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第2部 ゼノビア新生編
幕間9.5 お色直しの時間
ディアスポラを解放したウェンディ軍は、そのままこの地の戦後処理に当たっていた。
「迷惑をかけた貴殿方に、少しでも力になれば」
今や我等の仲間であり、先日までこのディアスポラの主だったノルンが、ウェンディ軍に武器の「エウロス」とアクセサリの「雷のオーブ」を提供する。
「ありがとう。助かる」
ウォーレン指揮の元、ディアスポラ統治の継承は順調に進んでいる。監獄の処置はまだ少し時間がかかるだろうが、市民の生活に安心が戻るのは、そう遠くないはずだ。
「さて」
例によって、戦闘が終わって実務がメインとなり、手持ち無沙汰となっていたウェンディには別に行く所があった。他に、手の空いている者は――。
「ノルンと、それにアイーシャも。時間があるなら私に付き合ってもらえる?」
名目上ディアスポラ監獄の主とは言え、デボネアの出征前まで実務には関わってこなかったノルン、また彼女と同じプリーストで神官修行に励んできたアイーシャは、此度の戦後処理の段に入って時間を持て余していた。
「イーロスを借りていくわよ」
ウォーレンに一声掛けると、グリフォンのイーロスに乗って、ウェンディ、ノルン、アイーシャの三人はソミュールまで飛んだ。行く先は、ウェンディ達の戦いの影で、一家の主を喪った妻子の元。
「お姉ちゃん!」
ウェンディ達が家を訪ねると、ポーシャが元気よく出迎えた。
「これはこれは」
奥の病床からは、彼女の母親が起き上がってくる。
「無理しなくてもいいのに」
「お陰さまで、体調は随分よくなりました。大したもてなしもできず申し訳ありませんが、せめて一言お礼を」
ひどく痩せてはいるが、昨日病床で見掛けた時より確かに顔色が良くなっているように見える。ただ…、
「金の蜂の巣を手に入れたのは、他の誰でもない。ポーシャのお父さんよ」
その言葉で、同行したノルンは何故ウェンディがこの家を訪れたのか理解した。
ポーシャの父親は、重い病に臥せっていた妻を救うため、万能薬の元とされる『金の蜂の巣』を取りに行き、猛毒の蜂に刺され命を落としながらも、その妻のために金の蜂の巣を残した。
彼の形見となった金の蜂の巣をポーシャの母へ届けたウェンディは、彼女を見舞うため今日ここへ立ち寄ったのだ。
「それでも、貴女が快復できたことは、本当に良かった」
ウェンディの言葉には、彼女の心からの安堵がこもっていた。
ラシュディの手によって塗り替えられた今の帝国は、破壊と暴力を厭わない暗黒道を突き進んでおり、そのようなエンドラが神聖皇帝を名乗るなど、聖なる父への冒涜に他ならない。
祖国が堕ちてしまったことを、それを許した罪をさんざん悔いてはきたが、ノルンには遂に帝国へ刃向かう決心をすることはできなかった。正しくないとわかってはいても、自らを以て悪を正す者とする、神の僕たり得なかった自分が正義を為すという覚悟ができなかったのだ。
然るに、その役目を果たしたのは、ノルンより一回り以上年下の乙女だった。若さ故の無鉄砲さ、取り返しのつかない過ちを知らぬ潔白さが、それをさせるのだと思っていた。ノルンが失ってしまったものを持っているのが、彼女の強みだと。
だが、そうではなかったのだ。神を裏切った罪、己の無力に対する絶望、最愛の人と引き裂かれた哀しみ。それらによってノルンが見過ごしていた、見ようとしていなかった市井の人々の顔。そこにある涙や笑みを、彼女のエメラルドの瞳はしかと見つめており、そこに全霊で共感するからこそ、彼女は剣を取るのだ。
ノルンは、帝国打倒を掲げる我等がリーダーの強さを、今、改めて思い知った。
「御主人は、南西の教会に」
ウェンディが、伝えるべき事実を伝える。すると、
「父さん、死んじゃったんだ」
話を聞いていたポーシャが反応した。
「えっと…、それは…」
答えに窮するウェンディに対し、
「あたし、悲しくないよ」
ポーシャは告げる。
ウェンディが父を亡くしたのはまだ物心がつく前だったこともあって、男親に対する娘の感覚はわかりかねるところがあった。ポーシャの淡白な返答には、少し寂しさを感じなくもない。そう思ったウェンディに、
「母さんが病気になって、父さんが金の蜂の巣を取りに行ったけど戻らなくて、あたし、すっごく怖かった。このまま、あたしの周りからみんないなくなって、独りぼっちになるんじゃないかって。でも、お姉ちゃんが来てくれて、母さんの病気を治してくれた。父さんは死んだけど、母さんと暮らしていけるから、あたし悲しくないの」
そう言って、ポーシャは朗らかに笑った。
まだ少女と言っていい年頃のポーシャにとって、父親との死別がショックでないわけがない。それでも、彼女は喪われたものではなく、今ある幸せへの感謝をより大事に思っているのだ。
彼女が明日を生きるための光を少しでも残せたのなら、私達の戦いに意味はあった。ウェンディは、胸につかえていたものが少し和らいだ気がした。
「そうだ。お礼に、あたしのお守りをあげるわ」
「お礼だなんて。そんな大事な物貰えない」
ポーシャは感謝してくれているが、ウェンディがやったのは、彼女の父親の形見を本来あるべき所へ運んだだけなのだ。戸惑うウェンディだったが、
「貰ってくれないの?」
残念そうな顔をするポーシャを見ていたら、
「そんなことはないわ」
としか言えない。
「はい、『セントールの像』って言うの。大事にしてね」
それは、半獣の神を象った像だった。
ゼテギネアでは、自分達の似姿である故に神が人間を守護するのであり、なればこそ人の形を持たないオウガが忌避されるのであるが、その邪神像からは、不思議な親しみを感じた。人と獣が共に歩む。ウェンディは不意に、そんな近くて遠い世界が垣間見えたような気がした。
「だけど、本当にいいの?」
「そんな顔しないで。お姉ちゃんは、あたしの王子様なんだから」
「王子様だなんて。王子に相応しい人はもっと他に――、あっ!」
忘れていた。王子だ。私達は、王子を探しに来たのだった。
大事な用を思い出したウェンディ達は、ポーシャに見送られながら、彼女の家を後にした。
「どうかなさったのです?」
事態を呑み込めていないノルンに、アイーシャが説明する。
「亡きグラン王の忘れ形見、トリスタン王子が御存命であり、このディアスポラにいるという情報を得たので、殿下を保護するために我等はこの地に参ったのです。ノルン様、この地で殿下の事を聞いたことはございませんか?」
「そうでしたか。しかし、残念ながら、この地でゼノビアの王子がいるという話を聞いたことはありません。うまく、隠れられているようです」
やはり、簡単に見つけることはできないか。何処か、場所の当てがあれば。
「トリスタン王子を匿っているのは、ボーグナイン様ということでした」
ノルンは、ボーグナインという言葉には反応を示した。
「ボーグナイン様の所在なら存じております。ディアスポラから遥か東に向かった先、海に突き出た半島状の岸辺に、アングレームという都市があります。他ならぬボーグナイン様の魔法によって隠された魔法都市のため、戦火には巻き込まれていないはずですが」
「ならその、アングレームに向かってみましょう」
ウェンディ達の次の行き先が決まった。
アングレームは、遠くから見れば視界に映らない魔法がかけてあるが、街道に沿って進んでいけば魔力の反応があり、すぐに見つけることができた。
魔法都市アングレームを解放したウェンディは、都市の代表を務める魔術師に声を掛ける。
「ボーグナイン殿というのは、貴殿?」
大きな杖を手にした老人は、貫禄を感じさせる声で答えた。
「いかにも。儂こそ偉大な魔法使い、ボーグナイン様じゃ」
額に浮いた大きなしみは、経てきた年月が相当なものであることを思わせる。偉大な魔法使い様とやらには、前にも会った気がするが。
「貴殿にお訊きしたいことがあるの。トリスタン王子が何処にいらっしゃるか、御存知かしら?」
「ほう」
ボーグナインは、その真意を読み取ろうとするかのように、ウェンディの瞳を覗き込んだ。ウェンディもその目を見つめ返す。
やがて満足したように、ボーグナインは言葉を発した。
「御主等の噂は、このアングレームにも届いておった。よかろう。トリスタン殿下は、御父君の仇討ちをなさるおつもりじゃ。御主等がこの地に来る数日程前、ハイランドを討つためここから北へ向かわれた。御主ならば、悪いようにはせんじゃろう。王子の力になってやってくれ」
北か。王子はまだ、亡きグラン王の仇討ちを諦めていないらしい。何としても、王子が帝国の手に落ちる前に合流せねばならない。後を追いかけていく他ないだろう。
「オッ」
そのままウェンディと向かい合っていたボーグナインが、いきなり驚嘆の声を上げた。
「御主が持っているそれ、『セントールの像』ではないか?」
ボーグナインは、ポーシャから貰って身に付けたままにしていたセントールの像を指して言った。
「そうだけど、やっぱり貴重な物なのかしら?」
「いや、儂が個人的に集めているだけじゃ。なんと、しかも儂がまだ持っていない型の像じゃわい」
そう言うと、ボーグナインは、見定めるような先程とは打って変わった、懇願するような目でウェンディを見た。
「なあ、御主よ。そのセントールの像、儂に譲ってくれんかのう。いや、1万ゴート出す。その像を儂に売ってくれ」
「そう言われても…」
「金が要らんと言うなら、物々交換といこう。『死者の杖』と交換というのはどうじゃな?」
「…」
「では、『ドラゴストーン』ならどうじゃ? これ以上の物はないんじゃ、頼む」
正直、ウェンディにはセントールの像にどれ程の価値があるのかはわからなかった。ボーグナインがそうまで言うからには、この交換も破格の条件に違いない。それでも、
「ごめんなさい。悪いけど、この像は友人に貰った大切な物なの。だから、どんな条件を出されても、この像を譲る気はないわ」
それは、ウェンディ自身の信条に精一杯誠実な答えだったのだが、
「なんじゃい、ケチな奴よのぉ! もう、ええわい」
ボーグナインを怒らせてしまったらしい。
居たたまれなくなったウェンディ達は、その場を後にした。
その後、ボーグナインは彼の無駄に広い人脈を最大限活用して、大陸中にウェンディ軍の悪評の手紙をばら撒いたのだった。特に、ウェンディ軍の未だ至っていない地域では、この手紙が反乱軍の実像を伝える唯一の情報源となってしまったわけであるが、王子の安否ばかりが気掛かりなウェンディ達には、偉大な魔法使いを名乗る老人が逆恨みで自分等の評判を貶めていようなどと知る由もない。
「この地域で、一番大きな市場があるのはどこ?」
「商品の売買でしたら、貿易都市ラロシェルかと。一体何用で?」
ウェンディに尋ねられたノルンが訳を聞くと、
「今のやり取りで、思い出したことがあってね」
「はあ。ラロシェルは、ディアスポラの南。ソミュールから、街道を更に西へ行った先です」
貿易都市ラロシェルを解放したウェンディは、そのまま市場へ立ち寄る。
「『黄金の枝』はあるかしら?」
「5万ゴートになります」
「5万!?」
彼女から貰った「ブラックパール」を換金しておいたおかげで払えないことはないが、そうでなければ軍資金に支障を来すレベルの出費だった。しかも、換金額だけじゃ1万近く足りないし。後で文句言ってやろうか。
なんのかんの、無事に黄金の枝を入手したウェンディ達は、漸くディアスポラへ戻った。
「待っていました。次の目的地ですが――」
「トリスタン王子は、北へ向かったそうよ」
戦後処理に一応の目処をつけ、今後の進軍について軍議を開こうとしていたウォーレンに、ウェンディは持ち帰った情報を共有した。
「北ですか。ふむ」
それを聞いて、ウォーレンは少し考える。
「このディアスポラから、南のガルビア半島へは進めるのですが、北のマラノ方面は陸路での進軍が難しいようです。一個小隊程度ならともかく、軍団での進軍となると、間に位置するマンスニーラ山脈に行く手を塞がれています。マラノへ進むとなると、一度アヴァロンまで戻り、海路よりカストラート、バルモアを経由して行く必要があります」
多少回り道になるということか。だが、それしか方法がないとなると、致し方あるまい。
「もう一つ。飛地となるこのディアスポラを防衛するには、もう少し人員を増やしたいところです。アヴァロンへ戻るついでに、こちらに人員を回せるよう、ゼノビアへ連絡をつけたいのですが」
短期決戦を目論んだ今回のディアスポラ攻略と違って、カストラートやバルモアといった旧ドヌーブ王国領を横断していく次の作戦には、それなりの準備が必要になる。念のため、連係も構築しておいた方がいいだろう。
「じゃあ一度、ゼノビアへ戻って態勢を整えた後、アヴァロンを経由してカストラートへ向かうという流れね。いいわ。行きましょう」
ウェンディ軍は、留守居役の兵士を残して、ディアスポラを後にした。
そして今は、アヴァロン島へ渡る船の中。
「けどよ、何も全員でゼノビアに戻る必要はねえんじゃねえか?」
そう口にしたのは、ライアン。
「どうせ、アヴァロンへ戻ってくるんだ。特段用向きのねえ奴は、アヴァロンへ残ってても同じだろ」
「ふむ。言われてみれば、そうですな」
人が多ければ、それだけ大きい船の調達が必要となり、必然船足も遅くなる。ライアンの指摘は、確かに的を射ていた。
「では、軍を二分して、半分はアヴァロンで待機させておくことにしましょう。ウェンディ殿は、いずれに?」
「私は、ゼノビア帰参組の方に入るわ」
「それでは、アヴァロン残留組の方の指揮は、ギルバルド殿に執ってもらいましょう。我等の帰りを待ちつつ、ディアスポラに異変があるようであれば、すぐに出撃して事に当たってください。編成は…」
アヴァロンには、地元のアイーシャに、言い出しっぺのライアン、ギルバルドと付き合いの長いカノープス他、戦力の半分以上が駐留することとなった。
「ノルン様も、残っていただけますか」
「え、ええ。構いませんけど」
アイーシャが声を掛け、ノルンを引き留める。
アヴァロンに到着し、彼等が船を降りると、ゼノビアで指示を出すウォーレン、アッシュ、ランスロットと、残りの人員にウェンディを加えたゼノビア出向組は、そのまま船を回して現在のウェンディ軍全体の本拠地である、旧都ゼノビアへ進路を取った。
ゼノビアを発ってまだ半月程しか経っていないが、スラムと化していた旧王都は、急速な復興を遂げ始めていた。この調子で行けば、帝国との戦いに決着が付く頃には、ゼノビアは再び繁栄の都市の名を取り戻すことができるだろう。
その復興を担っているウェンディ軍後方部隊と、ウォーレンがディアスポラの経営方針について話している。彼に任せていれば、上手く取り計らうだろう。
「私は行く所があるから、少し出てくるわね」
ウェンディはウォーレンに声を掛け、以前のようにイーロスを借り受ける。
「そんなに遅くならないと思うから」
軍の最高司令官が単独でフラフラと出歩くのは好ましくないだろうが、旧ゼノビア王国領である大陸南東部はウェンディ軍の手によって完全に解放されてあるので、こういうこともできる。
行き先はゼノビアの南方、山岳地帯の中に存在する都市バルパライソ。そこの主である魔女の元。
「あら、待っていたのよ。嬉しいわ♥️ 『黄金の枝』ネ」
「一応、約束したからね」
何を隠そう、彼女こそウェンディに黄金の枝の買い付けを依頼した張本人、魔女デネブなのだ。
「5万もするなんて聞いてないわよ。あなたがくれたブラックパールだって、5万には――」
「それじゃ、ちょっと待っててね」
ウェンディの話もそこそこに、デネブは黄金の枝を持って奥に引っ込んでいった。まだ話は終わってないんだけど。
そうしてウェンディは、その場で一刻余りも待たされたのだった。本当に他人の気持ちを考えないんだから。奥で作業する音が続いてるから、忘れてるわけじゃないんだろうけど。私、今、なんでここにいるんだろう。
「できたッ!」
声が響くと同時に、奥から駆けてくる音が聞こえてくる。
「ほらほら、見て見て! これが『ガラスのカボチャ』」
帰ってきたデネブが手にしていたのは、掌サイズの小さな南瓜の形をした硝子細工だった。硝子細工の南瓜…
「完成したら、貴女にもあげるって約束だったわよね。普段は他人にあげたりしないのよ。ウェンディさんにだけ、特別なんだから♥️」
デネブは自慢気にガラスのカボチャを見せびらかしたかと思うと、勿体ぶるようにしながらウェンディに渡してきた。けど…。
「貴女、こんな物を作るために今まで…」
「あら、つまらなそうな顔ね。何が不満なのよ。こんなにキュートなのに。いけず」
膨れっ面をして見せるデネブ。ふざけてるようだが、あれで本気なのだろう。
「わかったッ! 貴女、ガラスのカボチャは口実で、本当はこのアタシが欲しいんでしょ♥️ ね、そうなんでしょ?」
いや、そんなつもりじゃ――。
「もう、それならそうと、早く言ってよ。シャイなんだから♥️ いいわ、仲間になってあげる」
仲間になって欲しいなんて、一言も言ってない。相変わらず、何考えてるかわかんないし、本当は言いたいことが色々あったはずなんだけど、心から嬉しそうにしてる彼女の笑顔を見たら、何も言えなくなってしまう。前みたいに。
「ええ。お願いするわ」
ウェンディは、カボチャの国の魔女と二人、イーロスの背に乗って、ゼノビア城へ戻ったのだった。
「ほう」
ゼノビア城でウェンディの帰りを待っていたウォーレン達は、彼等のリーダーがデネブを連れ帰ってきたのを見て、目を丸くした。
「魔女のデネブ殿か。驚いた。てっきり、儂より年上かと思っていたが」
建国当初から騎士団に所属していたアッシュは、彼女がゼノビア城下で話題になった時期を知っているのだろう。四半世紀以上前の有名人が、二十歳そこそこのギャルの見た目をしていることに、ひどく困惑している。
「彼女も、私達の仲間に加えようと思う」
「しかし、デネブ殿を迎えるとなると、我が軍に対する民からの信頼を損なう恐れがあるのでは」
難色を示したランスロットに、
「評判くらい、これからがんばって取り戻せばいいじゃない」
他人事のように返すデネブ。貴女のせいなんですけど。
「お願いよ。あたし、ウェンディさんと一緒に居たいの」
「ふむ。まあ、いいでしょう。それはそうと、まさかパンプキンヘッドを連れてきたわけではないでしょうな」
周囲を確認しながら、念のためウォーレンが尋ねると、
「パンプキンちゃん達ならすぐに呼び出せるわよ」
そう言って、デネブは片手にガラスのカボチャを持ち、杖で叩くと軽い爆発と共に噴き出すオレンジ色の煙。煙が晴れると、そこにはあのカボチャ頭のオバケが立っていた。
デネブはその調子で、一体、二体、とパンプキンヘッドを呼び出していく。
「わかった、わかったからもう止めて!」
ランスロットの懸念通り、この騒ぎはすぐさまゼノビア城下から解放地区一帯に広まっていき、ウェンディ軍に頭のおかしい魔女が入ったと噂されることになるのである。
一方、アヴァロン島のアムド神殿内で待機中の駐留部隊は、暇を持て余していた。
アヴァロンは、元よりロシュフォル教会の僧侶達が中心の島で、彼等の手を借りずともよく治まっているし、一応ディアスポラ方面の監視の命も受けているが、そちらの方も目立った動きはない。寧ろ、静かすぎるくらいだ。
「戦は、ないならないで退屈なもんだな。折角、戦線から離れて羽根伸ばせると思ったんだけどよ。まあ、カノープスじゃねえから羽根はねえんだが。ガハハ」
粗野な声を響かせているのは、ライアンだ。あの男は何処に居ようと、緊張とは無縁な気もするが。
「姉ちゃんも、僧侶だからって、四六時中辛気臭え面してなきゃなんねえわけじゃねえだろうに。居ねえ男のことを気にしてても、しょうがねえぜ?」
「貴方に言われたように、私は重い女ですから」
あーあ、完全に根に持ってるよ。本当にデリカシーないんだから、あの男は。
「ノルン様、ちょっとお付き合い頂けますか」
見かねたアイーシャは、遂にノルンを連れ出した。
「私でお力になれるかはわかりませんが」
そう言いながら後に続いたノルンに、アイーシャは告げる。
「ノルン様は、叙階を授けた経験はお有りですか?」
「ええ、ハイランド式ではありますが、法皇として、プリーストの叙任に携わってきました」
「これまで我が軍は、本職の聖職者を置かず、回復薬の使用で急場を乗り切ってきましたが、激しさを増すこれからの戦いの中、祈りの力が必要となってくるはずです。実は、ノルン様には、叙階の儀式を執り行っていただきたいのです」
「それは…。ですが、私は既に、法皇ではありません。一介の僧侶となった私に、その権限は――」
「今回は、司祭二人によって司教に代える、略式の叙階とします。二人のプリースト、私とノルン様の手で、叙階を行うのです」
「アイーシャ様と、私」
「はい。貴女でなければ、できないことなのです」
ハイランド式と言っても、元はアイーシャと同じロシュフォル教。細部の違いはあれ、儀式の手順も大きくは変わらず、簡単な打ち合わせが済むと、早速準備に取り掛かる。
叙階を受けるのは、リサリサとポーラ。アムド神殿内に元々設けられている聖所を使い、修道服の四人が揃うと、叙階の儀式が始まった。
女性戦士の慣例として、リサリサもポーラも既に洗礼を終え、神への信仰を誓った身である。ここでは、自らの戦いが正義に基づくものであり、世に慈愛を広めるため、聖なる加護を求めることを告白する。
告白が終わると、アイーシャとノルンがリサリサの頭上に掌を重ねる。
「彼の者の告白が真なること、司祭アイーシャがここに証す」
「彼の者の告白が真なること、司祭ノルンがここに証す」
「聖なる父よ憐れみ給へ、明なる道を歩まんとする彼の者を」
「聖なる父よ憐れみ給へ、明なる世を導こうとする彼の者を」
「女神フェルアーナの慈愛にて、祝福されし彼の者の知性に」
「女神フェルアーナの正義にて、僕となりし彼の者の叡知に」
「「光の加護を賜れよ」」
同様の詠句が、ポーラに対しても繰り返され、叙階の儀は無事終えられた。
ゼノビアで補給を終え、ディアスポラ防衛用の人員と、新たな仲間を加えたウェンディ一行の船が、アヴァロンに帰ってきた。
「げッ! なんでソイツがここに居るんだ!」
合流したウェンディ等の中に、軽いトラウマとなっている魔女の顔を見たカノープスは、思わず悲鳴を上げる。
「あたしも、ウェンディさんについて行くことにしたの。これからヨロシクねぇ、カプリヌスさん♥️」
「カノープスだ! コイツ、今すぐ海に叩き出す。ギルバルドも手伝え」
「やだー♥️ ごういーん」
「ウェンディ殿が連れてきたのであれば、我等は受け入れるのみだ」
「そんな」
ギルバルドは、デネブの加入を素直に認めたようだ。
「悪夢だ…」
「なんだよ、兄貴も隅に置けねえな。こんな可愛い娘ちゃんの知り合いが居たとは。えーと…」
「デネブよ。可愛い娘ちゃんだなんて、照れちゃう♥️」
「照れてるところもまた可愛いな。俺はあんたを歓迎するぜ。何かあった時は、俺をいつでも頼ってくれよ。あんたのためなら、喜んで力になる」
事情を知らないライアンは、早くも新しく仲間に入った美女に夢中な様子。
「あれが、デネブ様…? 私が思っていたのは、もっと…」
元帝国の法皇だったノルンは、多少なりともデネブの素性を知っているらしい。少なくとも、ライアンの手に負えるような相手ではないことは。
「ライアンには黙っていてあげて。知らない方が幸せよ」
その方が面白いから、という理由は伏せておいた。
「そう言えば、プリーストが四人になってるわね」
「ノルン様に、叙階を手伝っていただきました」
アイーシャがウェンディに告げる。
ウェンディは、改めてノルンの方に向き直った。
「わざわざ、ありがとう」
ノルンはその言葉に軽く首を振り、
「私にできることをやったまでです」
と答える。
「私はこれまで、神に仕えることのみを使命として生きてきました。信徒として、神の法を世に広めるのだと。しかし、法皇の地位にあって尚、祖国ハイランドを帝国という暗黒の道へ堕としてしまった。私に、人々を正しい方へ導く力などない。今までやってきたことは、全て無駄だった。そう思ったのです」
そこで、ノルンはウェンディを見つめ返す。
「神の僕たる資格を失ったと、行動するのを止めてしまった私ですが、ウェンディ様と出会い、ただ目の前の人々を救いたいと切に願うことこそが、世を正す法なのだと気付いたのです。そして、私には培ってきた祈りがある。今後、祝福をもたらすプリーストとして、ウェンディ様の戦いに力添えさせていただきます」
少し見ない間に、随分雰囲気が変わったようだ。
「ええ。宜しくお願いするわ」
ゼノビアから来た人員の一部は、直ぐ様ディアスポラへ向けて出航する。
「何か変わったことはなかった?」
ディアスポラ監視の任も帯びていたギルバルドに確認すると、
「変化はない。不自然な程だ。どうも、帝国側の方で、意図的にこちらを刺激しないようにしていると思われる。何か、企んでいるかもしれない」
ディアスポラと陸続きにある南のガルビア半島は、未だ帝国領のままだ。そちらに意識を向けさせたくないというのは、気になるところだが。
ウェンディはウォーレンの方を見る。
「ふむ。確かに気にはなりますが、今、我等が最も注力すべきは、トリスタン王子の保護であることも事実です。一応、人をやって探らせてはみますが、我等はやはり、北に進軍するべきでしょう」
その通りだ。作戦に変更はない。我等の次の攻略目標は、北の旧ドヌーブ王国領内に面した、
「カストラート海に行くのね。水着あるかしら?」
あるわけないだろ。デネブの間抜けな質問に、気が抜ける一同。
「しょうがないわね。あら、ヴァルキリーの装束が余ってるじゃない。ローブを塩水に浸けたくないから、これ貸してちょうだい♥️」
戦争をしようという軍の空気とは思えないが、深刻すぎるよりかは、このくらいの方がいいのかもしれない。
「それじゃ、カストラート海へ向けて、しゅっぱーつ!」
ヴァルキリーの装備に着替えたデネブの号令で、ウェンディ軍は人魚の島ことカストラート海域へ向けて、アヴァロン島を出航した。