ケムリクサ感想 りんとわかばが成し遂げたこと

 

 『ケムリクサ』面白かったですねー。ネットも大盛り上がりで、周辺事情はさておき、作品としてこうやってみんなで盛り上がれるアニメが生まれたことはなによりです。

 『けものフレンズ』に続き、SF設定の散りばめ方が巧みで、ネット上の考察班を中心とした読み解きが盛り上がりの一端を担っていました。伏線もそこかしこに張り巡らされていて、たつき監督本当に頭がいいですね。

 設定の考察に関しては、やはり頭のいい視聴者に任せることにして、この記事ではもう少し物語的なというか、最終話のどこにカタルシスを覚えるのかというところについて語っていきたいと思います。

 

 慣れない書き方ですが、最初に結論を書いておきたいと思います。

 『ケムリクサ』から私が受け取ったのは、贖罪の物語、そして少女の一人立ちの物語です。

 11話で明かされたことは2つあり、1つは主人公達に襲い掛かる赤霧とアカムシ、またそれらを生み出す赤い幹が、一人の少女のわがままから生み出されたものであったこと、そしてもう1つは主人公ら6姉妹がその少女の分身として産み出されたということでした。

 赤い幹を生み出してしまった自分の罪に囚われた少女は、自分の分身を産み出すことで罪を贖おうとしましたが、もはやそれが叶わないことを知って絶望しました。当初の目的を失った少女は、分身達の生を彼女達自身に委ねました。

 分身達はそれぞれ少女の特性を受け継ぎ、その指向を育んでいきましたが、その中の一人、人を愛する特性を受け継いだ分身の娘だけは、正にその特性ゆえに引き起こされた産みの親の罪を覚えていたのか、責任という意識によって自身の特性を否定していました。

 12話のクライマックス、圧倒的な力を前にして立ち向かい続ける中で、彼女は自分自身の願いに気付いていきます。そこで支えてくれたのが、彼女と共にあった分身達の記憶です。その責任を背負うと決めた分身達に後押しされて、彼女は産みの親の罪を打ち消し、姉妹達を守り、自らの特性を肯定できるようになったのでした。

 以下、この2つの軸に対して、もう少し具体的に見ていきます。要点は既に述べたので、飽きた人はここで読むのをやめてもらって構いません。

 

りりとワカバの悲劇

 まずは贖罪に関して。その罪が描かれたのが、11話です。

 先の説明で、少女りりの罪に関して言及しましたが、ワカバの方にも罪はありました。サルベージされたりりは本来研究資料として保管されるはずでしたが、ワカバは手元に置いて面倒を見ていました。それともう1つ、研究が忙しかったワカバはりりに目をかけてやる時間が取れず、りりに寂しい思いを強いていました。これらが、ワカバの犯した罪です。

 そしてワカバの形をとって産まれたわかばは、全12話を通してずっとりんの傍で彼女のことを見守り、背中を押し続けてました。私達の目にしてきた物語で、りり同様ワカバの後悔も晴らされたのではないでしょうか。

 ワカバの精神が仕事に削られていくように感じたりりは、仕事を終わらせる力をケムリクサに求めました。その結果、ケムリクサの暴走を引き起こし、1番大事な存在だったワカバをなくしてしまいました。ワカバへの執着心が、りりの犯した罪でした。

 ワカバと離ればなれになったりりはもう一度ワカバを求め、自分の分身を作ります。自分の犯した罪に対して、やり直す機会を求めたのです。しかし時既に遅く、ワカバは亡くなっており、どう足掻いても罪を償うことができないと知ったりりは、自らの目的を失います。

 ワカバの行為もりりの行為も、罪と呼ぶにはあまりに切なく、無邪気なものに思われます。行為それ自体に罪はなく、偶発的な要因が重なったことによって悲劇がもたらされました。それでも、ワカバ、りり、双方ともそこに罪の意識を抱えて最期を迎えることになります。

 

りんが抱く姉妹達の記憶

 もはや贖い得ない罪を償うために産まれたのが、主人公ら6姉妹です。彼女達の産まれた時点でりりの記憶は記憶の葉の中にしか残されておらず、物語開始時点でその記憶の葉はりんに託されていました。

 りんの“好き”は何?、と劇中りんは問われます。他の姉妹達は自身の“好き”を見つけて、“好き”に生きていましたが、りんは姉妹達を守るために生きていました。その裏には、アカムシとの戦闘で3人の姉妹を喪ってしまったことに対し、自分が弱かったせいだと責任を感じていたことがありました。りんは“好き”を否定して、自責感情によって自分の行動を縛っていました。

 記憶の葉を覗いたことでりりの記憶を知ったりんは、赤い幹を倒すことにりりの願いを見ます。ワカバを取り戻すという目的はなくしたもののりりの罪として残った赤い幹を消し去ってあげたいという思いが、姉妹を守るために赤い幹を倒すというりんの目的に加わりました。

 戦闘の最中、りんを守ってわかばが幹に捕まります。目の前の光景にワカバを失ったりりの無念が重なったりんは、りりと同じ絶望に沈みかけます。そこにりつとりなの意思、りんの思いを捨てないで欲しいという願いが告げられます。りつとりなに鼓舞されたりんは、今度こそと、わかばを失いたくないという思いで再び立ち上がります。

 立ちはだかる幹に腕をもがれ、足をもがれて、今度はりん自身の無念がりんを捕らえそうになった瞬間、そこに死んだ3姉妹の記憶が実体として現れます。罪の意識としてりんを縛ってきた彼女達の記憶が、りつりなと同じように“好き”のために行動しようとするりんを後押します。

 そして、赤い幹という罪を打ち倒したりんがわかばを取り戻すのです。致命傷を負ったはずのわかばが助け出されて一命を取り留めたのは、かつてわかばを縛るためにりんが巻いたみどりの蔦のおかげでした。その蔦を、わかばはりんさんが巻いてくれたものだからと。

 

“好き”に生きて欲しい

 かつてりりが赤いケムリクサを作ったのは、ワカバを休ませるためでした。ワカバのためにというワカバへの執着心が、結果としてワカバを失わせてしまい、りりはその罪の意識に囚われていました。

 りんはわかばがどこかへ行ってしまわないために、みどりの蔦を巻きました。わかばを縛るという、りりの罪と同様の行為です。それに対してわかばは、りんの行為を恨んでもいないし、むしろ喜ばしいことだったと告げ、そしてそれが今度は結果的にわかばの命を救うことになりました。

 仕事に追われるワカバに“好き”に生きて欲しい、りりのその思いがそもそもの発端でした。自らの最期を悟ったワカバは、りりには自分のできなかったこと、“好き”に生きて欲しいという言葉を遺しました。しかし、罪に囚われたりりはワカバを取り戻すために生きようとし、それが果たせないとわかると、今度は自分の分身に“好き”に生きて欲しいという言葉を遺します。

 りんは、“好き”に生きることを自ら否定した少女でした。姉妹を守るという責任に自分を縛り付け、“好き”を享受できないでいました。そのりんが、自分の“好き”を自覚し、その“好き”を守るために立ち上がって、“好き”を取り戻すのです。そして“好き”を取り戻すことができたのは、自分の中に他人への執着が元々存在していたからでした。

 りりがワカバを死なせてしまったように、時には悲劇をもたらす他人に執着するという行為が、ワカバを代弁するかのようなわかばの言葉を通じて、りんとそこから射影されるりりのキャラクターの心理として赦され、また悲劇を生んだ同じ思いが今度は奇跡を引き起こすことで物語としても赦されたのです。

 呪いへと変じてしまった“好き”に生きて欲しいという思いが、それを祈りの言葉へと変えた人々の意思を経て、実際に一人の少女を束縛から解放する結末を迎えたことに、大変感動させられました。りんとわかばが成し遂げたのは、世界を覆った悲劇からの解放であり、因果の檻を壊して外の世界と触れ合おうとする少女自身の新生だったのだと思います。