続・ニュータイプ論考 -アクシズ・ショック編-

 

 前回『ファースト・ガンダム』におけるニュータイプ観をまとめてみました。

私説 ニュータイプ論考 -前編- - boss01074’s blog
私説 ニュータイプ論考 -中編- - boss01074’s blog
私説 ニュータイプ論考 -後編- - boss01074’s blog
 

 今度はその続編として『逆襲のシャア』(以下『逆シャア』)におけるニュータイプ観を著したいと思います。

 本稿は、特に「シャアの反乱」と呼ばれる本作で描かれた第2次ネオ・ジオン動乱の顛末を追っていくものになります。

 本作のニュータイプとされるキャラクターの実像からアクシズ・ショックを問い直した投稿がこちらになります。→

 

 --以下ネタバレを含みます--

 

 

 『逆襲のシャア』を取り上げる意味

 なのですが、ガンダム作品にはいくつもの続編があり、時系列で言えば『ファースト』の次にニュータイプが描かれる作品は『Zガンダム』(『Z』)というのが公式の順序になります。

 それでもここでは、あえて『Z』を飛ばして『逆シャア』を扱いたいと思います。

 その理由として1つは、『Z』にはテレビ放送版(通称『旧訳』)と劇場版(通称『新訳』)があり、その両者でストーリーが微妙に異なり、扱いが難しいということがあります。

 もう1つの理由は、宇宙世紀ガンダムと呼ばれる作品群に対する私的見解になります。

 『ファースト・ガンダム』から始まるガンダム作品において、劇中設定の「宇宙世紀」という時間軸の上で展開される物語を“宇宙世紀ガンダム”と呼び、公式にもそれら映像作品を“正史”として時系列の上で並べることを試みています。

 しかし、私としてはこれらを無理に1つの線の上に載せる必要はないと考えます。つまり、続編とされるそれらを全て、宇宙世紀ガンダムという作品に対して設定を共有するスピンアウトとして、作品単体で捉えることを推奨したいと思います。(具体的に言えば、『Z』→『ZZ』の矢印も『F91』→『Vガンダム』の矢印と同じように捉えるということです。)

 その上で、『逆シャア』という作品の特異性というのは、この作品のみ『ファースト』から直系の続編として製作されているということです。なので、『ファースト』のニュータイプ論の続編として著すなら、『逆シャア』に準ずるべきであると私は考えます。

 

 『逆襲のシャア』という物語
 

 『逆襲のシャア』のあらすじ

 『逆シャア』がどういう話なのかということを一言で言えば、『ファースト』のラスト、ア・バオア・クーの戦いの延長戦です。アムロとシャアの2人の戦いを、地球の命運を懸けて行っているのが『逆シャア』です。

 時代的には『ファースト』から13年ちょっと経っています。『ファースト』では、人類を統括する地球連邦に対し、地球から最も遠く離れたコロニー群がジオン公国として独立戦争を起こした1年戦争が描かれました。1年戦争に勝利した地球連邦は依然としてコロニーに対する搾取を続け、コロニー生活者の反地球連邦感情はより一層高まりを見せています。

 この13年の間に起こった出来事として、ティターンズとの戦いを描いたのが『Z』、ハマーンの跳梁にあたるのが『ZZ』であり、『逆シャア』の世界でもおおまかには同様の経緯を辿ったようです。

 それらがあった後、消息不明になっていたシャアが新たに総帥としてネオ・ジオン建国を宣言し、地球連邦打倒を掲げて彼等の特権基盤である地球に隕石落としを敢行。地球連邦軍に属するアムロがそれを阻止するために戦うという筋書きです。

 

 『逆襲のシャア』におけるニュータイプ

 『ファースト』のラストは、人類全てが革新を遂げられる、ニュータイプへと変わり得るという祈りが込められたものでした。

 しかし、その続編として描かれる『逆シャア』で人類は変わらず殺し合いを続けています。この年月の間に何があったのでしょうか。

 まず技術的な進歩として、サイコミュ兵器が普及しました。『ファースト』の時点でも一部登場していましたが、『逆シャア』では名称が一般化するほど研究が進められたようであり、ニュータイプ能力を兵器として運用する方向性に関しては大きく進んでいます。

 では人類のニュータイプ化は進んだのかと言われると、どうもそうではないようです。革新を目指す人々も現れてはいるようですが、地球ではカルトのような扱いをされています。またジオン側では比較的肯定的なようですが、ニュータイプ研究所と呼ばれるところで人為的に造られたニュータイプ、強化人間が生み出され、それらは排斥される対象となっています。

 

 『逆襲のシャア』が描き出した祈り

 それでは、『逆シャア』とはニュータイプを否定する物語、人類に対する絶望を描いた物語なのでしょうか。

 作中を通して、戦い続ける軍人達が次々と命を落としていきますが、その宇宙での出来事に地球に住む人々は気付くことができません。

 地球の人達が気付いたのは、アクシズが地球に迫って来たこと、アクシズを地球に落としたくないという人の祈り、そして地球を包んでアクシズを撥ね返した虹色の光です。特に、最後の現象は後々「アクシズ・ショック」と呼ばれる奇跡とされます。

 『逆シャア』は、この奇跡によって地球に住む人々が虐殺から救われる話なのです。

 本論では、この「アクシズ・ショック」が何なのかということを考察することで、『逆襲のシャア』という物語が見せたニュータイプの可能性、そして奇跡を目撃した我々に託したものを読み解いていきたいと思います。

 

 アクシズ・ショックの顛末

 

 アクシズを押し返そうとするガンダム

 物語終盤、地球へ落下を始めた小惑星アクシズの後ろ半分に対し、シャアが乗る脱出ポッドを叩き込んだアムロは、自身が乗るνガンダムアクシズを押し返そうとします。

 半分になったとは言え、アクシズガンダムのサイズ差は傍目にも歴然であり、巨象に立ち向かう蟻のようなあまりに無謀な行動は、シャアから正気を疑われます。

 そこでアムロが返すのが

貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!

そして

νガンダムはダテじゃない!

という言葉です。

 あくまでも負けを認めようとしないアムロに、これまで対等な勝負ができたのは自分がサイコフレームを渡したからだとシャアは暴露します。しかし、勝負の前から情けをかけられていたことを知ったアムロは、さらに怒りを爆発させます。

 

 アクシズに向かっていくモビルスーツ

 チェーンの思惟を受け取って地球上空に到着した連邦軍のMS達は、アムロが発する思惟を感じ取って同じようにアクシズに取り付きます。

 モニターが死んで事態を把握できないシャアは、自分の勝ちが確定せずまだ動き続けていることに苛立ちを覚えます。

 連邦軍のMSが自分達を無視してアクシズに突っ込んでいくのを見て、あるいは彼等もアムロの発する思惟を受け取って、ネオ・ジオン軍のMS達もアクシズに取り付きました。

 そして彼等の機体は1つまた1つと自爆していき、それを見るアムロは自分の意地に付き合って命を散らしていく兵士達の姿に悲鳴を上げることしかできません。

 そのアムロの悲しみが伝わったシャアも、善を為そうとするエゴが結局は悲劇を生むのなら、自分自身の愚かさを認めてエゴそのものを葬り去った方がいいのだと言って、涙を溢れさせます。

 

 サイコフレームの共振

 アムロが「離れろ」と叫んだ瞬間、ガンダムから緑色の光が溢れ、アクシズに取り付いていたMS達を次々に跳ね飛ばしていき、ガンダム以外のMSはここで離脱します。

 シャアによれば、この力はサイコフレームの共振だそうです。サイコフレームアムロとシャアのコックピットにそれぞれ取り付けられていたもので、アクシズに取り付いた兵士達の意思を受けすぎたそれらが暴走状態に入り、異常な力が引き出されているそうです。

 ただし、力を引き出され暴走させられている中でも、恐怖ではなく、安心を感じる温かさだとシャアは述べています。

 アムロの方では、それでもまだ足りないのだと必死にシートにしがみ付いていると、やがてその光はアクシズ全体を覆い尽くします。

 

 人の心の光を見せる

 温かさによる人の心の共振を認識しても、シャアは人間の意思を憎み、人の可能性を否定します。それに対してアムロは、人の可能性を肯定するために、人間が信じられるという「人の心の光を見せる」と返します。

 それを聞いたシャアは、人類を肯定すると言いながら目の前のクェス1人救えなかったとアムロを問い詰めます。クェスが求めていた父親になれるのは父親本人しかいないと言ったアムロの言葉によって、シャアはクェスを戦闘に送り込んだのは仕方なかったと開き直ろうとします。

 今度はシャアの至らなさを責めるアムロの言葉に、シャアはララァの名前を口に出して、自分の母親を殺したアムロに父親らしく振る舞えないことを責められたくはないと答えます。

 アムロがシャアの言葉を反芻しようとすると、ガンダムから出た緑色の光がアクシズの後ろ半分と前半分を結び付け、前半分が後ろ半分を引っ張る形でアクシズは地球から離れていきました。そして地球を覆う虹色の光を見上げる地上の人々を映して、映画はエンディングに向かいます。

 これがアクシズ・ショックの顛末です。

 

 アクシズ・ショックの解釈

 

 アクシズ

 地上の人が最初に知覚したのは、太陽に影を落とすアクシズの姿です。

 シャアは、アクシズのエンジン点火に際し、

アクシズ行け!忌まわしい記憶とともに!

と言っています。

 この「記憶」は2つの解釈ができると思います。1つはシャア自身の記憶です。彼は1年戦争後の雌伏の時をアクシズで過ごしており、その時の遺恨でハマーンという敵を生み、ハマーンに撃墜されシャア自身はMIA、属していたエゥーゴも壊滅という害を被っています。

 もう1つ考えられるのは、アクシズの持つ記憶という意味です。アクシズジオン公国の拠点の1つであり、ジオン公国が地球連邦に敗北した後もジオン軍残党勢力の拠点の1つであり続けました。地球連邦の支配力が衰退すると、今度はハマーン擁するネオ・ジオンの本拠地として地球圏に戻って来ました。

 アクシズは、その成立から反地球連邦勢力の温床、あるいは拠り所として、地球圏に戦火を撒き続けて来たのです。ここでは後者の“記憶”を採用し、アクシズとは地球連邦に搾取される宇宙移民者、スペースノイド達の反連邦感情の象徴として捉えたいと思います。

 地球に住む人間と宇宙に住む人間という対立構造において、地球に住み続ける人々に対してぶつけられる宇宙居住者達の怨念そのものが、このアクシズ落下という災厄の意味だと思います。

 

 

 サイコフレーム

 物語の鍵を握るアイテムの1つがサイコフレームです。

 ざっくりと言えば、サイコフレームとは人の脳波、ないし思惟に反応する物質で、モニターでもあるコックピットブロックを構築しています。ニュータイプとされるキャラクターは、人々の思惟を感じ取ることができる存在とされますが、サイコフレームは人の思惟を増幅する機能があり、またニュータイプでない人々にもそうした能力をもたらすこともできるようです。

 サイコフレームはシャアの乗るサザビーアムロの乗るνガンダムのコックピットに使用されていました。これらによって、アクシズ・ショックが引き起こされることになります。

 加えてヤクト・ドーガα・アジールのコックピットにも搭載されていたようですが、上の2つに比べると目立った働きはないようです。

 物語で重要な働きをするのは、アクシズ爆破工作の前、チェーンの撃墜によってチェーンが身に付けていたT字型のサイコフレーム試料が宇宙空間に拡散し、アムロを守りたい”というチェーンの思惟を届けます。この時の思惟は、太陽の光とともに地上の人々にも届いています。

 ここからアムロによる核弾頭爆破、アクシズエンジン部分の破壊を受け、サザビーからシャアの怒りが噴出しています。これは、地球居住者への復讐を願うスペースノイドの怒りだと思われます。

 戦闘がアクシズの坑道内に移ると、それまでずっと先手を取って仕掛けていたシャアがはっきりとリアクションの側に変わります。その後のアムロとのMS戦で、シャアのモニターは故障し、緑の光を発しています。巨視的な立場からものを言うシャアが、アムロに正論を叩き付けられて周りを見れなくなります。

 

 アクシズ・ショック

 ブライト達の破壊工作の結果、アクシズは分断されます。

 アクシズの爆破に成功すると、アムロとシャアのモニターには周囲から緑色の柱のようなものが立ち上るのが見えます。人の思惟を感じ取るサイコフレームは、アクシズに閉じ込められた怨念が漏れ出していくのを検知したのではないでしょうか。

 アクシズの後ろ半分が地球の重力に引かれるのがわかると、シャアは勝ち誇ります。それに対し、今度はアムロの頭から怒りが噴出します。アクシズという巨大質量を“石っころ一つ”と宣うアムロは、自分の信念が怨念なんかに負けてたまるかという気概です。

 アクシズにシャアのポッドを叩き込んだアムロにとって、アクシズの重さがシャアの絶望の重さです。たとえ悲劇が始まっていようと、幕が下りるまでは好転することを信じて足掻き続けるという意地を見せます。

 地球の重力で落下していく2人のコックピットは、緑の光が流れていきます。重力に引かれて何もできず、悪足掻きを止めるよう諭すシャアに対して、アムロはますます怒りを爆発させ、絶対にアクシズを押し返すという意思は他のMSまでそこに呼び込んでしまいます。

 アムロの思惟に引かれてやってきたMSが次々と自爆を遂げると、アムロの悲痛な叫びと同時にガンダムから出た緑色の光がMS達を弾き飛ばします。これは人の意思が集中して起こったサイコフレームの共振現象らしく、サイコフレームを媒介にして敵味方が1つの思いを抱いたことで、幾重にも増幅された思惟の強大な力が物理エネルギーとして変換されているそうです。

 諦めないアムロの意思は、やがてアクシズそのものを覆い尽くします。アクシズと一体化していくシャアとアムロはそれでも対立し合い、互いの因縁を糺します。そして、2人の間の因縁を決定付けたララァの話になると、サイコフレームの光によってアクシズの前半分と結び付けられ、地球の外へ飛んで行きました。

 

 描写の意味

 絶望のまま落下していくシャアに対して、アムロは無謀なまでの暴挙でそれを持ち上げようと踏ん張ります。一体何がアムロをここまで突き動かすのでしょうか。

 

 アクシズの比喩

 アクシズスペースノイドの怨念の象徴だということは、既に見ました。

 そのアクシズの前部は、ロンド・ベルの働きによって地球の重力圏の外へ飛び出していきましたが、後部は依然として落下を続けます。翻って『逆シャア』という物語を見てみると、シャアはスペースノイドの悲しみを背負って事を起こします。つまり、このアクシズ後部はシャア自身と重ねられているのではないでしょうか。ナナイの「大佐(シャア)の命が吸われていきます」と言う言葉は、重力に引かれてシャアの強靭な意思が衰えていくのを感じているのだと私は捉えたいです。

 その視点で見ると、アクシズの前部をアムロと見ることはできないでしょうか。1年戦争でジオンに勝利した後、アムロは旧態然として自分を軟禁した連邦政府に挫折を覚えています。1度は、世の中がダメになっていくのをそのままただ黙って見ているだけと、世界を、自分を見限っていました。しかし、ある女性の支えによってそこから立ち直り、再び世界を、人間を、自分を信じて立ち上がります。一度は重力に引かれ地球に閉じ籠るも、その軛を自ら断ち切り宇宙に上がって行ったアムロは、地球外に飛び出して行ったアクシズ前部に喩えられないでしょうか。

 

 νガンダムはダテじゃない!

 人間を、アムロを見限って悪足掻きは止せと言うシャアにアムロがますます怒りを爆発させると、サイコフレームに乗った思惟が連邦兵を呼び込みます。アムロの虚仮の一念は、悲愴な戦いに自分以外の人間を巻き込んでいきます。遂には敵軍の兵までアムロの成そうとする意思が善だと感じ、賛同します。しかし、それはアムロの意図ではありませんでした。アムロとシャアの戦いに巻き込まれて、敵味方の兵士達が無意味に命を散らしていきます。

 悪と戦おうとして、正しいことを為そうとした人々が死んでいく悲劇に、シャアは涙を流して絶望を深めます。それはかつて、ガンダムに乗ったアムロが経験してきたことでもありました。空気との摩擦で吹き飛ばされる敵のMSの手を取るガンダムは印象的ですが、そのMSの命も救えませんでした。アムロの優しさでは、世界は救えません。

 そのガンダムが止められなかった悲劇を乗り越えるという信念の下、νガンダムは作られたのです。ガンダムの生み出した悲劇に殉じていく人々の意思を、そんな悲劇に絶望するだけのシャアの意思を、νガンダムに乗るアムロの意思は一人で背負って押し返そうとします。そのνガンダムから物理エネルギーを伴った緑色の光が放出され、ガンダム以外のMSを跳ね飛ばします。

 戦争でニュータイプの力に目覚めたアムロは、人を排斥する力しか使えませんでした。1年戦争ララァを殺してしまった悲劇と同じ思いをしないためというのが、アムロが宇宙に上がれなくなった理由でもあります。νガンダムに乗った本作でも、アムロニュータイプの力は結果としてケーラの死をもたらしています。そうした業を背負った力でも、絶望に負けないアムロの意思が、悲劇から他人の命を排斥する力として作用したのではないでしょうか。

 

 二人の間

 やがてアムロの意思はアクシズを包み込み、2人のコックピットが赤く染まります。人間は悲劇を終わらせることはできないという真理をあくまでも重視するシャアと、それでも人間が変われると信じたいアムロは、この戦いで2人が救えなかったクェス、そして2人の因縁の元となったララァのことで対立します。そしてその瞬間、分断されて墜ち続けていたアクシズの後部が、地球の外へ出て行くアクシズ前部へ結び付けられるのです。

 クェスは、「死んだ者の力に引かれて悲惨な結末」を遂げました。その死んだ人間の力を媒介したのもサイコフレームです。また、クェスとハサウェイ、ギュネイの関係は、かつてのララァアムロ、シャアの関係に重ねられています。その他にも、本編ではこれまでアムロ達が経験した悲劇がいくつも繰り返されます。

 現状救えなかった魂であるクェス、そして2人が直接的に救うことができず、2人の間に罪の意識として残り、また2人を繋ぎ止め続けているララァの魂が、彼女に囚われ続けている2人の魂を引き寄せたのではないでしょうか。そしてアムロを否定し続けるシャアとして、また分断されたアクシズとして象徴された人類への呪いを、祈りの力で引き摺り上げることを可能にしたのではないでしょうか。

 同じ悲劇を抱えた2人が、片や祈りを手放さないために、他方で呪いを成就させるために、互いを否定してぶつかり合うも、最後までその悲劇を忘れることができなかった。それゆえに、人類に対する絶望は、希望によって引き揚げられることができた。そしてその祈りの光を、地上の人々が目にしたというのが、私が考える『逆襲のシャア』におけるアクシズ・ショックの解釈です。