2023年深夜アニメ私的総括13選

 

 年末恒例、深夜アニメ総括を今年もやっていきたいと思います。

 毎度のことながら、作品の選考基準は僕の独断と偏見によるものであり、順不同なので悪しからず。

 

『攻略うぉんてっど!〜異世界救います!?〜』

 中華産異世界転生ってどんなもんなんや?と思って見たら、圧倒的百合アニメでオタクの心をガッチリキャッチして、劉思文監督の名前を日本人に刻み付けたわ。

 まずキャラクターが可愛いんよね。基本スペックが高くて怖いもの知らずなイノーと、調子に乗ってすぐドジをやらかすクズお嬢様エンヤァの師弟コンビ。その他のキャラクターもみんな美少女同士の関係性に落とし込まれてて、萌えアニメで育ったオタクの大好物。

 さらに、なろう系より強くゲームファンタジーを意識した設定が、途中のギミックとしても活かされてるんだけど、クライマックスの展開にも見事に応答してメインテーマを形作る。オリジナルアニメとしての完成度も素晴らしい。

 3DCGのキャラデザや尺調整のために付けられた立ち絵パート、中華アニメってことで見ずに切った人も多いんだろうけど、本当もったいないわ。

 

『カワイスギクライシス』

 ネコネコカワイイアニメ。俺は別に猫動画とか見る人間じゃないから全くノーマークだったんだけど、めちゃくちゃハマった。この手のアニメにハマるとは自分でも意外だった。

 本作は猫だけじゃなく色んなペットが出てくるんだけど、これ単にペットの可愛さを見せてるんじゃなくて、自分のペットの愛くるしい姿に萌え狂う飼い主の痴態を見るアニメなんよね。

 エイリアンのリザが黒猫のよぞらに惚れ込んで、地球のペット文化に染まっていくのが根本設定なんだけど、エイリアンのオーバーなリアクションや向井ら飼い主達の偏執性を見せる時には、必ず視聴者と同じ冷めた目線のツッコミ役が置かれてる。

 飼い主のペットに対する愛着って他人にはわからない異質なものなんだけど、そうやって大切にするものがあるって素敵なことじゃない? お互いの至高の存在をそれぞれ肯定出来たら、そんな素晴らしい世界ないでしょ? っていう、異文化交流における多様性尊重の正解みたいなテーマで、ただの動物萌えに留まらない普遍的なアニメだった。

 

『トモちゃんは女の子!』

 男勝り女のラブコメって今時使い古されたネタかと思ったら、幼馴染み男女の解像度がめちゃくちゃ高くて驚かされた作品。『タッチ』と比肩するのでは。

 ヒーローヒロイントモちゃんに淳一郎怪人(笑)そして腹黒美人みすず等キャラクターも立ってるけど、そこに加入するキャロルも含め人間的に魅力があるから、中盤から一気にギアが上がるラブストーリーとしても成立する。

 これが上手いのは序盤をトモちゃん視点のラブコメにすることによって、作品のリアリティをコントロールしつつ、ギャグ漫画のキャラのような不変性が幼馴染みから男女へ変化するネックになるという、漫画の構造がそのまま作劇になってるんよな。

 その上4コマ原作のテンポの良さは残したまま淳一郎のモノローグを落とすことで恋愛の緊張感を持続したり、アニメスタッフの理解度の高さも作品のクオリティに貢献してる。原作の良さを見事に引き出した令和随一のラブコメ作品だったと思う。

 

『Lv1魔王とワンルーム勇者』

 魔王を倒したその後の勇者と転生した魔王の同居モノっていう、『えんどろ〜!』その他設定自体はそれ程珍しくないんだけど、舞台をファンタジーではなく現代日本に近い世界にして写実的な物語を描いてきたのが本作の特色。

 キャラデザもそれを表してて、女性キャラがみんな絶妙に萌えから離れたデザインしてるのよね。それで切った人もいるんだろうけど、挫折したオッサンが人生やり直す物語のヒロインはこれが最適解。むしろ絵は上手い。

 この作品におけるファンタジーって若かりし頃の可能性の象徴で、社会に出て現実を知ってそれが通用しなくて人生を見失ってる。複雑な社会の中で自分には大したことは出来ないけど、それでも自棄になった仲間を救うために無理を押して駆けつけるのがマックスの勇者性。その見せ方も良くて、今のマックスは決してカッコ良く決めることは出来ず、とことん無様で情けない。

 そしてボロボロになった最後に渾身の土下座というね。人々の希望を背負って恐怖に立ち向かった英雄が、今度は戦後の民主社会を信じて仲間の救済を託す。過去の栄光に別れを告げて社会と折り合いを付ける意味合いで、これ程わかりやすい画はない。元勇者というファンタジーを使って、無職中年男性のワンスアゲインをリアルに描いてみせた。

 

『スキップとローファー』

 夢を抱いて上京した主人公が学園生活に奮闘する青春グラフィティ。リアルタッチで派手な事件が起きる感じではあんまないんだけど、どの話数も登場人物の心の機微がしっかりテーマを担う人間ドラマになってて神回しかない。

 純朴で不器用な主人公が不馴れな東京で夢を叶えるために邁進する、形だけ見たらもう少し苦しい話になっててもおかしくないんだけど、キャラクターの配置や演出の匙加減で絶妙にポップな味わいを保ってて、このバランス感覚が本作の魅力だと思う。

 キャラクターの造形も一面的にはならないように気が遣われてて、村重さんと久留米さんが一緒にいる脱力した空気感から、序盤の肝だった江頭さんの落とし込みには力入ってて、本筋の志摩君の心に近付いていく時の慎重さ。美津未を中心に置くこの振れ幅を、声優さんの演技も含めた等身大のリアリティで描いてくる。

 そうした物語のトーンを表現するにあたり、パステルカラーにコントロールされた色調や風景の美術による心情描写等、繊細に計算された画面構築はこれぞP.A.WORKSの面目躍如といった趣。こういったアニメこそ評価されるべき。添付したOPも、流石OP職人で有名な出合小都美監督なだけあって素晴らしい仕上がり。

 

BIRDY WING -Golf Girls' Story- Season 2』

 1期はぶつ切りに終わったものの、『スクライド』を彷彿とさせる胸熱展開の連続(笑)でオタクを大いに盛り上げてくれたから期待してたら、その期待値をちゃんと上回る傑作だった。

 主人公達が成長して強敵をぶっ倒していく展開は同じだけど、1期では伏せられていた2人の出生の秘密が明かされ、子供達が大人のエゴに運命を翻弄されてきたことがわかる。そうしたしがらみを乗り越え、最強の座に手が掛かりかけた瞬間、訪れた肉体の限界で、二度とゴルフが出来ない体に。(笑) 

 ある種こういう因縁の対決って、テンプレが決まってるから展開は予測出来なくはないんだけど、ちゃんとキャラクターが立ってるから話に引き込まれるし、ただお互いのみを見て高め合ってきた2人の対決が、いかなる介入も許さない世界の頂点を決める物語は胸熱で、やっぱ王道は強いんよね。

 リタイアした方がキャディーに回るっていう、それって実際意味あるんか?なクライマックスの説得力を出すために、関係性のゴルフっていうテーマを1期からずっと続けてきたわけで、この辺の一見無茶苦茶に見える展開のリアリティを担保する作劇はちゃんとなされてるのがベテランの技って感じで、令和でもこういう熱血が通用するんよ。大成功のオリジナルアニメだった。

 

『ミギとダリ』

 作り物のような世界オリゴン村で、2人で1人を演じながら母の仇を探す少年達が繰り広げるシュールギャグサスペンス。とまあ何のこっちゃわからんけど、上辺には愚者の可笑しみを見せながら背後には弱者の悲哀が滲むノリは、『パラサイト 半地下の家族』に近い気がする。

 まず、2人で1人を演じる「あり得ないだろ(笑)」ってシーンがコメディとして秀逸なんよな。原作の画力がアニメでも遜色なく再現されてて、まずギャグとして全力なのが最高。そこから2人の子供達に同情させるストーリーテリングで、徐々にサスペンスの比重が高くなっていく。

 母の仇が判明する中盤以降、シュールなギャグシーンと狂気的なサスペンス描写が交互に反復する中で怒涛の伏線回収が始まり、胡散臭い世界観や芝居がかった台詞回し、2人で1人という歪さ、家族という要素がミギとダリの居場所というテーマに収束していくこの作劇には惚れ惚れするような巧さがある。

 でもそうした気の利いた演出が行き着くラストが、家族の再生っていう感動のフィナーレなのが素晴らしい。原作を丁寧に映像化し、ラストには粋な計らいもあって、本当に最後まで愛に溢れた作品だった。

 

『天国大魔境』

 異能を持つ子供達が施設で養育される天国編と、文明崩壊後の社会をサバイバルする少年と少女の旅路の魔境編、2つの時間軸で描かれる石黒正数原作のポストアポカリプスSF。

 上述の取っ付きづらさはあるものの、情報を小出しにして謎解きを楽しませる氏の作風と、誇張されて人間臭い脇役達の緩急で、話自体はちゃんと動いていくし、なによりこのオーバーラップが終盤効いてくる。

 劇中で散々示されるのは大人達の頼り無さで、文明が崩壊する前の大人達の時代への回帰は道標にはならない。生まれた理由を探すこの物語は、始まりに戻るのではなく、目的地を見つける旅として再出発を果たす。

 疾走感溢れるOPが表すように、正解のない手探りの道を間違いながらがむしゃらに走っていく。そんな子供達の姿を誠実に描き出したロードムービーとしても一級品の傑作アニメだった。

 

『Helck』

 「人間滅ぼそう」の言葉と共に魔王選考会へ乗り込んできたのは人間の勇者ヘルクだった。という、この予告を見た時は正直あんまり惹かれなかったんだけど、終わってみれば今年を代表する傑作の一つだった。

 勇者ヘルクと愉快な仲間たち感漂う魔族の面々とヴァミリオ様のキレキレのツッコミでキャラ見せになってる前半のギャグパートも、後半のフリになってるんよね。人間滅ぼすは単なるネタじゃなかった。この辺ヴァミリオ様の心理戦で緩急作ったり、アニメとしての見せ方も上手い。人間サイドと対照的な魔族のノリが、コイツ等なら信頼出来るという安心感に繋がってくる。

 そして後半のシリアスなヘルクの過去へ繋がっていく。英雄になろうとしたわけじゃない、大切な人を守りたかっただけのヘルクが突きつけられる絶望の連続。人類最強の力を持ちながらそれが通用せず、心が折れる寸前ギリギリ戦い続けてきた中で、その最後に残酷な世界そのものに抗うと前を向いて決意。悲壮さを滲ませた勇者などあってたまるか、最後まで希望を捨てない者こそが勇者だろという、何を以て勇者とするのテーマにとことん向き合った骨太な回答。

 思えば初めから、勇者ヘルクと女王ヴァミリオ様の関係を軸に話が進んで来たのよね。お互い本心を隠しながらの握手から、ずっと1人で背負ってきた過去をヘルクが明かし、背中を預けられる戦友として暁をもたらした19話も感動したけど、ヴァミリオ様こそが輝きとなって闇夜を照らす最終話はそれ超えてきた。俺たたENDでこんな号泣したことないし、1期のシリーズ構成としても完璧だった。

 

SPY×FAMILY Season2』

 東西平和のため暗躍するエージェント黄昏が作った仮初めの家族、フォージャー家の巻き起こすドタバタ劇を描いた大ヒット作の続編。どちらかと言うとお父さんロイドの活躍を描いていた1期に対し、ヨルを主役に据えた長編、豪華客船編が2期のメイン。

 テンポのいいギャグとシックな画面構築の魅力で、ホームコメディとしての高いクオリティから万人受けするのはわかってたけど、個人的には良く出来たアニメだなくらいの認識だったのが、この豪華客船編で一気に見逃せない作品になったわ。敵の出し方からヨルの葛藤、クライマックスの演出まで長編としてのプロットの組み方が完全に一線級のそれ。

 正直これまで飛び道具扱いだったヨルをどう落とし込むのかなっていうのはずっと気になってて、完成された兵士のロイドに対して成長段階を見せていくのね。初めて限界に立たされるも、そこで奮い起つことが出来たのは、親愛する男性はきっと自分の進む道を肯定してくれるという信頼。しかもその信念が実はロイドと同じもので。互いに裏の顔を持つ仮初めの夫婦だけど、仮面の下の素顔は本物以上の絆で結ばれてる。ヨルにとっても、フォージャー家は大切な居場所になってるんよな。

 結婚を機に環境が大きく変わる女性の視点から、家庭に入るのではなく仕事を続ける決断を、他ならぬ家族の後押しから選択する。殺し屋やりながら家庭を持つ難しいヨル・フォージャーというキャラクターが、仕事中の妻に代わってロイドが子守に徹する豪華客船編で完全に成ったわ。そう言えば湯浅政明氏が手掛けるOPもジェンダーロール入れ替える演出がされてたけど、氏の代表作に『クレヨンしんちゃん』があるの考えるとこのツイートが伏線回収出来たわ。

 

『もういっぽん!

 柔道に青春を燃やす女子高生部活モノ。とは言っても全国制覇目指すような話じゃなくて、あくまで等身大の女子高生達が、敗北の中で流す汗と涙と情熱の物語。だからこそ、言葉じゃ言い表せないようなエモさがあるんよな。

 ちょうど美少女アニメと熱血スポ根の中間くらいの丸っこくて可愛らしいキャラデザで、爽やかさ重視の画面構築から女の子同士のしっとりした情感を演出してくる回もあれば、大会では手に汗握る白熱の勝負を見せてくる。激しさの割に案外画として動き出すの難しい柔道で、リアルなタッチは崩さないまま見せる画が作れるようアニメスタッフ陣はよく頑張ってたと思う。

 タイトルが示す通り勝って終わりじゃない、敗北から始まる物語だから勝利する試合はそこまで多くない。それでも文脈を作って話を盛り上げてくる作劇の上手さ。終わりにしたくないっていう燻りを燃やし尽くして、全力の一瞬一瞬にしかない熱量が籠もった試合だから、敗北しても清々しさで終われる。この煌めきはやっぱフィクションだから出せる美しさでもあるのよね。

 ED「いっぽんみち」も本作のテーマを表してて、1人だけじゃ途絶えてた道が、柔道を通して柔道が好きだから出逢えた人達と繋がってどこまでも続いていくっていう。物語の始まりの園田と永遠の出会いや青西柔道部の面々はもちろん、ライバル校の部員達もこのEDの顔触れに並んでいくのが最高で。青春っていう人生の黄金時代を描いた物語に、誰1人脇役なんていないんよ。一見華やかさとは程遠い女子柔道を扱って、こんなに輝きを放つ女子高生達を描いた本作。新たな青春スポーツアニメの金字塔に刻まれた名作だったわ。

 

『MIX MEISEI STORY 2ND SEASON 〜二度目の夏、空の向こうへ〜』

 あだち充原作『タッチ』の30年後を描く高校野球漫画のアニメ化2期。ここに挙げるまでもなく名作の評価は疑いない作品だと思うけど、英介が他界した今作は推さざるを得なかった。

 あだち充お得意の死ぬべきじゃない人を死なす展開だけど、『MIX』は互いに伴侶と死別した両親の出会いが始まりだから油断してたわ。因縁の対決に燃える親父の執念を背負った西村と、最高の投手戦を息子が演じたその裏でひっそり。真弓は夫を投馬は親を、2度目の喪失。

 上杉和也と違って英介はうだつの上がらないおじさんだけど、だからこそここで死んで欲しくないキャラクターだったんよな。本作自体が基本的に軽い口当たりで、英介の存在がその象徴だったんやなってことが喪われて初めてわかるニクいプロット。真弓と投馬を月影と原田がフォローするキャラクターの配置も絶妙で、劇的ではないからこそ口惜しさを感じさせるこの完璧なキャラ造形はベテランの味。

 哀しみを乗り越えた真弓にはいつもの笑顔が戻り、投馬は絶対的エースの投球を取り戻す。栄光に届かない者達の悔恨と、栄光を夢見た大人達の憧れを背負って、この夏1番格好いい男の子の姿。3年目最後の夏がますます見逃せなくなった。

 

ヴィンランド・サガ SEASON2』

 まず、主人公が廃人同然のまま2ヶ月間ってだけでも本作の本気度がわかるけど、2期に入って用立てた新しい舞台ケティル農園。これが中世社会の1つの縮図なのよね。平穏の象徴としてあるケティル農園だけど、その秩序はやはり武力によって保たれていて、自衛する権利を奪われた奴隷は罪人の処遇に通ずる。百姓の人生を知り、自らが損なってしまったものを実感したトルフィンが、ヴァルハラの業から這い上がる9話の映像は圧巻。

 他方でアシェラッドのもう1人の息子クヌート。楽土をもたらさない神へ反逆し自ら血塗られた冠を戴いた王は、華美なマントの権威と聖書の教えを捨て去り、血と暴力が蔓延るヴァイキングの華を踏みしだいて、重く暗い死の帷を下ろす。戦乱の世に君臨することで、全ての争いを我が物にせんとする覇王。キリスト教徒だったクヌートの野蛮なノルド文化への転向は、中世ヨーロッパの変化を体現するもの。

 後半吹き荒れる暴力の呼び水となったのが、出征し野獣へと堕ちたガルザル。そして農場の良心ケティルが、地獄絵図を引き起こす修羅へと変貌する。ケティルとガルザル、主人と奴隷、奪われた怒りと失った不安で境遇は対照的だけど、凶行に駆り立てた妄執は同じなのよね。野獣をどこにでもいる普通の父親へと解呪せしめた17話も、一連のアルネイズ役佐古真弓さんの演技も本当に凄まじかった。

 その末に国王と奴隷の対面がある。共にアシェラッドの薫陶を受け、片や彼を斬ることで高潔な精神を捨て厳格で冷酷な覇王となった者と、片や彼を斬れなかったことで気高く強かな理想の戦士となった者。4年の時を経た再会で、全く異なる道を歩んだ互いが互いを認めるに至るこのストーリーの帰着。しかもこれがトルフィンにとっては生涯をかけた戦いの始まりっていう。これはちょっと歴史に残るアニメを目撃したって感じだったわ。

 

総括

 並べてみて見えてきたのが、2023年は裾野が広がった年だったなということ。

 『万聖街』と同じ路線の『フェ〜レンザイ』も好評だったけど、去年に引き続き入ってきてる中華アニメ。ハオライナー系は中華色がだいぶ強い印象だったけど、劉思文監督みたいな日本のオタクにもウケる作風も出てくるとなると、来年以降も増えてきそう。

 その『攻略うぉんてっど』のED「レゾナンス・レゾナンス」を作曲したアオワイファイは、『英雄王、武を極めるため転生す 〜そして、世界最強の見習い騎士♀〜』でも森崎ウィンのゴキゲンな「DAY1」も担当してて、今後も名前聞きそう。

 新しく聞いた名前と言えば、特撮畑出身でアニメのシリーズ構成デビューとなった皐月彩さん。いきなり『もういっぽん』と『カワイスギクライシス』という人気作を生み出して、オタク達にその名を知らしめた。『お嬢と番犬くん』も、個人的に話自体はわりと楽しめたし。

 監督では、今年監督作2作が公開されたたかたまさひろ監督。なにとは言わんが、2023年は彼の年だったと言っても過言ではない程(笑)、アニオタに名前を刻み付けた。ネタ抜きにしても、怪作ではありながらどちらもちゃんと面白い作品なので、素直に今後の活躍が期待される。

 そして忘れちゃならないのが、監督デビューで名作を生み出した『天国大魔境』の森大貴監督と『もういっぽん』の荻原健監督。このお2方が出てきたことが2023年1番の収穫だったのでは。今後も確実に名前を伺う方々になるであろうことは明白なので、この新しい才能が見つかったことはアニメファンには朗報だろう。

 他にも、OP,EDを主に手掛けられる出合小都美さんも久々の監督作『スキロー』で演出の確かさを改めて証明したし、意外に監督キャリアの大半が『ヴィンサガ』の薮田修平監督もそれに注力した結果これだけの大作を生み出した。個人的には『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』の井上圭介×清水恵タッグが、『Lv1ルーム』『トモちゃん』でそれぞれ傑作を送り出してきたことも嬉しい。

 総じて、2023年は中小スタジオから勢いのある作品が生まれてきた印象がある。また『MIX』や『SPY×FAMILY』、『ゴールデンカムイ』と言ったビッグタイトルも制作体制の若返りを図っていて、こうした活気のある状況は見ていて好ましい。他方、オリジナルアニメ『バディゴル』や七尾ナナキ先生デビュー作『Helck』ではベテランがしっかり仕事をしていて。

 何が言いたいかと言うと、1つの媒体でこれだけ多彩な才能が揃って見られる深夜アニメって、本当にいいもんですね。

 

おまけ:『冰剣の魔術師が世界を統べる』

 たかたまさひこ監督の名前出しといて監督作挙げないのはあれなのでここに。『でこぼこ魔女の親子事情』も、気が狂ったかのような(笑)画作りとOP,EDまでオタクを楽しませようとするサービス精神、1クールでしっかりまとめてくる構成は健在で最終回なんか泣いちゃったけど、アニオタ的にはやっぱこっちかな。

 2023年は本作以外にも、『神無き世界のカミサマ活動』『ポーション頼みで生き延びます!』と言った無法者達が大いに賑わせたけど、1月クールでいきなり現れてオタク達の度胆を抜き、TLを席巻したという意味では、やはり『冰剣』が最強だったと思う。

 ぶっちゃけ言うと、10年代ラノベ的なちょい懐かしい学園ファンタジー設定となろう発という出自、無名の制作会社クラウドハーツという座組でナメてました。御子柴奈々先生すみません。

 そこから出てきた本編映像が原作の頭おかしい展開をさらに頭おかしくした画になっててゲラゲラ笑ってるんだけど、毎回手の込んだOP芸(笑)で引き込み、「〜〜はアトリビュートであって、◯◯の本質ではない」のパワーワード。そして意外に骨太な学園モノとしてのプロットと終わってみれば並みのアニメ以上の満足感があり、間違いなく世界を統べるアニメだった。

 

 『進撃の巨人 完結編(後編)』の後に地上波放送した『地球外少年少女』や昨今のアニメには珍しい見る者に問いかけるタイプの『AIの遺電子』、王道のボーイミーツガールに立ち返った弐瓶勉の『大雪海のカイナ』等、SF作品も非常に質の高いものが多かった一年。

 原作人気から来る高い期待値を大いに上回って大成功のアニメ化となった『僕の心のヤバイやつ』『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』のラブコメ2作品も続編の制作が決まってる状態。

 2024年も深夜アニメの未来は明るいと言えるんじゃないでしょうか。新しい年も、深夜アニメにも期待していきましょう。

 

 

アニメ『葬送のフリーレン』初回2時間分見返してみた感想まとめ

 

 リアタイ視聴ではあまり乗りきれなかったので、見返して内容を整理してみた。

 

エーラ流星

 まず1話「冒険の終わり」。勇者一行王都凱旋のシークエンス。

 物語が始まったって言うのに、えらいまったりしたトーン。ものものしいが、どこ撮ってるかわからない王宮。

 どんなアニメでも最初は世界観に馴染む過程があるけど、それにしたってやり過ぎなのは、自分達が主役の祭りを他人事のように眺めるフリーレン達を見せるフリ。

 特に俺としては、クソみたいな冒険の振り返りで、今会ったばっかの連中に思い出話なんかされても知らんがなって完全に気持ち萎えちゃったんだけど、この視聴者と作品との距離感はフリーレンとヒンメル達との距離ってことなんやな。

 そこからエーラ流星のシーン。

 ここで星空を回す凝ったカットが入るんだけど、多分ヒンメル視点での時間の流れを表してて、バックショットの定点がフリーレンの一瞬の時間なんだと思う。

 で50年後。老いさらばえたヒンメルと銅像と同じ姿のままのフリーレン。過ごした時間(自分の姿)の違いが、見えてるもの(銅像と鏡像)の違いに現れる。

 最後の冒険で見るエーラ流星は、全天で4人全員回す。ただ4人の先頭を行くヒンメルには、満天を埋め尽くす全盛ではなく、流星が潰える最期の煌めきを見てるんよね。

 自分の人生を充足し、後悔のない顔で先立つヒンメル。埋葬が終わり、もう会えないとわかってようやく自分の気持ちに気付き、嗚咽を漏らすフリーレンが第1話のクライマックス。

 にしてはあっさり見せ過ぎじゃないかって気はするが、この時点では感情の萌芽って具合なんかな。

 葬式で陰口叩くババアも、やっぱ改めて見てもフリーレンの見た目がガキだからナメてるって印象。ここ呆気なく終わった葬式でわけもわからず涙が出たって方が、フリーレンの涙に重心が乗って俺の好みだったけど、この辺は作風なんだろう。

 ヒンメルもやたら容姿を自賛するし、この作品、外見は重要なファクターの1つっぽい。昔から人格変わらんからわかりづらいけど、50年で最も円熟の人生を送ったヒンメルは老け込んで、次いでハイター、アイゼン。フリーレンは子供のまま。

 

フェルンの弟子入り

 2話の「別に魔法じゃなくたって」は1話の後半から始まる。

 1話じゃ意味わかんなかった暗黒竜の角のシーンは、ここのハイターへの借りに繋がってるのかな。

 地下でエーヴィヒの魔導書解読を依頼するシーン。これも依頼理由を話すハイターを目で追う凝ったカットになってるのは、フリーレンのハイターを知ろうという意思の現れだからだろう。

 存在感が薄いのは良いことって不思議系アピールするフェルン。自分の存在を不要と見なしてるからこんな台詞が出てくるのか。それに同意するフリーレンも、人との繋がりに半信半疑なのが私と同じ。似た者師弟。

 一番岩にフォーカス合わないのは目標(本当の気持ち)までの遠さで、フリーレンにとってはヒンメルなのでは。

 自分1人で生きるのに打ち込み過ぎは良くないけど、フェルンが必死になる理由が他人(ハイター)に報いるためと知って、同じ先立たれる側のフリーレンは彼女を応援する。

 ハイターとの離別でも、置いてかれるフェルンを思い、涙を堪えて叱責。ここもベタな展開だし演出も軽くしてあるのは、台詞を聴かせたいんだろうな。身近な人間の死を受け入れられる、一人前になった2人の魔法使い。

 ラストの墓前。2本目の酒瓶は、フェルンの分かここにいないアイゼンの分か手向けることの出来ないヒンメルの分かわからないけど、重要なのはフリーレンが他人の思いを背負えるようになったこと。

 先のシーンで2人の泣き顔を見せなかったのもここのさっぱりした別れに寄与してて、こっちのハイターの方を本来あるべきだった葬送としてひたすら明るくして、ヒンメルの葬式と対比してるんだろう。

 それで言うと、ヒンメルのキャラデザで最も特徴的な目。見た目も人格ものっぺりしてて引っ掛かりがないんだけど、瞳の輝きだけは50年後でも変わらず、ここに注力して作画してたと思う。相手を真っ直ぐに見つめるヒンメルに対し、眼鏡越しの視界を持つハイターの差が死に際の格好悪さで、だからヒンメルとフリーレンを繋ぐ役割も出来たってことなんだろうな。

 

蒼月草

 まだフリーレンより小さい頃のフェルン。長命種の時間の使い方にドン引きして、ここが1番2人の距離が開いた瞬間になるのかな。

 ここでもリアタイ時、混乱したのが、ここまで一貫してフリーレンを子供として描いてきたのに、フェルンの視点を通して急にフリーレンを大人側に立たせるんよね。共感の軸になるべき主人公にこんな距離の作られ方したら正直困る。

 見返してわかったのがヒンメル達はフリーレンを子供扱いしてくれる唯一の人々で、彼等との別れ(同じ長命種のアイゼンは特殊だけど)を経た今フリーレンは大人として見られるんだわ。

 おそらく作者の中では、“見た目は子供、頭脳は大人”っていうのがフリーレンの初期設定としてあって、今回でようやくそれを提示し終えたってことなんだろう。

 この話は展開がちょっと捻ってあって、使われなかった高級品を蒼月草の代用にしようとしたことから、餌に釣られた害獣のげっ歯類が主人公を導くキーマンとして、本来食されるはずの種の保存先へ案内し、当て所の無い彷徨に見えたものが裏打ちされた算段の下だったとわかる。これらの転換が、メインテーマの自分の中の他者という入れ子構造に収束する。

 何のために力を使うか。合理思考のフェルンの意見はかつてのフリーレン。

 フリーレンに去来するヒンメルの言葉は、ヒンメルの意思で、そこにフリーレンの期待は無かったわけだけど、今のフリーレンの中にはヒンメルの蒼月草の花を見せたいって思いがある。ヒンメルを願いを叶えさせたいフリーレンが、蒼月草をフリーレン自身に見せてあげる。

 ここも目線が効いてて、ヒンメルに暴言を吐くフェルンに片目で応えつつ、もう片方の目が蒼月草の在処を指し示すカット。

 異常な執着を示す程の理由を自身の内には持ち合わせていないけど、誰かとの思い出を大切にしたいという気持ちは共通していた。特異な力に頼ってでもそれを実現しようとしたのが、この師弟の絆。蒼月草を見るのに浮遊魔法を使っていて、魔法を選んだ「この目じゃなければ見えなかったもの」になってるのがニクい。

 かつてかけてくれた花冠を、今度はフリーレンがヒンメルにかけてあげるラスト。ハイターの別れと合わせて、大切な思い出の中に誰かの生きた証は刻まれていて、それを繋いでいく尊さを感じさせてくれるまとめ方だった。

 

誕生日

 これも展開自体はベタで目を引くわけじゃないけど、あの荒くれのスイーツ男子達はお子ちゃまの見た目で中身化物なフリーレンの仮託なんだろう。

 ここでフェルンの身長がフリーレンを越える。石積みの画、なにかと思ったけど積み重ねた年月と成長速度の比喩になってんのか。3段の方がフリーレンてことかな。石は、この後の石像へのブリッジにもなってる。

 あとここで言う、わからないから知るために行動するっていうのが、フリーレンの基本方針てことなんだろうな。

 

腐敗の賢老クヴァール

 不敗じゃなくて腐敗なのかよ。

 遂に少年漫画らしいアクション回だけど、多分世界観の提示がメイン。

 これ見よがしに門が出てくるが、人間の村(短命)は木で出来ていて、クヴァール(長命)の前は石造り。

 かつての天才の発明は、普及し過ぎて今や固有名さえ持たない。天才の技量は一瞬で80年の空白を埋めたけど、人と同じ時間を生きた魔法は更なる発明を経験し、名実共に過去の遺物として葬られる。フェルンも当たり前のように使える浮遊魔法にさえ驚くのが切ない。

 呆気なく終わったクヴァール戦に対して、今回のメインは麦わら小僧。ラストカットは意味深な石像に被せられた麦わら帽子。

 麦わら帽子もかつての発明で、発明者は忘れ去られてしまったものだが、人の生活に根差したそれは時を超えて生き残り続けている。石は腐敗せず形を保ちはするけど、信仰が失われれば其処に在るだけの石像はいずれ忘れ去られる。麦わら帽子を被る石像は、悠久の時を人と共に生きるフリーレンの象徴なのでは。

 わざわざこんな所でヒンメルの性欲を描いたのは、日常会話に「殺す」って台詞を入れ込みたかったんだろう。ヒンメルの葬式で「薄情」というフリーレンへの誹謗をハイターへの罵声で毒抜きしたように、この辺は作風もあるかもしれない。

 蒼月草の時と合わせると、この作品における魔法とは何かを表してる気もする。絶滅した蒼月草を探し歩く過程は人智の外に踏み出す行為であり、その旅の果てに価値の転換を経てあり得ないとされた奇跡を起こす。

 クヴァールの名と共に人を殺す魔法として恐れられたゾルトラークは、時と共にそれが基準の一般魔法となり、元あった属性は失われた。魔法という概念の書き換え、そこに挑む者達を魔法使いと呼ぶのではないだろうか。

 最早、書き換えるのではなく書き換えられた側だという事実を受け入れられないクヴァールは、腐敗の賢老ではなくゾルトラークに葬られる1匹の獣として最期を迎える。痕跡が抹消されゆく責め苦を味わわせた冷酷さはフリーレンの怒りか、あるいは魔法使いという業の生き物の性なのかもしれない。

 1つ気になるのは、フリーレンがゾルトラークでクヴァール撃ち抜いた際、地面がほがってその先にもう1つの世界が見えるんですが、これ浮遊大陸の話なんですか?海あったのに。深淵を覗いて知った真実ってこういうこと? 流石にあれやった以上、放りっぱなしは無いと思いますが、原作だともう明かされてるのかな。

 

新年祭

 新年祭全然人いねえじゃんと思ったけど、過疎化の進む限界集落で、それで労働力としてフリーレンが呼ばれたって設定だったな。忘れてた。

 私1人じゃ見れなかった日の出。自分1人で生きてる顔をしながら、実は嬉しそうにしている人を見るのが好き。フリーレン自身も知らないフリーレンをヒンメルは見抜いていたと。

 日の出っていうのも象徴的で、やはりエルフにとって時は硬い石のように止まって動かないものなんや。短命種の人間だから、1年の始まりを新生と捉え喜ぶことが出来る。

 そしてこれが、死者へ会いに行く旅を始めた年の幕開けにもなる。

 

フランメの手記

 墓石がグレードアップしてるのは、アイゼンの時間がもう人に近くなってる証か。だから送る側であるフリーレンの旅には同行しない。

 1話で時間が飛ぶ理由。50年は、魔王を倒した世界で救われないフリーレンのためにヒンメルがかけた時間。20年は、それに気付いたハイターがヒンメルとフリーレンを繋ぐためにかけた時間なんや。ここまで来てようやくわかったけど、1話でそれやられてもいきなりすぎてついていけんて。だったら2話の6年の描き方を根本的に変えても良かったけど、1話と同じなんよね。人物の成長過程がない。フリーレン時間てことなんやろうが。

 ヒンメルはお婆ちゃんみたいだったけど、ハイターとアイゼンはお節介おばさんだよな。これは完全に作風だろ。

 石造りの遺跡を守るは千年樹。頑ななフリーレンをここまで導いたのは、紛れもなく人の意思。

 そして葬送の旅が始まる。こう見ると、1話「冒険の終わり」と対になってる。

 フィナーレに相応しいエーラ流星の降る下、「旅を続ける」と言い放った仲間の存在で、ヒンメルは何も終わってないことを悟ってしまった。80年かけてお膳立てを整えてくれた仲間のおかげで、ようやくフリーレンの“終わらせる”旅が始まる。

 フランメの手記に関して、1000年前のフランメは魂の研究が進展すると予言した。が実際は、進むどころかフランメの研究成果さえ失われ、オレオールを封印するかの如く聳える魔王城。魔王がエンデに城を築いた理由もその辺か。

 天国、魔法、記憶、共生。これらをメインテーマとして話が進んでいくと。

 

総括

 魔王討伐後の50年。その間にヒンメルが遺した足跡を辿りながら、魂の眠る地に足を踏み入れ、自分が本当はどうしたいのかを問い直す、そういう話なんや。

 改めて見てみると、1話で全てのきっかけであるヒンメルの死、2話で視点のフェルンを投入してフリーレンのキャラクター描写、3話で理の外に生きる魔法使いという存在を説明し、4話で本筋の魂の眠る地を目指す旅を始めると、この4話で作品の世界観を説明しきる考えられた構成ではある。

 だが、わかりづらいやろ。まずフリーレンがわからん。大人なのか子供なのか、人間側なのか人外側なのか、どういうスタンスでコイツと付き合っていけばいいかわからん。ただそれは、よく見れば意識してマージナルな位置に置いてあるのがわかるし、こういう主人公の型っていうのが現代の物語たる所以なのかもしれん。そこは、フリーレン自身が言うように、“わからないから知って確かめる”しかないと思う。

 かと言って、主人公以外のキャラクターも最初から完成されてるというか、不安定さがないのでエピソードの意外性も低い。蒼月草や腐敗の賢老クヴァール等、魔法が絡む話は“転換”がキーになるためか捻ってあるが、基本的にはベタな話をそれもさっぱり見せる。話題性重視の奇を衒った展開ばかりもどうかだが、一見してキャラクターもストーリーも引きが弱いと、こちらとしては重心の置き所がわからない。まあこれも、ド派手なシーンを敢えて回想ですっ飛ばしてる辺り、意識して作品のトーンを“葬送の旅”っていう低調に保ってるんやろう。

 振り返って見れば台詞や演出の意図を解釈する余地もあって見応えは増してくるんやけど、ただそうするための大枠の提示が遅いんよ。物語が始まるの4話やんか。こういう大枠を踏まえた上でのストーリーの作りって小説媒体ならよくある仕様で、TVアニメ(週刊連載)でこのテンポ感はなかなか出せん。なんか全体的にフリーレン時間なんよな。アフタヌーンならまだわかるが、スピードの速い現代によくサンデーでこれがヒットしたわ。

 まとめると、確かに良質な作画に腰を据えた演出でクオリティは高い。魔法の概念や他者との共生というテーマ、魔王が何を目論んだかやヒンメルの魂と再会した時フリーレンが下す決断等、ストーリー的に興味を惹かれる部分もある。ただ、キャラクター性やエピソードの作り的に最大風速が出るタイプじゃなさそうなので、俺は普段のリアタイ実況じゃなく、配信でじっくり向き合いたい作品かなっていう感じです。

 

 

ひろプリ29話 自分用感想メモ

 

 先日見た『ひろがるスカイ!プリキュア』第29話「ソラと、忘れられたぬいぐるみ」。

 初見ではちょっとわかりにくい内容だったので、自分用に流れを整理して感想をまとめておきます。

冒頭
  • マロンの依頼とソラの拒絶

 廃洋館に迷い込んだソラに、マロンはここから連れ出してとお願いするが、喋るぬいぐるみを受け入れられないソラは、マロンの依頼を拒絶。

序盤
  • ソラに拒絶され、引きこもるマロン

 ポルターガイストを利用して引きこもるマロンを、エルが解放。以降、周囲は完全に取り巻き状態。

  • マロンの依頼を引き受けるソラ

 自身の恐怖よりヒーローとしての使命を優先して依頼を引き受けるが、この時点ではまだマロンの存在を受け入れられていない。

  • ましろ「ぬいぐるみっていいものだよ」

 ましろからぬいぐるみは“初めての友達”と説明され、ましろの存在を介してソラはマロンに理解を示す。

中盤
  • 夢の中の邂逅

 夢の中でソラは、マロンの記憶を追体験する。ぬいぐるみと過ごす幼少期を知ったソラは、マロンとずっと一緒にいると言うが。

  • マロンの別れ

 永遠などないと知るマロンは、ソラを拒絶。廃洋館で持ち主を待つと告げ、ソラの元から去る。

  • 廃洋館の戦闘

 廃洋館に閉じ込められるソラ(+その他)を、マロンが救出。ソラは、マロンの手を取って廃洋館から連れ出す。

終盤
  • 持ち主と再会

 マロンは持ち主と念願の再会を果たすが、互いに向き合う勇気が出ない。マロンの名前ここで判明。

  • マロンの心を代弁するソラ

 勇気が出ないマロンの代わりに、気持ちを代弁して仲を取り持つソラ。「ずっと待ってた」。

  • 別れの言葉

 持ち主の元へ帰るマロンが、ソラにだけ聞こえる「ありがとう」を送る。ソラは寂しさを振り切って、マロンに笑顔で手を振る。

ラスト
  • ソラ「ぬいぐるみっていいですね」

 マロンを見送り、傍らのましろ(+その他)と並んで立つソラのその視線の先には、広がる晴れ渡る空。

感想

 ハナから孤独だったソラには、ぬいぐるみとの思い出(=友達との別れ)が理解出来ないって見せ方は面白かった。ぬいぐるみが喋る明らかに異常事態を周りに普通に受け入れさせることで、ホラー表現による異化効果を、みなが通る経験をしてないソラの異常性に転化させてる。

 ぬいぐるみとの思い出を擬似体験したソラは、ここで持ち主の少女と同じ次元に立つ。けどその先の別れを経験してるマロンには、ソラの言葉は届かない。あの子のことを待つってのはソラを突き放すための嘘よね。洋館ランボーグは心を閉ざしたマロンの象徴。

 でも本当は1人は寂しいって心がキュアスカイを助け、延いてはソラを洋館に呼び寄せた。ヒーローとしてではなく友達として手を取ってくれたソラに背中を押され、別れが来るとわかっていても今一緒にいたいという本音に正直に、時間の止まった洋館から出る決意をする。

 持ち主はともかくマロンに勇気が出ないのは、いずれまた終わりが来るとわかってるからで。そこに声充てって嘘で、仮初めの永遠を肯定するのがニクい。声充ては自身の内面と向き合う行為でもあって、ヒーローとして抑えてた涙が友達の言葉に一瞬溢れる。

 ソラだけがマロンの声を聴けたのは、ぬいぐるみを卒業した3人に対し、ソラが“ロマン”を追い続けてるからだと思う。開け放った窓を風が吹き抜ける度、ソラは大人の階段を上っていく。マロンが聴かせた声を受け止めるヒーローこそ、ソラの目指す“ロマン”になるんだろう。

考察

 メタ的には、「友達」のラストカットや出会い~別れの時間軸が、来るましろとの別れを連想させる。別れを受け入れつつ永遠を信じたマロンのように、無限に広がる空の可能性を信じてソラシド市の友達を思い出にする時が、ソラにも来るのかもしれない。

 こうして見ると、幼少期の人形遊びとヒーローの孤独を絡めて、憧れに向かって走り続けるソラというキャラクターの物語に仕上がってるかもしれない。なんか『ひろプリ』こういう、初め取っ付きづらいけど噛んでる内に味がわかってくるスルメみたいな話多い気がする。

 

 

シトリの問いとウィステリアの答え アニメ『ノケモノたちの夜』第十二夜「記憶の旅路」 感想記事

 

※投稿が遅れましたが、この記事は第十三夜を見る前に書き始めたものなので、今からすると最終回の台詞があるなら「記憶の旅路」をここまで深掘りしなくても良かったかなとも思います。

 

 この「記憶の旅路」はミステリー仕立て。なるほど、だからホームズ出してきたわけか。

 初めはシトリの言葉を額面通りに受け取ったけど、ウィステリアを嵌めるのが目的なんだから、この世界自体が嘘って考えた方がいいよな。

 憎悪を増大させる存在として生み出された悪魔の本分に、「信頼」で3人が打ち勝つ展開と。

 

 最初の罠がウィステリアの記憶って説明で、この憎悪の世界をウィステリア自身の心と認めさせることで、堕落させようとした。

 けど、お前は世界一綺麗だ、というスノウの愛で、この世界が自分1人のものじゃないと気付く。

 ただ剣十字騎士団となった今のスノウに、ノケモノのウィステリアは会うことができない。

 

 大人になれたのは生き延びる術を覚えたってことかもしれないけど、憎悪を見つめて跳ね返す精神的な力の現れでもある。と思う。
 そこに第2の罠マルバスの存在で揺さぶりがかかるけど、見えないところでも信頼し合っている2人の闘志は揺るがず、スノウに対する信頼も相俟って、マルバスは堪え忍ぶ戦いを続ける。

 

 そして最後の罠。

 ウィステリアのために全てを捧げた末、魔に堕したスノウを切り捨てるか。

 あるいはマルバスとの絆を断ち切って、スノウと永遠に寄り添い続けるか。

 どちらを選んでもスノウは賭けに敗れ、ウィステリア共々身心を掌握される。

 スノウの解放=限定解臨の解除から目を背けさせるシトリの狡猾さ。

 

 このスノウの過去、真実なのかな?

 まあここはウィステリアがスノウの心の中の憎悪を受け止めて最後まで信じられるかが焦点だから、ウィステリアに縛られて地獄見た事実を突きつけられる展開は納得だし、多分そうなんだろうけど、剣十字騎士団の処遇ががやけに甘かったり、個人的にはなんかしっくり来ない。

 

 幸い客観的な事象は何もないので、ここは敢えてスノウの過去はデタラメという解釈を取ってみる。

 その場合、

  • スノウの過去で個人的に最も違和感があった悪魔との契約。
  • そして疑惑の端緒となった明らかウィステリアと重ねられたスノウの描写。

 この辺にシトリが嘘をついた思惑があるのでは?と勘繰ってみる。

 

 境遇が逆転した世界で、救い主のウィステリアに襲い掛かるスノウの図から、

  • 悪魔の使役は持たざる者の怨嗟であり、マルバスと契約したウィステリアも同様。
  • ノケモノにとって本質的な敵である持てる者と手を取り合うのは綺麗事

 悪魔と絆を結ぶウィステリアに、シトリはこれらの問をぶつけたかったのでは。

 

 このシトリの問いに、ウィステリアの出した答えが、

  • 憎悪渦巻く世界にも信じられる暖かさはあり、
  • マルバスとの契約は、破壊の力ではなく共に歩く道連れを求めて

 目を差し出したのは、自分の知る世界の美しさをマルバスにも見て欲しいからで、それ自体が憎悪の化身=悪魔の巣食う世界に向けた祈りに他ならない。

 

 ウィステリアの瞳が価値を持つのは、彼女を愛する存在があり、彼女自身そこに映る美しさを信じているから。

 たとえ自分は光を失いノケモノとなっても、その瞳を預けたマルバスが夜を照らしてくれる。

 残酷な世界に見切りをつけ引きこもったシトリに、他者を信じ続けたウィステリアが打ち勝つ見事なラスト。

 

 本作の最大の魅力って、悪魔と契約してノケモノとなった人々が、それでも精一杯生きてることよね。

 なんだかんだで、憎悪に囚われて道を見失ってる契約者って1人もいなくて、みんな自分の生を全力で肯定してる。みんな好き。

 そういった作品の主人公が、悲撃のヒロインではなく世界を信じて他者と向き合い続けてるっていうのはテーマと合致してて改めて感嘆する。

 

ぶん投げてるようで勘所は外さない、最高に『ドンブラザーズ』だった最終回 『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』最終回感想記事

 

 

 先日、スーパー戦隊シリーズ第46作『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』が、遂に最終回を迎えました。

 毎週のように話題を提供するぶっ飛んだ作風ながら、作品の地力のみで自分含めスーパー戦隊にそこまで思い入れがあるわけでないファン層をも取り込み、一年を通してニチアサを盛り上げ続けた『ドンブラザーズ』。

 その最終回は、主人公・桃井タロウの名台詞「縁が出来たな」で締め括るという、堂々のグランドフィナーレを飾ったように思います。

 ですが、オチとしては満足だったものの、クライマックスの展開、実は自分としてはちょっとよくわからなかったんですよね。あの漫画を読んで覚醒する辺り。

 それで丸1日反芻し、どういうことか考え続けた結果ようやく腑に落ち、理解してみればこれ以上ない完璧なラストだと感服したので、その感動をここに綴りたいと思います。

 

 名前からして、タロウの後継者と一目瞭然のジロウ。

 本来は、獣人を封印するための人身御供という、ドン王家の負の面を担うための存在だったのが、タロウがドン家の罪を清算したことで解放され、またジロウ自身、孤高の存在としてのヒーローを受け入れたことで、名実ともにタロウの代わりが出来る存在へと成長する。

 ドン王家が獣人という過ちを犯したのは、脳人と人類の共生を願ったから。

 人類の管理者という脳人の立場から、ドンブラザーズの一員として人類と肩を並べて戦うようになったソノイ・ソノニ・ソノザは、まさにドン王家の理想を継ぐ存在。

 この時点で、ドンモモタロウとしてドンブラザーズを率いて戦う理由はもう達成されてるのよね。今までのタロウを形作ってきた使命が消滅し、タロウは存在意義を失う。こっからは、個人としてのタロウが問われることになる。

 

 ドンモモタロウとしての使命を失ったタロウは、これまで率いてきたお供達に会いに行く。

 「ドンブラザーズ」の特徴として、お供達は望んでヒーローになったわけじゃなく、サングラスが勝手に選んだ謂わば“巻き込まれ”なのよね。

 そのデメリットを最も被ったのが鬼頭はるかで、オニシスターとなったがために椎名ナオキの介入を受け、順風満帆の漫画家人生を失った。

 だが、過去の業績は否定されても、漫画家としてのペンを折られたわけではない。現実の「人間が好きにな」り、上辺を取り繕うことをやめた今のはるかは、自分の信じる“面白い”ものを漫画に起こせる。

 だから、世界を広げてくれたドンブラザーズの経験に後悔はない。それに、ちょっとくらい欠点があった方が、完璧な人間より「可愛い」と笑った。

 流れる雲のような捉え処のない生き方を理想とし、必要以上に他人と交わらない、経済的な繋がりをもたらす金(¥エン)を持たない(持てない)ことが象徴的な猿原真一。

 しかし、彼にはナルシシズムや女好きといった世捨人になりきれない俗っぽさがあり、だが、それこそが困っている人間を見捨てられない教授の善性でもある。それが結実したのが、タロウ不在のドンブラザーズを勝利に導いたドン48話「9にんのドンブラ」。

 それを教えてくれたドンブラザーズに後悔はないと、教授も言った。

 

 獣人に奪われた恋人、夏美を取り戻す。その一念でアウトローの世界を生きてきた犬塚翼だったが、獣人との戦いを終わらせ夏美を解放したものの、彼女は犬塚の元を去った。

 恋人を失う辛さが誰よりもわかる犬塚は、これまでもカップルを応援してたし、何より夏美を失う直接の原因になったソノニへの情けは、愛に殉じた彼女を見捨てておけなかったから。

 これからも愛し合う者達のため、ドンブラザーズとして戦い続けると犬塚は誓った。

 そして雉野つよし…。ドンブラザーズきっての、どころか歴代のスーパー戦隊でも屈指の問題児だけど、いい歳こいてニチアサを楽しみにしてる限界中年男性の一人としては、コイツのことを責められないのよな。

 雉野があそこまでみほちゃんに執着したのは、僕には何もないという強烈な卑小感ゆえ。仕事でも成果を出せず上司からいびられ、ドンブラザーズでも足を引っ張り年下から軽んじられる。どこにいても居場所を確立できない。

 そんな自分が唯一いてもいいと思える場所がみほちゃんだったのに、それすらも失った。雉野にとっては悪夢のような一年だったはず。

 それでも、ドンブラザーズの一員としてヒーローを続けてる自分に、今では誇りが持てた。お荷物扱いでも構わない。弱くても、戦う意思がある自分は何もなくなんかない。この最年長の受け止め方、泣く…。

 それぞれ少なからず不幸を背負ったはずのお供達は、誰もドンブラザーズになったことを後悔していなかった。

 

 本当「最強の敵」という位置付けのためだけに現れたソノナ・ソノヤ。

 ソノイ・ソノニ・ソノザでは太刀打ち出来ず、ジロウ、ドンブラザーズそしてムラサメと続々と仲間が駆けつけて一瞬盛り返すシーンは、ソノイの台詞から始まってめちゃくちゃ胸熱。

 

 で、その裏で漫画読んでるタロウのシュールな画ね。ここのフラッシュバックがリアタイ時しっくりこなかった。内容はドン12話「つきはウソつき」の月に関する台詞とドン18話「ジョーズないっぽん」のカブトムシのギイちゃん。

 月を嘘つきの象徴として、「つきはウソつき」では自称アイドルから本物のアイドルになった吉良きららと重ねたけど、この場合重要なのは、対極にある真実しか告げない太陽=タロウということ。ドンモモタロウであるタロウの正義は、眩しすぎて人々から遠ざけられてきた。そのタロウも、きららの姿から人々に愛される美しい嘘を学んだ。

 ギイちゃんは、孤独な少年期を過ごしたタロウ唯一の友人(カブトムシ)で、ギイちゃんを思い起こしたタロウは、子供のように弱々しく、お供達でも簡単に打ち負かせそうな、無敵とは程遠い姿だった。タロウにもそんな、奇跡を願ってしまうくらいに不幸を覚えた、“普通”の人と同じ脆さがあったのだ。そしてそれこそ、タロウの知りたかった“答え”。

 薄れゆく記憶の中、主観と客観が入り交じった時間で織り成される悲喜こもごも。まさに、完全無欠でありながら不完全な人々と共にあることを望んだ、ドンモモタロウの物語なんだよな、この漫画。そこに、求め続けた真実が現出するという。

 自己が何者であるかを取り戻したタロウは、ドンモモタロウ最後の仕事を果たしに行く。

 

 そしてピンチに神輿で登場して、お供達に「名乗り」を要求するのよ‼️

 上述のように、“巻き込まれ”のドンブラザーズ。延いては不完全なヒーローだったドンドラゴクウ/トラボルタ。元老院の下僕だったソノイ・ソノニ・ソノザ。最後までよくわかんないムラサメ。誰一人として、生まれながらのヒーローはいない。

 皆、ドンモモタロウという太陽の光を受けて、ヒーローという輝きを放とうとした月なのよ。

 でも、だからこそ「名乗り」が必要。周囲にどう言われようと関係ない。悪戦苦闘しながらも、自らがヒーローたらんという意思こそが、彼等のヒーロー性の本質であり、その証明が「名乗り」という強烈な自己肯定。

 その1年間を見てきた我々からすれば、これこそ“美しい嘘”そのものなのよね。

ここアイドルと掛けてきたところも、個人的にはグッと来る。

 

 じゃあタロウはどうなのか。

 哀れな人造生命体・獣人を生み出し、イデオンを壊滅させるという大罪を犯したドン王家の末裔。そしてそれが、親友ソノイとの血で血を洗う決闘にも繋がった。

 また、亡命先に送られた所変われば品変わる異郷の地では迫害され、孤独な人生を余儀なくされた。それでも、人とわかり合えることを信じて決して拳は振るわずに。

 人の幸せに寄与出来ることを願うタロウにとって、その血筋そのものを恨まれ、周囲と打ち解ける上で否が応にも障害として付き纏うドン王家の出自は、忌まわしきもののはずだ。

 自分じゃどうすることも出来ないそれに、「然り」と宣う。他に類を見ない特異な生まれ。だからこそ紡ぐことの出来た数々の縁を、ドンモモタロウとして全力で肯定する。それが「桃から生まれた」。

 ここが漫画では空欄になってるのが、タロウの自己肯定のニュアンスを強調してる。最後の一筆っていうのが、まさに画竜点睛。

 

 はるかの描いた『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』を読んでこのシーン、最後の台詞を自分で言うっていうのが、ドンモモタロウとしての人生を完結させた感。

 お供達を立ち直らせた後は、誰も追いつけない速さで敵を斬り裂き、彼方へと消えていく。月が本当の輝きを放つ夜には、眩しすぎる太陽は要らない。最強のヒーローの去り際として相応しすぎる。

 この後、タロウがどうなったのか。ギイちゃんの件は、それを示してたのね。

 再び漫画家となったはるかの元に現れる、初めましてな、でもよく見知ってる

桃井タロウ。「縁が出来たな」。

 流石にこのままタロウはいなくなった、じゃ一年間見てきた視聴者は寂しすぎる。今まで積み重ねた時間は、赤の他人というにはあまりにも濃い関係なわけで、記憶を無くした来世でも、再び出会うくらいの縁はあって然るべき。他ならぬタロウが、他人との縁を求めているのだから。

 

 太陽=ドンモモタロウであるタロウには、真実だけが価値を持ち、現実にしか興味がなかった。それゆえ、現状を肯定出来ない人々が求める夢=幸せがわからなかった。

 だが、漫画という虚構の中に世界の面白さを描こうとした鬼頭はるか、空想に耽溺しながら人の中に生きることを決めた猿原真一、人生を賭した程の恋人を思い出へと変じ得た犬塚翼、夢の新婚生活から醒めて後もその続きを生きている雉野つよし。

 4人のお供達を引き連れて紡いだ縁が導いたのは、現実にない光を求めて見る夢にはその人自身が放つ耀きがあり、その美しさこそ幸せである。人を幸せにするため必要なのは、最強の力=ドンモモタロウではなく、タロウ自身の弱さ=孤独と向き合うこと。という真実だった。

 求めていた答えは初めから自分の内にあったという展開が、1話の出会いと重なるラストシーンとも呼応しており、「縁」が「円」にも通ずる。幸せ配達人・桃井タロウと新人漫画家・鬼頭はるかは「お供達」ではなく、「お友達」の関係になれるのではないだろうか。

 それでいて、この作品が繰り返して訴えてきたことの延長線にもあり、ラストシーンの説得力にそのまま繋がるあまりに美しい締め方。夢の楽園はこの世の縁にあった。

 『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』、一年間見てきて本当に良かったと思える、素晴らしい作品でした。

 

 

 

2022年深夜アニメ 私的総括13選

 

 2022年もアニメを見るくらいしかやってこなかったので、年の瀬にそれらを振り返っていこうかと思います。格闘技見る代わりにこれ書いてるので、更新は年跨ぐかも。

 尚、選出理由は完全に僕の独断と偏見によるもので、該当作以外にも評価すべきアニメはたくさんありました。アニメは多い。また配置も順位とかではなく、意味はありません。

 それでは早速。

 

パリピ孔明

 正直タイトルとパリピ眼鏡かける孔明見た時は完全に色物だと思ってたんだけど、これ売れるべくして売れた作品だったわ。孔明現代日本の音楽業界に殴り込みっていう大嘘が1個あるわけだけど、それはそれとしてキャラクターが強いんだよね。

 主人公英子は孔明が後押ししたくなるタイプの純粋美少女で、CVはこの手のキャラクターやらせたら今1番の本渡楓。ラッパーのKABEがいることでフリースタイルを使った対決の構図も作りやすいし、成り上がりモノとの相性もいい。そしてライバルポジションに置いたななみんとの英子の百合関係に帰着させる。

 そうやって話に引き込んだら、奇策で逆転っていう鉄板の面白さで勝負出来る。そこも孔明だから説得力あるし(笑)。胸熱シーンをavex全面バックの音楽が盛り上げてくれる。ここ実際の曲を聴きたいかどうかは個人差出ると思うけど、作品のトーンが示されてて俺は良いと思った。

 逆転劇のリアリティもロジックがちゃんと担保してあって、漫画の嘘を納得させる力がめちゃくちゃ凄い。最後はトンデモ設定に対しても、テーマとして応答して見せる。漫画の巧さによって最後まで“楽しい”が続く、本当に痛快なアニメだった。

 

『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』

 今期オリジナルアニメで1番面白かったんじゃないかな。キャラクターデザインが『ヤマノススメ』の松尾祐輔氏で、『ヤマノススメ』が好きな人はこっちも絶対ハマるはず。

 フォーマットとしては美少女部活モノで、ある意味王道なんだけど、ちょっとずつユニークさが乗せてあって、この作品にしかない味が出てる。それが本作のテーマであるDIYにも通ずるんよね。

 オリジナルアニメとしては、世界観提示が抜群に上手い。パステルカラーのような背景に柔らかなキャラクター(なんせ男は部長のパパくらいしか出ない)、バスに乗って先に行くぷりんとチャリを漕いでいくせるふの対比等々、やりたいことが一発でわかるよう、色調からプロップから画面が完全にコントロールされてる。

 昨今はハイカロリーなアニメの方が「神作画‼️」っつって持て囃される傾向あるし、確かにそれはそれで凄いんだけど、こういう引き算の美しさを見てる方が俺は圧倒されるな。

 

『ちみも』

 地獄から来た地獄さんが鬼神家の3姉妹の元へ居候する、『邪神ちゃんドロップキック』みたいな同居モノ。永遠に見てたいアニメNo.1。

 俺の1番好きな男性声優が諏訪部順一氏なんだけど、その氏が演じる人のいい地獄からの使者が、「○○地獄じゃ」って人間界の世知辛さに振り回される。これだけ聞いてもほのぼの感が伝わると思う。

 この可愛らしい絵柄とちみもの存在でテイストはわかるけど、明らかに湘南辺りのロケーションとか、3姉妹のキャラクターを活かしたネタも毎回メルヘンてよりシュールで笑えるし、キャラクターへの愛着で最後はクライマックス作ってくるのも、アニメとしてはめちゃくちゃよく出来てるんよね。

 深夜アニメ視聴者ではあるけど、こういう家族で見れるちゃんとしたアニメはもっとあって欲しい。

 

『まちカドまぞく 2丁目』

 きららアニメもう1本あったし、鬼頭明里は『BIRDIE WING -Golf Girls' Story-』の方挙げようかなと思ったけど、タイトル回収の『まぞく2丁目』は挙げざるを得なかった。

 1期から新キャラも増えたし、魔法少女組が隣家に越してくる他作品じゃ見たことないパワープレイから、まともに見えたミカンが柑橘狂いだったことが判明し、わちゃわちゃ感が一層増したけど、詰め込まれたネタの中に本筋の伏線がちゃんと仕込んであったんだよな。伏線回収ってやっぱアガるよね。

 しかも桃の闇堕ちっていう定番だけどまさかの展開から、桜さん公認のシャミ桃。1期はどちらかと言うと桃に振り回されるシャミ子の関係だったけど、桃を救えるのはシャミ子だけで、色んな人達の優しい世界を望む祈りがシャミ子を生かし、今の多魔市が出来上がったことを考えるとオタクは目汁が止まりません。

 シャミ桃は完全に本筋だったけど、2丁目としては労働に始まり労働に終わる物語。正直オタクには辛い締めだったけど(笑)、構成の巧さは認める。

 

『ビルディバイド -#FFFFFF-』

 1期正直そこまで期待されてなかったところから大化けして盛り上がった『ビルディバイド』2期はまさかの百合ディバイド(笑)。本当この作品、オタクの心を掴むのが上手い。

 申し訳ないけどゲームのルールはさっぱりなんだが、それでも面白かったから作劇がやっぱ神懸かってるんだよな。王道の胸熱展開を外さずやってくれるし、TCGじゃなかなか見ないタッグバトルで百合ディバイドとして完成した。

 百合アニメって単に美少女と美少女くっつけて置いとけばいいって話じゃなくて、2人が物語の中で互いに単なる友人や異性を超えた感情を抱く過程を見たいんだよこっちは。本作はちゃんとそこに応えてくれたし、それが胸熱のブーストにもなってる。他も見習って欲しい。

 ビルディバイドちゃんやカード教授等、1期の人気キャラにもちゃんと見せ場が回ってきて最後まで楽しませてくれたし、1期2期含めたシリーズ構成として本当に良くできてたのよね。この手のタイアップアニメでも、2クールでちゃんと面白いストーリー作れるってことを見せつけてくれたわ。

 

モブサイコ100 Ⅲ』

 1期2期共に好評を博した『モブサイコ100』アニメシリーズの集大成。モブと周りのキャラクター達が築いてきた関係性の総決算。

 サイコヘルメット教との関係で超能力バトルを存分に描きつつ、モブが本当に求めてるものを提示し、脳感電波部の地に足の着いた物語の中で、決して諦めではない現実との折り合いの付け方を解答する。原作の強みを製作陣が本当によく理解し、ちゃんとそのための映像表現としてアニメが作られてるのよね。

 そして暴走する自意識との対話から100%、一人前の存在へ。『モブサイコ』ってずっとこのテーマを問い続けてて、ここまで積み重ねてきた物語から1つ1つ答えを導いていって最後ここに至る。ONE先生のストーリー運びの巧さシビれるわ。

 そして師匠よ。『僕のヒーローアカデミア』でも死柄木の覚醒があったけど、やってることは『AKIRA』の鉄雄とか超能力を扱う作品の王道ネタなんだけど、『モブサイコ』が独特な味わい持ってるのはそこに霊幻がいるからなんよね。だから最後に霊幻と対話するのは必然で。図らずも中の人と被ったけど、霊幻の告白涙なしでは見れなかったわ。

 

かぐや様は告らせたい -ウルトラロマンティック-』

 ウルトラロマンティック‼️ 2期で最早恋愛頭脳戦の体を為しておらず単にイチャついとるだけやんけと思って、これがこのまま続くんかなと思ってたら、3期決めてきたぜ漢白銀。正直この作品でここまで感動させられるとは思ってなかった。

 そうよね。最初からナレーションが入ってるから、2人の恋の始まりについては言及されてなかったわけや。コメディならそれでいいけど、ラブストーリーをやるなら必須のそれをこの3期で切ってきた。この辺の緩急の付け方がやっぱ漫画をわかってる作者だよな。

 アルセーヌの仕掛け、かぐやだけじゃなく観客をも欺いて見せたとは、天晴れな頭脳犯だわ。本日の勝敗は、白銀御幸の完勝です。そしてタイトル回収よね。このラノベ風のくだけたタイトルにちゃんとドラマを作って、それをこの大一番で回収。ようここまで引っ張ったな。

 そもそも恋愛っていうのが、脳の起こす錯覚に振り回される行為そのもので、全身全霊でバカをやることそのものが、今回の白銀の告白に完璧に応答してる。人事を尽くして万難を排し、あり得ない熱量で奇跡を実現する。物語とテーマのマッチの仕方がもうまさにウルトラロマンティック。

 

鬼滅の刃 遊郭編』

 ここで『鬼滅の刃』挙げるのもあれだけど、やっぱめっちゃ面白かった。もちろん『無限列車編』を含めて。ヒノカミ神楽を使うだけあって、熱さで言ったらNo.1やったな。

 ハイテンポで進んでくのに、エモーションはちゃんと乗るんだよな。『無限列車編』の敗戦を挟んでることで炭治郎達の悔しさにも感情乗るし、煉獄さんとの対比でどっちかと言うとキャラの薄い宇随さんも掴める。

 花魁vs忍者ってコテコテやなと思ったけど、煉獄さんより弱い宇随さんがブラフを織り混ぜて妓夫太郎に太刀打ちするの忍の戦い方でアガるし、成長した炭治郎達の助力で遂に上弦の鬼倒すの燃える。

 上記の構図がバチバチに決まってる面白さもあるんだけど、ufoに関しては絵の強さにも言及する必要ある。宇随さんと妓夫太郎の斬り合い速すぎて何やってるかは見えないんだけど、迫力は伝わってくる。そうした高速戦闘も見せておきながら、最後の最後は気合の筆。これ以上の戦闘を描けるスタジオないんじゃないの?この後の戦いどうすんの?

 後先考えず最短距離を全速力で突っ走ってる感じが『鬼滅』の魅力だし、それはアニメにも落とし込まれてるなとひしひしと感じた

 

『明日ちゃんのセーラー服』

 2022年最も衝撃を与えたアニメは本作と言っていいと思う。まずタイトル。どういう意味かと思ったけど、フェティッシュ全開で行くんでよろしくっていう宣戦布告だなこれ。

 10代の少女が持つ輝きを表現する、その1点に供するために作品が出来上がってる。並みの映像化なら可もなく不可もない作品になってただろうけど、原作意図を理解する製作陣が映像表現にそのフェティッシュを落とし込んだ。

 ただ表現としては攻めまくってるんだけど、物語自体はものすごく丁寧に描写してるのよね。原色天然素材の明日ちゃんが出逢う、これもみな色々な輝きを秘めた少女達とのエピソード。それらが全て、妹と2人きりだった小学校時代には思いも寄らなかった景色。

 美少女アニメとは逆に、解像度を高めきることで明日ちゃんというフィクションの住まう優しい世界を現出させる、今まで見たことなかったタイプのアニメ。

 

『であいもん』

 前年の『スーパーカブ』に続く朝ドラ深夜アニメ。京都の和菓子屋を舞台に、夢に挫折して出戻った息子と失踪した親の帰りを待つ娘という、題材としてはベタっちゃベタなんだけど、二次元だから出せるバランス感で丁寧に映像化された名作。

 リアルタッチな作風でテーマが喪失というのもあり暗くなりそうなところを、島﨑信長氏演じる主人公和のキャラクター性が暖かい関係性に落とし込んで、出てくる人みんな好きになるのよね。一果ちゃんもすごく可愛い。

 毎回のエピソードも、視点の置き場所を絶妙に変えることで、失ったものを時間が埋めてくれる美しいシナリオ。色彩を調整された画面の中で、なにより美味しそうな季節を彩る和菓子が、その変化を印象付ける大人の演出。

 『ハコヅメ』もそうだったけど、こういう実写でも行ける題材をアニメに落とし込んだ時の空気感でしか、表現できない良さってあるよね。本当万人に勧めたい作品。

 

平家物語

 当代最も優れた現役アニメ監督の1人である山田尚子の新作は、やはり名作だった。古典を題材に、視聴者と登場人物を媒介するオリジナルキャラクターを嵌め込むことで、叙事詩をキャラクターが主体の物語へと翻案してる。これこそ教科書に載るレベル。

 キャラクターという視点では維盛の描き方が絶妙で、びわの維盛を見る目線というのが本作『平家物語』が平家への鎮魂になってるのよね。ここまで維盛に切なさを見出だした造形見たことない。

 また、本作のもう1人の主人公徳子の生き様の強さっていうのも本作ならではじゃないか。現代からしか見えないこういった主題を盛り込むことで、中世の仏教的厭世感に基づいた作品が普遍性を有した人間讃歌になる。これが表現なんよ。

 古典の人物像をここまで立体的に浮かび上がらせる、これだけで十分名作。長い時間軸の中で深みのあるキャラクターを演じたキャスト陣は見事で、特に資盛役の岡本信彦氏の渋い演技は素晴らしかった。

 とは言え、大河ドラマを1クールアニメでやろうと思ったら、下手なアニメだと事柄の羅列でだらっとしがちだと思うんだけど、監督の映像作家としての音楽的センスが抜群で、史実をなぞるカットの繋ぎが心情描写として機能する映画的な演出に転化されてる。キャラクターを軸にした物語として見ることが出来るから、話がダレない。

 映像、音楽、全てが物語へと寄与し、ラストシーンの祝福へと昇華される、総合芸術としてのアニメの完成形を見た気がした。羊文学の「光るとき」が流れるOP、最終回まで見るとこれ以上この作品に相応しいものないわ。

 

メイドインアビス 烈日の黄金郷』

 個人的に、2010年代の深夜アニメ最高傑作は『メイドインアビス』だと思ってるんだけど、2期はそれ以上だったわ。『深き魂の黎明』で宗教色出てきたなと思ったら、『烈日の黄金郷』これやってること神話の再演じゃん。とんでもねえな。

 深部に向かって比較的単線的に進んでた1期の物語に対して、2期は共同体を介した重層的な物語構造を取ってるのよね。つくし卿こういうストーリーも紡げるのか。かつて憧れを手放してしまった三賢と同じ意思を持った3人の子供が、三賢のかけた呪縛から姫を解き放ち少女に餞を送る。

 筋金入りのろくでなしボンドルドがプルシュカに愛を教えたように、今作でも悪人はいないんだよな。一応諸悪の根源(笑)はいるけど、ワズキャンにしろ“やるだけやった”だけで、そうしなければ終わっていたわけだから間違っちゃいない。普通はやれないけど。この二面性は今作かなり重視されてて、だから最後わざわざ感動的なシーンにジュロイモーの台詞を嵌める。

 作劇上ヴエコがその役割だったけど、今作は声に重きが置かれてた。悲鳴のシーンも多かったけど、声優さんの特に久野美咲さんの演技は圧巻だった。そもそもが1人2役だったし、少女であり、姫であり、無垢であり、暴虐であり、娘であり、母であり、直観したり、混乱したり、その間を激しく揺れ動くファプタを見事に演じきってて、これは今の久野美咲さんしか出来なかったアニメで、その意味でも奇跡を目撃してる感が凄かった。

 確かに、わざわざイルミューイに感情移入させる描写をたっぷり取った後でひどい目に遭わせたり、ただじゃ帰れない思いはすることになるけど、とにかくなんか凄えものを見てる‼️ってなる稀少な体験をアニメで出来ることなんてそうそうないので、この作品と同時代に生きれたことに感謝。

 

『ぼっち・ざ・ろっく!』

 説明不要の今年大ヒットアニメ。同じきららで言えば、俺は『けいおん!』の方が好みで、『ぼっち・ざ・ろっく!』の作風は写実的すぎるんだけど、この面白さは認めざるを得ない。『けいおん!』『ゆるキャン△』て社会現象級のヒット作を生み出してきたきららアニメがまた1つ伝説を築いた

 コミュ障の傾向として、自意識と向き合い続けた結果大きくなりすぎ傷つきやすくなったプライドと、そこから来る自意識過剰ってのがあるんだけど、ぼっち先生は見事にこれ当てはまってて、つまりコミュ障ぶりがリアルなんだよね。古見さんはそんなことなかったのに、“ぼっちちゃん私に似てる”ってなるのはその辺かと。

 ぼっち劇場の所とか映像的に攻めてるなとは感じてたけど、そこまで乗りきれてなかった俺が「ひょっとしてこれ神アニメじゃね?」ってなったのは3話。ぼっちの憧れであり対極の存在、喜多ちゃん加入回。クライマックスもぼ喜多の関係で、1期はここでヤマを作ってた。

 この時点のぼっちはギターヒーローとしての実力を発揮できず、結束バンドではお荷物扱い。だが喜多ちゃんの前では腕前を披露出来て、尊敬を得ている。環境によって人格が変容する、これってペルソナの話なんよね。だから1話はマンゴー仮面。

 1話で舐められてた所から逆転が起きなかったのは、リアルタッチってこともあるけど、コミュ障が社会性を獲得して自己を表現していく過程を描く物語だから。1話では目と耳を塞いだマンゴー仮面のペルソナしか持ってないから、実力を発揮できない。でもギターの先輩として振る舞える喜多ちゃんの前なら、相応の実力が発揮される。

 バンドにおける立ち位置が変わっていくにつれ、ギタリストとしてのレベルも上がっていく。関係性を落とし込んだ物語の完璧な解答すぎる。その意味では、最後まで心の中のマンゴー仮面を捨てきれないことが興味深くて、喜多ちゃんとの関係はあくまで歩み寄っただけ、価値観の共有には至らず、ぼっち・ザ・ロックは続いていく。OPで最後まで結束バンドが揃わなかったのは、そういう意味だと思う。

 写実的なタッチから、コミカルな表現や光を使ったトーンの出し方ではフィクションの強みを活かし、構図や構成をシナリオを演出する。4コマ漫画から30分1クールの映像作品として、原作を完璧な形に昇華した『ぼっち・ざ・ろっく!』。令和を代表する神アニメだと思う。

 

総括

 並べて見て言えることとして、特に共通項はないなという印象なんだけど、制作のクオリティは評価されながらも、これまで作品に恵まれてこなかったCloverWorksが『明日ちゃんのセーラー服』と『ぼっち・ざ・ろっく!』という二大ヒットを飛ばしたことは素直に慶事として受け取りたい。CloverWorksは他にもWIT STUDIOと共同で『SPY×FAMILY』も手掛けてるから、本当に躍進の年だったのでは。

 二作ともまず原作が強く、そしてその強みを踏まえた上でアニメーションとして大胆な表現にもチャレンジしていて、こういう攻めの姿勢が成功したのも喜ばしい。もちろん基本の作画能力が安定しているからこそこういう冒険が出来るわけだけど、画面のリッチさが1番わかりやすいアニメの強さであることは確かなわけで。

 作品単体で言うなら、『平家物語』『メイドインアビス 烈日の黄金郷』『ぼっち・ざ・ろっく!』この3作が同年に公開されたっていうのも、奇跡的な事象と言っていい。どれ1つ取っても間違いなく令和史に残る神アニメで、それが全く異なる系譜から出てくるのが、ジャパニメーションやっぱ凄えなという事実を思い知らされたわ。

 ベテランの小島正幸監督にとっても、『メイドインアビス』は代表作と言っていいと思う。今1番油がのってる山田尚子監督は、これまで撮ってきた学園モノから古典叙事詩っていう全然別ジャンルを見事に成功させて、名匠の誉れを恣にしてる。監督経験は比較的少ない斎藤圭一郎監督も、『ACCA』OVA、本作と写実性の高い作品を続けて成功させ、演出家としての評価を確固たるものにしたのでは。

 総括すると、2022年深夜アニメは、今後の深夜アニメが楽しみになってくるような傑作が次々と生まれた、記念すべきいい年になった。

 

おまけ:『異世界おじさん』

 13選と言いつつ14本目を出してしまって申し訳ないが、最終回残しだと来年の選考には入りづらいのでここで紹介させてくれ。

 今までネタとして処理されてきた伏線が一気に回収され、王道ファンタジーさながらの胸熱展開が佳境に入った最終回延期はつらい…。まるで対話を望みわかり合おうとした結果、たわしより安い値段で売られてしまったおじさんのように不遇なこの作品。今年のなろうアニメの中では1,2位を争う傑作だった。ちなみに対抗馬は『異世界迷宮でハーレムを』。

 比較的王道のなろう系だった『異世界迷宮ハーレム』に対し、『異世界おじさん』はおじさんが現代日本に帰還を果たした所から物語が始まる。おじさんの冒険の軌跡を、イキュラスエルランで甥のたかふみ、その友人藤宮と振り返るという構図。まずこれが面白くて、アニメ見てツッコむ俺らと同じ目線で、たかふみ達が映像のおじさんにツッコみを入れてくれるから、ゲーム配信を見てるようなメタ的な楽しみ方へ視聴者を誘導してくれる。

 しかも物語として上手いのが、これおじさんの態度そのものなのよね。セガのゲームで人生を学んだおじさんは転生世界もどこかゲームのように俯瞰して捉えてて、だから普通はやらないような行動もゲームのイベントフラグとしてチャレンジし、トラブルを引き起こす(笑)。

 一見コメディリリーフ的に見えるんだけど、全ては見ず知らずの地で孤独を抱えるおじさんの、現代日本への帰還の意思が為さしめてたことが明かされる。なろう作品は現実否定がデフォだから、基本主人公に帰還の意思が欠けてるんだけど、おじさんは“現実”の肯定という普遍性に物語が着地する。

 ただおじさんの場合、“現実”=セガっていうのが面白い(笑)。他のなろうのようにハーレムルートもあり得るんだけど、リア充を捨ててセガを取ったおじさんだからそちらには進まない。それでも劇中の描写は、おじさんが異世界で生き抜いてこれたのは間違いなくセガのおかげで、セガに捧げた青春は間違いなくおじさんの強さになってるのよね。

 不遇な運命を辿ったセガの哀愁とおじさんの哀愁が重ねられ、それでもセガを否定させない強い意思。たとえ今はその道が途絶えてしまい、たわし以下の価値と片付けられたとしても、他人には理解されない道に情熱を燃やした、全ての人々の人生を讃歌する、まさにセガ文学と言える作品。

 

 

メッシ'sヒストリーの完成を見れた幸運

 

 2022W杯決勝アルゼンチンvsフランス。

 史上最高のフットボーラー、リオネル・メッシ最後のW杯は、まさしくW杯史上最高の決勝戦だった。

 36戦無敗のチームが格下相手に初戦を落とし、窮地から這い上がって前回王者と雌雄を決する激戦も、ここまでの道程全てが礎となって、メッシ'sヒストリーを最高の形で完成させた。

 

 まず驚いたのは、GS以来出番が遠退いていたメッシと同世代のサイドアタッカーディ・マリアのスタメン起用。

 戦う度にチームとして完成されていたアルゼンチンでメンバー変更が意外だったけど、その狙いはディマリアのLWGでサイドの数合わせ。

 ミラーで敵のビルドアップを阻害し、中盤のインテンシティの高さを武器にボールを奪うやり方は、準々決勝オランダ戦を彷彿とさせる。

 

 前半は、このスカローニの策が功を奏した。
 今大会名を揚げたアルゼンチンMF3羽烏、エンソ・フェルナンデス、ロドリゴ・デ・パウル、アレクシス・マクアリステル。中盤を運動量豊富に、猛烈な勢いでサイドにスライドしながら、適切な距離感を維持してコースを塞ぎ、球際では積極的にボールを刈りに行く。

 彼等に蓋をされ、グリーズマンへの配球が上手く行かないフランスは、LSBでオーバーラップが武器のテオ・エルナンデスにボール持たされ、カットされるシーンが目立つ。
 逆のアルゼンチンの左サイドへ展開されると、ディ・マリアの仕掛けにFWデンベレが下りるも対応出来ず、PKを許し先制される。

 念願のW杯トロフィーへ向け、自らの足で1歩近付いたメッシ。

 

 更に、後ろからの圧力でサイドを押し込もうとするフランスからボールを奪うと、オランダ戦でも見せたワンタッチパスを繋ぐ高速カウンターで、ディ・マリアが追加点。

 守備の堅さから前線のスピードアタッカーが一気にゴールに迫る、これぞアルゼンチンという攻撃の形。試合毎に増していたチームの完成度が、決勝の舞台で遂に極まった様子のアルゼンチン。最高の立ち上がりを見せる。

 

 ピッチ上で状況を打開出来ないと見たデシャンは、前半から早々の内に動く。

 CFジルー、RWGデンベレを下げ、テュラム、コロムアニを投入。

 エンバペをCFへスライドさせ、プレス強度の高い両WGのフィジカルで、サイドを攻略する狙い。
 これで多少押し返すも、攻撃の鬼フランスが前半はシュート0という惨憺たる結果に。


 リード時のカウンターに使ってきた4231で前プレを掛け、後半はグリーズマンに何とか攻撃参加させたいフランス。

 それに対しアルゼンチンは、追加点を挙げ躍動したディマリアを下げ、ブロック固め。

 アクーニャ側を避け、左サイドに流れて突破口を見出だそうとするフランスだが、エンバペの突破にも動じないアルゼンチンDFは間違いなく今大会屈指の堅さで、決定機を生み出せない。

 ここでフランス、なんと準決勝まで完璧なパフォーマンスだったグリーズマンを交代。

 コマンを入れた424で、シンプルに前線とDFライン1対1の勝負に持ち込む。

 

 正直この交代見た時、ヤケクソだと思ったわ。グリーズマン外したトランジションゲームはチュニジア戦で見事に失敗したから。

 でも結果的には、森保采配以上の英断だった。

 オランダの放り込みにやられたアルゼンチンDFに、個の勝負ならフランスの前線は優位取れる。最終ラインには、起点となれるカマヴィンガも同時に入れてるわけで、完全に計算ずくでゲームを動かしに来た。

 

 デシャンの奇策が見事にハマり、フランス立て続けのゴールで同点。

 いやーしかし、一度失敗した戦術を大一番で再チャレンジして成功させるって、このギャンブルに勝ったデシャンの胆力、これは名匠やろ。

 しかもグリーズマンが居ないフランス、戦術エンバペなんだけど、それがここまで機能するとは。
 采配振るう監督も、それをピッチで実行する選手も、本当にレベルが高い。これぞ決勝戦
 一方スカローニは、崩されていた右サイドに選手交代で手を入れ、ひとまず後半終了。決着は延長戦。

 

 延長前半、フランスの勢いが落ちたのを見たスカローニは、決勝まで3羽烏と組んで中盤を牽引してきていたレアンドロ・パレデス、そして今大会未だノーゴールのラウタロ・マルティネスを投入。

 サイドの押し出しから、アルゼンチンが一挙に攻勢へ出ると、そのままの勢いで延長後半、メッシが勝ち越し弾。

 代表通算100点目のメモリアルゴールが、W杯得点王と優勝を飾る決勝ゴール‼️

 これぞ史上最高のフットボーラー、メッシに与えられたヴィクトリーロードか‼️‼️

 

 と、思ったのも束の間。

 再び押し込むフランスの、CKからこぼれ球、やはりこの男エムバペの前。

 ダイレクトボレーはDFに当たり、無情のPK判定。

 これを沈め、最後までメッシの前に立ちはだかるパリSGチームメイトの怪物。

 最後の最後まで決定機があったが、両チームGKが気迫のセービング。

 1歩も譲らなかった両雄の勝負の行方は、PK戦へともつれ込む。

 

 前半、完璧な試合で2点リードし、躍動した同世代のディマリアが下がって撤退陣を敷くも、追いつかれる。

 ならばと、若手と共に記録を打ち立てに行くも、新世代に現れた規格外の怪物に迫られる。

 この試合そのものが、W杯に挑み、打ちのめされ続けてきたメッシの半生を象徴するような戦い。

 世界最高の選手が全力を振り絞り、それでも届かない203ヶ国の頂。

 

 そして、1人の力じゃどうにもならないPK戦へ委ねられる。

 メッシ、エムバペ両エースが共に決め、後は信じて祈るのみ。

 勝負を決めたのは、この祈りかもしれない。

 メッシを勝たせたいというチームメイトの、スタッフ/サポーター含め、アルゼンチン国民だけじゃない、全世界のサッカーファンが抱いたメッシへの思いが、王者フランスに勝った。

 不世出の天才が全世界に見せてくれた夢。その夢を信じた人々の祈りが、あの瞬間1つの祝福となって、彼だけでは成し遂げられなかった宿願を成就せしめたんじゃないか。

 普段は、サッカーはピッチで起こることが全てで、サッカーをサッカー以外のもので語ること(“新しい景色”とか)には批判的なスタンスなんだけど、このメッシの快挙に関しては、そういった“サッカーを超えた何かだ”って表現をしたくなってしまう。

 

 フランスも故障者続出で、不安要素が絶えなかった中、前回王者のプレッシャーを跳ね除け、見事な戦いぶりでここまで勝ち上がってきてて、俺自身フランス推しになってたんだけど、

 メッシがW杯掲げた瞬間、「これが見れて良かった」と思っちゃったもんな。

 メッシ'sヒストリーを目撃出来たこと、1人のサッカーファンとして本当に幸運だったわ。