讐に燃えるもその力を借りるしかない北上と、理性的に振る舞っても最後感情で誤った引き金引くサクラって、旧作のミサトとリツコ意識してるかもしれん。そう考えると、22歳ってちょうど『:序』のシンジとミサトの中間(発展途上)だし。年齢重ねれば『シン』のミサト達みたく、彼女達も前を向くことができるっていう「ネオンジェネシス」が既に暗示されてるのかも。

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高雄存在感ありすぎる
ミサトが受け継いだ意志

 ミサトと父の関係で旧作と異なるのは、「人類補完計画」の提唱者が新劇場版では葛城博士とされていること。そのため、コンプレックスで結び付き、父と同じくゼーレに利用されて殺された旧作とは違い、父の意思に近付いた結果、父を否定するためにその命を使うという、ミサト自身の意志が見えやすくなってる。また父との葛藤という意味では、裏主人公らしくシンジとゲンドウの関係に相似形も成してる。

 更に、ニアサー時には最愛の人、加持の犠牲で命を救われるも、遺されたAAAヴンダーを彼の望みとは異なる戦闘艦として運用してる。それが名称に表れてて、儀式用に「ヴーセ」と名付けられたこの艦を、ヴィレが強奪した際「ヴンダー」という名に改めたという設定がある。神への赦しを請う“贖罪”ではなく、人の意志で運命を覆す“奇跡”の艦になることを、生き残ったミサト達は望んだのだ。

 宇宙での生命種保存がヴンダーの役割だったが、敵地へ特攻する最終決戦で艦の轟沈を覚悟するミサトは、生命種をラグランジュ・ポイント(L5)へ投下。ラグランジュ・ポイントとは天体上の相対位置が変わらない地点。人類の敗北を悟り、手の届かない場所へ放り出すのではなく、必ず地球を取り戻すと決意し、その日まで傍で待っていて欲しいと。ネオンジェネシス後の地球で、その願いが成就したとわかる。

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インパクトって人力で止められるもんだったの!?
ヴィレとヴンダーの言霊

 ニアサー後の14年で背負ったミサトの意志が、ヴンダーを飛ばす。主機への点火作業、ヒートランスで開けた穴に二又の点火器を突っ込むと、改2の義手をコア化して海上に4つの輪が浮かぶ。おまけにネーメズィスシリーズ撃破で並ぶ光の十字架4本。これセカンドインパクトを模してんじゃないかな。トラウマであるセカンドインパクトを再現して「神殺しの力」を使うことで、ミサトの覚悟を表す演出かも。

 でも「目的優先、人命軽視」のモットーは昔からよね。これとよく似たのが第8使徒戦。「奇跡を待つより地道な努力」と撤退を勧めるリツコに、「奇跡を起こすのよ、人の意志で」と言い張る。その意志とは、使徒「手で受け止める」というもの(“意志”と“手/腕”の繋がりはここが1番わかりやすい)。重要なのは、これがゲンドウ不在の中行われたミサトの独断ってこと。ゼーレのシナリオでも、ゲンドウの計画でもない。ヴィレという“意志”によって神の理に抗う構図は、この時点で既に予見されていた。

 人の意志で起こした奇跡って鑑みると、ヴンダーの見方も変わる。マリオネットみたく他艦を糸で吊るすヴンダー。このビジュアルはおそらく特撮を意識したもの。黙示録の災厄に挑むのが、人力で奇跡を演出する特撮というロマン。圧倒的不利な戦況にAAAヴンダー1隻で挑む「ヤマト作戦」の構図は、その名の通り宇宙戦艦ヤマト』。エヴァンゲリオンイマジナリーに反動推進エンジンで突っ込むシーンも、『ヤマト』オマージュの『トップをねらえ!』を思わせる。言われてみればミサトって濃さが『トップ!』キャラっぽい。「まだまだぁッ!」とかスパロボの「ド根性」も斯くやって感じでパトスが迸ってる。思うに、特撮やヤマトへのオマージュは作品のメインテーマにも重なっていて、過去となって消え行く特撮やアニメといった虚構は、思い出というもう一つの世界として今の自分を形作っている。ヴィレという“意志”が繋いだのは、愛してた消え行く世界を忘れないという思いであり、それこそが奇跡を手繰り寄せたのでは。

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俺的にはここがクライマックス

 

第4章 ネオンジェネシス/マリ編

 ゲンドウを見送ったシンジは、自分の心と向き合う。別れを告げられたカヲルもそれを受け入れ、役割のない世界へ歩いていく。また、救いを欲していたアスカには、自分が掛けてもらった言葉で「エヴァの呪縛」から解き放つ。

 最後に、綾波と向き合うシンジ。綾波の思いを受け取ると、エヴァに頼らない世界の再生「ネオンジェネシス」を試みる。シンジが自らを犠牲に捧げるまさにその瞬間、ユイの魂がシンジを初号機から救い出す。

 マイナス宇宙の渚で一人待ち続けたシンジの元へ遂にマリが現れると、時間は現代へ。虚構の重ねられた世界で大人になった2人は、運命の軛を外して手を繋ぎ、自分の足で広い世界へ駆け出していくシーンで終幕。

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使徒が死んだ時に出る虹

カヲル

 死んだはずのカヲルがシンジの記憶の電車に居たのは、『:Q』で言えなかった「さよなら」を告げるため。役割から解放された後は、カヲル自身の意識に切り替わる。シンジの中のカヲルは「ヤマト作戦」開始時も現れていて、心を閉ざしたシンジの罪をカヲルが引き受けることで同じ未来を向かせたシーンの再現。2人の間に置かれたS-DATは、前を向いたシンジがもう逃避先を必要としていないことの示唆。

 『:Q』のシンジはカヲルに依存したため、好意を寄せるカヲルに犠牲となる道を選ばせてしまった。またカヲルが世界と唯一の繋がりだったため、その喪失にあたりシンジは心を閉ざすというゲンドウと同じ道を辿ってしまった。シンジが真に自立するには、自分の全てを理解し肯定してくれたカヲルへの依存をやめる必要があったのだ。自分とカヲルの繋がりだったエヴァを、シンジは自分の手で処分すると告げる。

 シンジにその身を捧げたカヲルは、ユイのため全てを擲ったゲンドウとよく似ていた。シンジには父親の理想像だったかもしれない。シンジから役を降ろされた今、出会いの渚に赴き運命に依らない再会を期すると、シンジの魂が「仲良くなれるおまじない」を施す。束縛を解かれたシンジが求める純粋な繋がりに感激するカヲル。傍らの加持曰く、運命に縛られたシンジの幸せを願ったのは、円環する虚無に意味を見出だしたかったから。カヲルも「相補性のある世界」の住人だったのだ。人類を導く渚司令として役割を果たしたと告げられたカヲルは、次の生を送るため加持と共に去っていく。

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カヲル君が何者だったなのか、結局わからないよ!
アスカ

 オリジナルに取り込まれたアスカ(クローン)も、他人を必要としない生き方を求めた理由は、エヴァ以外に世界と繋がりを持たない惨めさを覆い隠すためであり、その実何より自分を認めてくれる誰かを欲していたことを自覚する。自身の本当の願いに気付いたアスカは、独り善がりだった自分を受け止めてくれた大人のケンスケの傍に帰りたいと、知らず知らずの内に願っていた。

 アスカ(クローン)が求める答えに辿り着いた瞬間、アスカの意識は再会の渚に漂着。そこにはアスカとの再会を願ったシンジが。応えられない期待を拒絶していたシンジは、今や他人の思いを受け止めることができ、自分の中にあったアスカへの好意を正直に伝える。それは他でもないアスカ(クローン)自身から伝えられた言葉。すれ違う宿命のシンジと彼が届けた相棒マリの思いが、アスカの魂を渚から連れ出す。

 そこでアスカの意識はアスカ(オリジナル)の元へ。このアスカ自身は、洗脳で神との合一を求める魂に成り果てていたが、アスカ(クローン)を受け入れてくれたケンスケや、再会の渚で見た自分を求めてくれるシンジ、マリにより、「相補性のある世界」で生きる用意ができた。魂の記憶とクローンの記憶に両手を繋がれたアスカの魂は、最後に自身の未練を断ち切る初号機によって「エヴァの呪縛」から解放される。

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俺のアスカーッ!
レイ

 シンジが最後に向き合うのが、世界を滅ぼしてまで救おうとしたレイの魂。初号機に留まり続けていたレイに、シンジは同じ宿命の「アヤナミ」の事を告げる。だからレイも、エヴァのない世界に居場所を見出だせると。奇しくもそれは、かつてレイがアスカに言った言葉。レイ本人の自覚はなかったが、エヴァのない幸せ、しかもそれが自身の求める幸せの形でもあることに、最初に気付いていたのはレイだった。

 レイが願ったのは、「(エヴァを降りた)碇君がエヴァに乗らなくていいようにする」こと。ワープも実際はシンジを遠ざけたかったレイの意志。初号機と一体化したシンジがシンクロ率0%になったのは、同じく一体化したレイが意図的に拒絶していたということなのでは。“エヴァに乗りたくない”というまさしくシンジの意思を実現するための拒絶だったので、シンジがエヴァに乗る意志を示したことで、0→∞と読み換えることができた。そのレイの役割は、シンジの呼び掛けに応えたことで終わりを告げる。

 「エヴァに乗ることでしか人と繋がれない」レイにも居場所があると信じられるのは、長く伸びた髪。マリ曰く髪は「人の心の象徴」。見違えたレイの姿はシンジが眠る14年間彼を思い続けた証であり、エヴァを操縦せずとも最早レイは完全に「相補性のある世界」の住人。またユイのコピー故、アヤナミ同様母性の対象を求めてる。レイが自分にそう思ってくれたように、エヴァに頼らない幸せを得られる世界にしたいというシンジの願いを受け入れ、シンジに「ネオンジェネシス」を託しレイは消えた。

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この瞬間が2人にとって1番幸せだった
ユイ

 そして一人になったシンジは、「ネオンジェネシス」を決行する。エヴァに乗って人類を救うなんて無理だ、出来っこない。そう言っていたシンジが、ミサトの抱えていた思いを受け取り、カヲル君が自分にしてくれたことを理解し、アスカに自分自身の意志で思いを伝え、レイに願いを託された今、新しい世界の創成という誰にも成し得ない奇跡を起こそうとする。たとえ、自分の身を捧げることになろうとも。

 ガイウスの槍で自らを突き刺すその瞬間、初号機の中に居たユイがシンジの魂を解放する。ダイレクトエントリーした初号機の中でずっと見守ってきたユイの意思が、最期の願いとして大人になったシンジを揺り籠から送り出す。母の不在はずっと、シンジの潜在的な自己否定の源泉だったが、最後の最後で出会えた母の意思は、その犠牲が自分のためだったと教える。エヴァに関するしがらみから完全に解き放たれたシンジは、母からの「さよなら」を受け取り、その先の世界へと向かう。

 また、槍を構える初号機の意志に寄り添う13号機の姿は、ゲンドウが世界を滅ぼしてまでユイに会おうとした理由を示す。人の身で神に至ろうとして生み出された存在エヴァンゲリオン。その業に囚われたユイの魂を、全てを終わらせることで解放する。愛情が行き着く先としての「さよなら」を看取ったシンジは、マイナス宇宙の底から浮上して、再会の渚で彼女の迎えを一人待つことになる。

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お姫様抱っこ
マリ

 「ネオンジェネシス」後、元の青い星として再生する地球。ラグランジュ・ポイントへ投下した種子も取り戻され、生態系も回復したように見える。第3村の封印柱も持ち堪えてる風だったので、人類の復権も時間の問題ではあったろう。ただそれでも、文明の回復にはどれ程の時間を要したか、定かではない。

 シンジの魂は徐々に風化し、消え入る寸前、海から現れる8+9+10+11+12号機。海にダイブしたマリを見て、シンジの魂は意識を取り戻す。「必ず迎えに行く」という言葉を信じ、マイナス宇宙の渚で待ち続けたシンジと、最後のエヴァンゲリオンを駆って人智の及ばない場所まで迎えに来たマリ。2人の絆は、最早運命さえも越えた。マリに駆け寄ろうとした瞬間、シンジの意識は“現代”に飛ばされる。

 彼の視界が覆われる。それが誰かわかる彼は、彼女の目を見ながら愛を告げる。彼女の手で大人になった彼から外されるチョーカー。それは他者の向ける感情を引き受けた証であり、誰かのために自分の手で嵌めた枷。通過儀礼の物語を終え、自分の意志を選び取った彼に、もう1つの世界の呪縛は最早存在しない。その全てを見届けた彼女だからこそ、運命に繋がれた首輪から解放する誰かの役を担える。自由になった彼は彼女と手を繋いで、まだ見ぬ広い世界へ駆けていく、というのが本作のラスト。

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この手を握るための物語

 

冬月

 マリについて語る前に、彼女に最後のエヴァンゲリオンを授けた冬月に言及しておきたい。冬月はゲンドウ、ユイ、マリ等の所属したゼミの担当教授で、ゲンドウのネルフ司令就任以降は彼の手足となって働き、『:Q』以降ではおそらく実務を全部1人でこなしてたというまさに教員の鑑。

 パリでネーメズィスシリーズがヴィレを襲撃した際、ヴンダー副長リツコが言う「私達、冬月副司令に試されてる」。ネーメズィスシリーズは使徒ではなく人間(ヴィレ)と戦うため造られた軍用化EVA。人類を救うAAAヴンダーを飛ばすのが人類の意志なら、その希望を潰すのもネーメズィスシリーズという人類の悪意。人類の業に打ち勝ってこそ人類を救う資格がある、というのが冬月の課した試練なのでは。セカンドインパクト跡地を「原罪の穢れ無き浄化された世界」と呼ぶゲンドウに対し、冬月の台詞が「人で穢れた混沌とした世界を望む」。ゲンドウと違って冬月の視線は、常に人間に向いている。「諦観された神殺し」はゲンドウの台詞だけど冬月にあるのは「人類への諦観」で、補完による救済を信じてない冬月がヴィレに対立する思想的な要因はこの辺じゃないかなと思う。

 とは言え、旧作同様ユイを好ましく思っており(旧作は異性としてのニュアンスがこもってたけど、全体的に性的な関係が払拭されてる新劇場版では学生としてだと思う)、冬月の目的はユイの意思の実現が主。ゲンドウの忠実な僕に見える冬月が独自の行動を取ったのが、シンジにゲンドウの目的を告げたのと、マリにオップファータイプを与えた2箇所。いずれもユイへ呼び掛けている。冬月もゲンドウ同様補完によるユイの復活を願ったが、その一方でユイの遺した願いがシンジであることも理解しており、両方の可能性が残るような振る舞いをしたんじゃないか。

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冬月先生には功労賞あげてください
最後のエヴァンゲリオン

 ゲンドウ、冬月に加えて、劇中マリもユイに呼び掛けている。神の賜ったカシウスとロンギヌスを失って尚、世界をあるがままに戻したいと願う人間の「ヴィレの槍」を見て、「知恵と意志を持つ人類は、神の手助けなしにここまで来てるよ、ユイさん」と。マリも人類の知恵と意志の信奉者であり、ユイもそうだったのではないだろうか。旧作のMAGIになぞらえるなら、ゲンドウは「女」としての、冬月は「母」としての、マリは「科学者」としてのユイの意思を受け取ろうとしたのだと思う。

 またマリと言えば、機体の乗り換えが顕著なイメージ。特に「せめて人型の可動域は踏襲して欲しい」が象徴するように彼女の乗機は特殊で、初登場の試作5号機から既に人型でない。そして「腕の1本くれてやる」と片腕を犠牲に使徒を討滅。第10使徒には「身を捨ててこそ」とリミッターを解除した弐号機獣化形態で応戦し、腕をもがれる。13号機からシンジを救い出す際には両腕を損傷。その結果が『シン』冒頭の臨時戦闘形態。本作の中で、「腕」が人の意志を象徴しているのではという見解は既に述べた。人型を捨て、腕を折られながら戦うマリは、人の意志の限界に何度も直面する存在。

 では、人の限界を知るから人を捨てて戦っているのかというと、私はそうは思わない。マリは、人の動作を越えた義手パーツすら使いこなしてみせる。彼女の乗るエヴァンゲリオンこそ、神の恩恵を失って尚世界を取り戻そうとする、人間の知恵と意志の力の体現。だからこその8+9+10+11+12号機。「必ず迎えに行く」という約束を果たすため、事象の地平の先に降り立ったシンジの魂の元までマリを運ぶ機体。シンジをもう独りぼっちにしないという意志が、初号機と13号機が行った神の力を再現してみせた。それが最後のエヴァンゲリオンなのだ。

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何かに似てると思ったらライダーマンや。機体の乗り換えはカセットアームかな?
眼鏡っ娘

 知恵の信奉者としての彼女はその生活にも表れていて、ヴンダーへ帰ってきたアスカに断捨離どころか本が増えてると文句を言われると、「本は人の叡智の集合体。古今東西全ての本を読み漁るのが、叶わぬ私の夢」と語っている。読書家の一面は流石眼鏡っ娘だけど、この言葉が印象に残るのは、死に行く舟の中で未だ夢を口にしていることと、自分の願いが叶わないものとするゲンドウと対極的な姿。

 本作では眼鏡を掛けたキャラクターが3人おり、ゲンドウ、ケンスケ、そしてマリ。ゲンドウのサングラスは世界と向き合わず贄と看做していることを表すが、元は色無しの眼鏡を掛けており、それがわかるのが零号機起動実験。レイの窮地に取り乱したゲンドウは掛けていた眼鏡を落とし、血の色をしたLCLの中でそれが割れる。割れる眼鏡は、目の前の現実と直面せざるを得ない程の危機を表す。他方ケンスケは眼鏡を掛けることで、目の前の生活を越えた終末を迎える世界を見ている。

 マリが登場(搭乗)した『:破』で彼女の眼鏡は2回割れるが、動じることはない。好奇心の行く先しか見てないマリは、エヴァに乗って得られる世界があるなら、そこで悩んだりしないのだ。しかしそれは、自分の視線を隠すものではない。読む時間もない知識を集積するのは、終わり行く世界をレンズに収めるケンスケと同じ。彼女を特徴付けるもう1つの趣味が、歌。特に往年の歌謡曲を好み、それはエヴァパイロットになる前、ゲンドウと同世代だったマリからしても懐メロ。好奇心でぐんぐん前へ進み続けるが、過ぎ去った時間への追憶は決して忘れない。それがマリというキャラクター。

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マリって大人なの?子供なの?
シンジとマリ

 エヴァに乗って人類を救う。その役割が「なんで僕なんですか?」と問うシンジに、ミサトは「理由はないわ。その運命があなただったってだけ」と答える。シンジは運命を仕組まれた第3の少年であり、この世界にいる限りその運命は変わらない。ゲンドウの手を離れた第8使徒戦。「女の勘」で配置された陣形から、使徒を受け止め聖痕を作ったことで、その運命は確定する。惹かれ合うレイとの出逢いも、反発し合うアスカとの出逢いも、第3の少年としての運命を書き換えるものではなかった。

 翻ってマリに目を向けると、その出会いは全くの偶然。思いつきで行ったパラシュート降下が風に流され、第8使徒同様シンジの元へ運ばれた結果、眼鏡を落とすマリ。眼鏡を掛け、今度は好奇の対象としてシンジを認識する。第10使徒戦と13号機覚醒時、どちらも塞ぎ込んでいたシンジを外へ連れ出す役割を果たすが、それも予定されていたものではなく、第10使徒戦はレイに救われたから、13号機覚醒時はアスカに命令されたからであって、シンジの方はマリのことを認識すらしていない。マリは、シンジの重要な局面に際し、たまたまそこに居合わせただけ。

 しかし、だからこそ“シンジ”の隣にいるのが“マリ”なのだ。ネオンジェネシスで生まれたのは、仕組まれた運命など存在しないあるがままの世界。運命の導き手カヲルの最期の言葉「安らぎと自分の居場所を見つけるといい。縁が君を導くだろう」。運命ではなくによる出逢いを希望するのは、それが自分の意志で選ぶ居場所だからだ。もう1つ、縁を繋ぐ存在としてのキューピッド。それぞれレイはゲンドウとシンジの、アスカはレイとシンジのキューピッドになろうとした。ではマリは。ゲンドウの大学時代、最も近くに居たのは実はマリ。ここから、過去のマリはゲンドウとユイのキューピッドだったと推測できないだろうか。2人のキューピッドとは即ち、シンジが産まれるきっかけ。シンジと世界を繋いだキューピッド。縁に導かれた関係として、“シンジ”の隣がこれ程相応しいキャラクターはいないだろう。

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おいしいところを全部持っていく女
オーバーラッピング

 カヲルがそうであったように、マリもまたシンジと似ていた。もう“出会う”ことのないレイ達の姿を見るシンジと、過ぎ去りし時への追憶を忘れないマリは、同じ優しい眼差しを持っている。ミサトと同じ人類の知恵と意志の信奉者であるマリは、人類の文明と生きる力を信じてネオンジェネシスを行ったシンジと同じ思いの人間だ。また、贖罪の意志を引き継いで世界を取り戻したシンジと、母としての思いを受け止めてシンジを取り戻したマリは、ミサトを介した縁で結ばれている。

 再会の渚で見せてくれた生命の海へのダイブは、魂の記憶に刻まれた安らぎとなり、産まれなかった自身の片割れという絶対的な繋がりのあったレイが、LCLの匂いの中で守ってくれた経験に勝るとも劣らないだろう。共に戦いの中でアスカを失った2人が繋ぐ、“土の匂い”が混じった手と手の間は、生身の関係性が現実世界に見出だした互いの居場所そのもの。何より、神が導いた魂の座まで、人の意志で辿り着いてみせたのは他ならぬマリなのだ。「ワンコ君」から「シンジ君」に呼び名が変わった瞬間から、マリにとってシンジは首輪に繋がれた好奇の対象ではなく、どんな場所だって君の側に居たいと願う一つだけの居場所、愛の在処となったのだ。

 斯くて、少年の「決断」の物語は幕を閉じる。神話を生きる残酷な天使の枷を外し、月の少女と遊ぶ夢を見ることもなくなった少年は、巡り逢う運命を記された魂のリフレインを止める。愛した人の誇りを殺した罪の意識からタナトスに取り憑かれ、世界への絶望を無に帰すという形で表現した過去を乗り越えるために。愛というたった一つの願いを知り、初めて自分の意志に目覚めた孤独な少年は、この世界を肯定してもいい気がした。その唯一の居場所が奪われようとした時、愛だけを見つめていた純粋過ぎる少年の眼差しは、この世界を否定しても願いを叶えたいと思った。希望が絶望へ散華する様を追体験し、終わらせないための犠牲から一度は目を背けるも、長い時間をかけてその遺志を聞き届ける。自分の似姿であった運命の相手に、傷付け合った恋の思い出に、少年はさよならを告げた。彼女達との時間が過ぎ去っても、好きが続くことを信じていたから。

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よく見たら再会の喜びに泣いてる

 ちなみに、実写背景に移行したこのエンディングを以て、アニメなんて見てないでオタクから卒業しろ、「現実に還れ」が庵野からのメッセージだって解釈があるけど、俺は違うと思うぞ。

 先日の舞台挨拶との擦り合わせだけど、ネオンジェネシスの世界にもリアルと等しく認識できるフィクションが存在してるし、大体坂本真綾ボイスの“マリ”なんてどう考えても二次元キャラだろ。彼女と手を繋いでる時点で、虚構を愛することは何ら否定されてないやん。

イスカリオテのマリア

 最後に論述の余興として何の証拠があるわけでもない与太話。冬月がマリを呼ぶ「イスカリオテのマリア」。情報がないので、ゼーレのシナリオに絡む儀式的名称なのか、在学中にフザけて付けられたアダ名なのか判然としないけど(多分後者)、これが何らかの意味のある名前だったと仮定して解釈してみる。「イスカリオテ」は、いわゆる「裏切りのユダ」の枕詞。実はキリスト教の一部では、ユダがサタンの生まれ変わりとされることがある。楽園追放のきっかけがサタンによるイヴの誘惑なのは周知だけど、その際神は“イヴの子孫とサタンが敵対する”という預言をして、これを「原福音」という。この「イヴの子孫」が人の子である救世主イエス、「サタン」がイエスを裏切ったユダで、ユダの裏切りを表してたって解釈。本作で言えば、救世主を殺す者の名であるイスカリオテがシンジを生き返らせたマリに付けられてることで運命を乗り越えたって意味にも取れるし、彼女がシンジと手を繋ぐラストは「原福音」と照らせば神の理に対する勝利とも読み解ける。

 イエスと関連の深い「マリア」として、処女懐胎した「聖母マリア」と、イエスの妻と思しき「マグダラのマリア」がいる。多分前者はレイ、後者がアスカに対応してるんじゃないかと思うんだけど、じゃあイスカリオテのマリアって誰? 実はキリスト教の「マリア」にはもう1人「エジプトのマリア」って有名人がいて、聖女としての格はマグダラのマリアより上だったりする。彼女はイエスよりずっと後の時代である5-6世紀頃の人で、聖ゾシマと祝福を授け合ったとされる。聖女ってだけでなく、聖母やマグダラのより後から現れる、本作のキーワード「相補性」と関連する逸話なんかからしても、マリのソースはこのエジプトのマリアなんじゃないかな。更に話は飛躍して、彼女はライオンを従えてるんだけど、女とライオンで想起するのがタロット大アルカナのⅧ「剛毅」。8と言えば8号機。しかも、現在主流のウェイト版では8番目の剛毅、それ以前のマルセイユ版では11番目に置かれていて、その名残としてⅠ「魔術師」同様頭上に始まりの可能性を示す∞のマークが描かれる。初号機とのシンクロ率∞に達したシンジとの邂逅を果たすため、Ⅹ「運命の輪」を飛び越えたと解釈すると、マリのキャラクターにもぴったり。

 8+9+10+11+12号機。なんでわざわざこんな呼び方をするのか考えたけどわからん。でも無理矢理こじつけるなら、合計した50はローマ数字でL。本作でLが指すのはリリスリリスはこの世界の人間の母にして、原罪の在処。そしてシンジにとってのエヴァである初号機は、アダムスを模してリリスから造ったもの(と思われる)。つまり、エヴァの呪縛とはリリスの呪縛とも言える、はず。運命の定める世界にたった1人残されたシンジを助け出すため、マリはもう1つのL、神と同じ域のエヴァンゲリオンを造って到達したということ。また本編中にもう1個、L5、ラグランジュ・ポイントというLが出てくる。誰もいないマイナス宇宙の渚で迎えを待ち続けるシンジは、宇宙を漂い続ける生命の種子達の状態に似てる。種子がどうやって地球に回帰したのかわかんないんだけど、地球(人類)側が何かしらアクション起こしたんじゃないかな。もしそうなら、マリの意志によってシンジが地球に新しく生まれ直すことが出来たことと重なる。8+9+10+11+12号機は、人類の文明がラグランジュ・ポイントへ辿り着けることの証明。白き月が黒き月に対応したものなら、種子を投下したL5は地球の公転軌道上だと思ったんだけど、劇中の描写を見ると衛星軌道を周回してる? それならLはLuna? Fly Me To The MoonからマリはI Will Fly To The Moonになったとか?

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総論

 サブタイトルのThrice upon a time」、元ネタはSF小説『未来からのホットライン』。TVシリーズ最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」や旧劇場版26話「まごころを、君に」同様、内容的な繋がりは特にないと思う。once upon a timeをもじった造語だけど、ネットを見てたら「三度時間を越えて」と訳してる方がいらっしゃり、素敵な訳なので本稿でも採用させていただきます。

 一つには、新劇場版シリーズのサブタイトル「YOU ARE (NOT) ALONE.」(『:序』)「YOU CAN (NOT) ADVANCE.」(『:破』)「YOU CAN (NOT) REDO.」(『:Q』)全てに付く(NOT)に対応するThrice。この(NOT)、1番わかりやすく解釈するなら、シンジがエヴァに乗る」という行為が意味するものだと思う。そしてそれは常に、理想現実がセット。正反対の意味に見えても同じ事象の裏表。だが遂に、エヴァンゲリオンという万能の願望器を捨て去って、自分の意志で選び取った新しい世界をあるがままに生きていく。

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これがマリを求めるシンジの意志

 一方メタ的には、TVシリーズ26話、旧劇場版(『シト新生』+EOE)と、2度の完結を迎えた先で紡がれる、この新劇場版を意味するThrice補完計画というシンジの内面世界の再生を描くことで希望を見せたTVシリーズそれとは逆に、常に他者からの浸食を受け続ける世界に生きるしかない絶望を描いてみせた旧劇場版。それらを受け入れた上で、自身の理想的な姿を大人の生き方に見出だし、絶望に沈んだ時は他者の手を借りて、忘れがたい過去とのあわいにあるこの広い現実世界を好きになるのが新劇場版。

 旧作と比べてだけでなく、新劇場版の中だけで見ても演出としてのリフレインが多用されており、この世界の運命が仕組まれたものだということが感覚として伝わるような構造になっている。この世界の生命の案内役であるカヲルとの訣別は、その意味でも不可避だった。

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全ての終わりに愛があるなら

 そして、最もわかりやすい見方として、レイでもなく、アスカでもなく、マリを選んだ世界としてThrice自身を全肯定してくれる観念的な母性の理想像。それを肉体を持った女として表したのがレイであり、レイを選ぶとは即ち自己愛そのままに閉じた世界を生きるTVシリーズのラスト。アスカ特に旧作の惣流は同属嫌悪として、弱さを克服しようとしないシンジを完全に否定しており、シンジが認められれば逆にアスカが傷付く不倶戴天の関係性。よってアスカを選んだEOEでは、最も好意を抱いて欲しい相手の首を絞めて生きるか、逆に否定されながら生きるしかない。

 だが(ミサトさんは裏主人公なのでごめんなさい)、宿命などないあるがままの世界の在り様は、可能性としての関係に満ちたもの。それでもマリはシンジを認め、共に生きることを選んでくれた相手。それにアスカの無茶ぶりにも散々応えてきたマリなら(ネットでマリを鶴巻監督と解釈してる主張見たけど、庵野総監督との関係考えたら納得すぎて笑う)、シンジに助けが必要な時は颯爽と手を貸してくれるだろう。延いては、ここまで読んできてくれた方ならおわかりの通り、レイが与えてくれた精神的な安らぎも、アスカに求めた生活の中で頼り頼られる心地よさも、マリを選んだ世界なら全てが存在するのだ。

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 何より、シンジさんは人類の命運を懸けて戦い、レイやアスカやミサトとの「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」「さよなら」の思い出を背負って、マイナス宇宙の果てで世界の新生を成し遂げた男であり、彼の側にあって思いを受け取れる女が、同じく人類の知恵と意志が起こした奇跡を目にしたマリなのは、当然のなりゆきというものだ。あの過重積載を隣で支えられるのは、萌えの違法建築、オーバーラッピング対応型ヒロイン、真希波・マリ・イラストリアスだけ。マリしか勝たん。

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 以上のことから鑑みて『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』は、キャラクター一人一人とりわけヒロイン達が大変魅力に溢れていて、劇中の展開におけるロジックも精緻に考え抜かれたものであり、提示されるメッセージも世界で生きていくことへの真摯さを感じる素晴らしい出来だったことが理解できたと思います。少なくとも私は確認できました。

 映画自体の情報量が膨大なこともあり、本稿も大変な長文となって、みなさんのお暇を幾許も頂戴してしまったことはまさに慚愧の極みです。ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございました。最後はこの言葉で、締め括りたいと思います。

 

 さよなら‼️私のエヴァンゲリオン‼️‼️‼️

 

追記

 本稿投稿後に目にした、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』への不満点に対し、私自身の思うところをここで反論したく、追記しました。

アヤナミ」が結局シンジに名前を付けてもらうのが、女の子に依存されたいオタクの欲望丸出しで気持ち悪い

 「アヤナミ」は第3の少年に供するため作られた存在なので、第3村(エヴァのない世界)に肉体の居場所はない。それでも、魂の居場所として第3村を見出だしたのが本作Aパートの意味であり、綾波タイプの初期ロットという本来の運命を離れた後(ネオンジェネシス後)(シンジを忘れた後)も、ちゃんと生きていけることの示唆。

 要するに、綾波は虚構を背負ったヒロインなわけで、ここでもし彼女が「アヤナミ」以外の名を得てシンジにとって本当の「他者」となってしまったら、虚構存在と同等の他者が存在する世界になってしまう。2次元のヒロインと実存する他者を混同するとか、1番ヤバいタイプのオタクじゃん。そっちの方が気持ち悪いわ。

 「アヤナミ」は他の名前を持てない「アヤナミ」であることによって、彼女が虚構存在にすぎないことを表してるし、またそれによって、実存する他者との差異化も果たしている。あの形でしか「アヤナミ」を描いたことにはならないし、彼女が救われる展開も有り得ないから。

結局アスカ(とマリ)に戦闘を任せっきりなのが、女の子に守ってもらいたいオタクの欲望丸出しで気持ち悪い

 ミサトの指揮する母権集団ヴィレが、父性原理のゲンドウ靡下ネルフに抗する構図なので、そこで戦うのがアスカなのは当然。シンジがエース張ったら男性性の勝利だし、シンジはあくまでヴィレ(ミサト)の意思を継ぐという役割。

 第3村を守るために戦うべきだったって意見もあるけど、エヴァは理性じゃなくて制御できない感情の象徴なんだから、戦えば足下の人間はどうしたって踏み潰す。第3村でそれやったら今度こそ完全に「甘き死よ、来たれ」だろ。

 シンジを認めたアスカやシンジを助けるミサトを踏まえて、EOEより他者性後退してるなんて戯れ言もあるみたいだけど、EOEの他者(アスカ)とは不断に自己を否定し続ける謂わば観念存在としての他者で、それこそ自己認識によってしか成立し得ない実存を否定された他者そのもの。そんなアスカしか存在しない世界を描いたEOEより、シンジ関係なく自由意思で勝手に救われてる『シン』の大人達の姿が他者を描いていないとかちゃんちゃらおかしいんですけど。

「胸の大きいいい女」であるマリと深い関係になってるラストが、シンプルにオタクの欲望丸出しで気持ち悪い

 まず言っとかなきゃいけないのが、シンジはクラスの女子から黄色い声援送られるくらいのハイスペック男子で、父親がゲンドウで第3の少年っていう設定から心を閉ざしてはいるけど、本来彼はリア充側の人間だっていうこと。

 マリが隣にいる理由は本編で散々言及したから今更書くのもなんだけど、要点としては、渚で再会できたのはシンジとマリ双方が求め合ったからで、連続性の観点からマリ以外有り得ない。また関係が未知数のマリは、運命を越えた先にいる相手として最も相応しい。大体、世界救った男がいい女一人捕まえて何が悪いんや。 

 もっと言えば、俺の解釈だけど、声が坂本真綾のままの所。渚に取り残されてたアスカも大人になってたわけで、あのマリ虚構存在の可能性もあるでしょ。仕組まれた運命から解放され未知の広い世界へ出ていく時に、思い出の中で自分を救ってくれたマリと手を繋いだってラストも十分有り得ると思うけど。何にしろ、あのやり取りで性的なニュアンス感じ取るか普通?

結論

 以上、映画は当然の成り行きの上で作られてるのに、なんで連中はそこに納得できないかって言ったら、シンジ=自分と思ってるからだろ。

 「アヤナミ」が自分を好きだと思ってるから、設定を無視して虚構の彼女に実存して欲しいと願う。自分がエヴァに乗ってると思ってるから女を守れなきゃ自尊心を保てないし、他者を信じたシンジの主観を排して観念的な表象に真実味を覚える。マリは違うってお前の好みは聞いてねえ。シンジが、マリを選んだんだよ。

 翻って『シン』は、正にそのダイレクトエントリーすんなって話。虚構を好きなのはいい、でも距離感見誤んな、お前は現実を生きてんだ、って話を見てきて、何故作品内の道理を自分の感覚で否定する? シンジはお前じゃねえって示すために神木隆之介引っ張って来てんだぞ。お前は神木君か? シンジにこうしろじゃなくて、シンジが憧れる大人なのか自問しろ。

 虚構のヒーローに自分を重ねてしまう人間の業を目にした今、虚構との握手を教える『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』という福音のもたらされた重要性が身に沁みて理解された。

 

 

 

関連作品 

ファウスト 1 (岩波文庫)

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 『ファウスト

『:Q』を撮り終えた庵野秀明総監督が、声優として主演を務めた作品『風立ちぬ』。その下敷きとなった作品の1つがこの『ファウスト』。死の間際、視力を失ったファウストだったが、見通せずとも世界が善くあることを信じられたためメフィストフェレスに勝利し、その魂をマルガレーテにより救済される。目隠しによってマリの目を見たシンジからチョーカーが取れるラストシーンは『ファウスト』の影響を受けてる…かも?

 

アルエ (限定盤)

アルエ (限定盤)

  • アーティスト:BUMP OF CHICKEN
  • 発売日: 2004/03/31
  • メディア: CD
 
『アルエ』

俺らの世代で綾波レイのテーマソングと言えばコレ。当時は宇多田ヒカルエヴァの主題歌やるとか考えられんやろうな。今じゃ宇多田ヒカルのないエヴァが考えられんけど。BUMPも『orbital period』以降、こういう新劇場版みたいなテーマ性だと思う。代表曲は(シンジとカヲルがやっていた)「天体観測」、メジャー1stアルバムは(「VOYAGER ~日付のない墓標」の引用元『さよならジュピター』と同じ)『jupiter』等、エヴァとの関連も深い…は無理あるか。

 

Gのレコンギスタ

エヴァ潰すと意気込んでる御大の新作。そもそも庵野監督が新劇場版やろうと思ったきっかけは『新訳Z』だとか。だから明るくなったのかな。ちなみに1作目のサブタイトルは、『未来からのホットライン』の作者J.P.ホーガン著『星を継ぐもの』から。『Gレコ』もTVシリーズの展開通りなら、初恋の相手が肉親、敵に利用される負けヒロイン、目線を隠したライバル、ラスト広い世界へ出ていく主人公等、新エヴァとの共通項多数。旧作で既にガンダムリスペクトは迸ってたし、やろうとしてることが同じ“現代のロボットアニメ”だから、似るのはやっぱり当然の成り行きというもの。