ぶん投げてるようで勘所は外さない、最高に『ドンブラザーズ』だった最終回 『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』最終回感想記事

 

 

 先日、スーパー戦隊シリーズ第46作『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』が、遂に最終回を迎えました。

 毎週のように話題を提供するぶっ飛んだ作風ながら、作品の地力のみで自分含めスーパー戦隊にそこまで思い入れがあるわけでないファン層をも取り込み、一年を通してニチアサを盛り上げ続けた『ドンブラザーズ』。

 その最終回は、主人公・桃井タロウの名台詞「縁が出来たな」で締め括るという、堂々のグランドフィナーレを飾ったように思います。

 ですが、オチとしては満足だったものの、クライマックスの展開、実は自分としてはちょっとよくわからなかったんですよね。あの漫画を読んで覚醒する辺り。

 それで丸1日反芻し、どういうことか考え続けた結果ようやく腑に落ち、理解してみればこれ以上ない完璧なラストだと感服したので、その感動をここに綴りたいと思います。

 

 名前からして、タロウの後継者と一目瞭然のジロウ。

 本来は、獣人を封印するための人身御供という、ドン王家の負の面を担うための存在だったのが、タロウがドン家の罪を清算したことで解放され、またジロウ自身、孤高の存在としてのヒーローを受け入れたことで、名実ともにタロウの代わりが出来る存在へと成長する。

 ドン王家が獣人という過ちを犯したのは、脳人と人類の共生を願ったから。

 人類の管理者という脳人の立場から、ドンブラザーズの一員として人類と肩を並べて戦うようになったソノイ・ソノニ・ソノザは、まさにドン王家の理想を継ぐ存在。

 この時点で、ドンモモタロウとしてドンブラザーズを率いて戦う理由はもう達成されてるのよね。今までのタロウを形作ってきた使命が消滅し、タロウは存在意義を失う。こっからは、個人としてのタロウが問われることになる。

 

 ドンモモタロウとしての使命を失ったタロウは、これまで率いてきたお供達に会いに行く。

 「ドンブラザーズ」の特徴として、お供達は望んでヒーローになったわけじゃなく、サングラスが勝手に選んだ謂わば“巻き込まれ”なのよね。

 そのデメリットを最も被ったのが鬼頭はるかで、オニシスターとなったがために椎名ナオキの介入を受け、順風満帆の漫画家人生を失った。

 だが、過去の業績は否定されても、漫画家としてのペンを折られたわけではない。現実の「人間が好きにな」り、上辺を取り繕うことをやめた今のはるかは、自分の信じる“面白い”ものを漫画に起こせる。

 だから、世界を広げてくれたドンブラザーズの経験に後悔はない。それに、ちょっとくらい欠点があった方が、完璧な人間より「可愛い」と笑った。

 流れる雲のような捉え処のない生き方を理想とし、必要以上に他人と交わらない、経済的な繋がりをもたらす金(¥エン)を持たない(持てない)ことが象徴的な猿原真一。

 しかし、彼にはナルシシズムや女好きといった世捨人になりきれない俗っぽさがあり、だが、それこそが困っている人間を見捨てられない教授の善性でもある。それが結実したのが、タロウ不在のドンブラザーズを勝利に導いたドン48話「9にんのドンブラ」。

 それを教えてくれたドンブラザーズに後悔はないと、教授も言った。

 

 獣人に奪われた恋人、夏美を取り戻す。その一念でアウトローの世界を生きてきた犬塚翼だったが、獣人との戦いを終わらせ夏美を解放したものの、彼女は犬塚の元を去った。

 恋人を失う辛さが誰よりもわかる犬塚は、これまでもカップルを応援してたし、何より夏美を失う直接の原因になったソノニへの情けは、愛に殉じた彼女を見捨てておけなかったから。

 これからも愛し合う者達のため、ドンブラザーズとして戦い続けると犬塚は誓った。

 そして雉野つよし…。ドンブラザーズきっての、どころか歴代のスーパー戦隊でも屈指の問題児だけど、いい歳こいてニチアサを楽しみにしてる限界中年男性の一人としては、コイツのことを責められないのよな。

 雉野があそこまでみほちゃんに執着したのは、僕には何もないという強烈な卑小感ゆえ。仕事でも成果を出せず上司からいびられ、ドンブラザーズでも足を引っ張り年下から軽んじられる。どこにいても居場所を確立できない。

 そんな自分が唯一いてもいいと思える場所がみほちゃんだったのに、それすらも失った。雉野にとっては悪夢のような一年だったはず。

 それでも、ドンブラザーズの一員としてヒーローを続けてる自分に、今では誇りが持てた。お荷物扱いでも構わない。弱くても、戦う意思がある自分は何もなくなんかない。この最年長の受け止め方、泣く…。

 それぞれ少なからず不幸を背負ったはずのお供達は、誰もドンブラザーズになったことを後悔していなかった。

 

 本当「最強の敵」という位置付けのためだけに現れたソノナ・ソノヤ。

 ソノイ・ソノニ・ソノザでは太刀打ち出来ず、ジロウ、ドンブラザーズそしてムラサメと続々と仲間が駆けつけて一瞬盛り返すシーンは、ソノイの台詞から始まってめちゃくちゃ胸熱。

 

 で、その裏で漫画読んでるタロウのシュールな画ね。ここのフラッシュバックがリアタイ時しっくりこなかった。内容はドン12話「つきはウソつき」の月に関する台詞とドン18話「ジョーズないっぽん」のカブトムシのギイちゃん。

 月を嘘つきの象徴として、「つきはウソつき」では自称アイドルから本物のアイドルになった吉良きららと重ねたけど、この場合重要なのは、対極にある真実しか告げない太陽=タロウということ。ドンモモタロウであるタロウの正義は、眩しすぎて人々から遠ざけられてきた。そのタロウも、きららの姿から人々に愛される美しい嘘を学んだ。

 ギイちゃんは、孤独な少年期を過ごしたタロウ唯一の友人(カブトムシ)で、ギイちゃんを思い起こしたタロウは、子供のように弱々しく、お供達でも簡単に打ち負かせそうな、無敵とは程遠い姿だった。タロウにもそんな、奇跡を願ってしまうくらいに不幸を覚えた、“普通”の人と同じ脆さがあったのだ。そしてそれこそ、タロウの知りたかった“答え”。

 薄れゆく記憶の中、主観と客観が入り交じった時間で織り成される悲喜こもごも。まさに、完全無欠でありながら不完全な人々と共にあることを望んだ、ドンモモタロウの物語なんだよな、この漫画。そこに、求め続けた真実が現出するという。

 自己が何者であるかを取り戻したタロウは、ドンモモタロウ最後の仕事を果たしに行く。

 

 そしてピンチに神輿で登場して、お供達に「名乗り」を要求するのよ‼️

 上述のように、“巻き込まれ”のドンブラザーズ。延いては不完全なヒーローだったドンドラゴクウ/トラボルタ。元老院の下僕だったソノイ・ソノニ・ソノザ。最後までよくわかんないムラサメ。誰一人として、生まれながらのヒーローはいない。

 皆、ドンモモタロウという太陽の光を受けて、ヒーローという輝きを放とうとした月なのよ。

 でも、だからこそ「名乗り」が必要。周囲にどう言われようと関係ない。悪戦苦闘しながらも、自らがヒーローたらんという意思こそが、彼等のヒーロー性の本質であり、その証明が「名乗り」という強烈な自己肯定。

 その1年間を見てきた我々からすれば、これこそ“美しい嘘”そのものなのよね。

ここアイドルと掛けてきたところも、個人的にはグッと来る。

 

 じゃあタロウはどうなのか。

 哀れな人造生命体・獣人を生み出し、イデオンを壊滅させるという大罪を犯したドン王家の末裔。そしてそれが、親友ソノイとの血で血を洗う決闘にも繋がった。

 また、亡命先に送られた所変われば品変わる異郷の地では迫害され、孤独な人生を余儀なくされた。それでも、人とわかり合えることを信じて決して拳は振るわずに。

 人の幸せに寄与出来ることを願うタロウにとって、その血筋そのものを恨まれ、周囲と打ち解ける上で否が応にも障害として付き纏うドン王家の出自は、忌まわしきもののはずだ。

 自分じゃどうすることも出来ないそれに、「然り」と宣う。他に類を見ない特異な生まれ。だからこそ紡ぐことの出来た数々の縁を、ドンモモタロウとして全力で肯定する。それが「桃から生まれた」。

 ここが漫画では空欄になってるのが、タロウの自己肯定のニュアンスを強調してる。最後の一筆っていうのが、まさに画竜点睛。

 

 はるかの描いた『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』を読んでこのシーン、最後の台詞を自分で言うっていうのが、ドンモモタロウとしての人生を完結させた感。

 お供達を立ち直らせた後は、誰も追いつけない速さで敵を斬り裂き、彼方へと消えていく。月が本当の輝きを放つ夜には、眩しすぎる太陽は要らない。最強のヒーローの去り際として相応しすぎる。

 この後、タロウがどうなったのか。ギイちゃんの件は、それを示してたのね。

 再び漫画家となったはるかの元に現れる、初めましてな、でもよく見知ってる

桃井タロウ。「縁が出来たな」。

 流石にこのままタロウはいなくなった、じゃ一年間見てきた視聴者は寂しすぎる。今まで積み重ねた時間は、赤の他人というにはあまりにも濃い関係なわけで、記憶を無くした来世でも、再び出会うくらいの縁はあって然るべき。他ならぬタロウが、他人との縁を求めているのだから。

 

 太陽=ドンモモタロウであるタロウには、真実だけが価値を持ち、現実にしか興味がなかった。それゆえ、現状を肯定出来ない人々が求める夢=幸せがわからなかった。

 だが、漫画という虚構の中に世界の面白さを描こうとした鬼頭はるか、空想に耽溺しながら人の中に生きることを決めた猿原真一、人生を賭した程の恋人を思い出へと変じ得た犬塚翼、夢の新婚生活から醒めて後もその続きを生きている雉野つよし。

 4人のお供達を引き連れて紡いだ縁が導いたのは、現実にない光を求めて見る夢にはその人自身が放つ耀きがあり、その美しさこそ幸せである。人を幸せにするため必要なのは、最強の力=ドンモモタロウではなく、タロウ自身の弱さ=孤独と向き合うこと。という真実だった。

 求めていた答えは初めから自分の内にあったという展開が、1話の出会いと重なるラストシーンとも呼応しており、「縁」が「円」にも通ずる。幸せ配達人・桃井タロウと新人漫画家・鬼頭はるかは「お供達」ではなく、「お友達」の関係になれるのではないだろうか。

 それでいて、この作品が繰り返して訴えてきたことの延長線にもあり、ラストシーンの説得力にそのまま繋がるあまりに美しい締め方。夢の楽園はこの世の縁にあった。

 『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』、一年間見てきて本当に良かったと思える、素晴らしい作品でした。